131-Y&R_気配(2)
「……なんや、子供?」
第一声を溢したのは淳一郎であった。
気配なく現れたのは、小柄な少年の姿があった。
学生の着用するような
淳一郎はその少年のそばへ寄ると、疑問を口にした。
「こんな早朝に、こんなところでどうしたんや?」
「すみません、迷ってしまって。此処へ行く道わかりませんか?」
肩から下げたエナメルバッグを下ろすと、少年はそっとスマートフォンを差し出す。スマートフォンには何やら地図アプリケーションが表示されている。その言葉のイントネーションからして、地元民ではない。ということは移住者か観光客。移住者ならば子供がひとりで彷徨つくのは奇妙である。が、こんな何もない場所に観光客も珍しいを通り越して奇妙である。
少年の差し出したスマートフォンを淳一郎が受け取ろうとすると、横から蒼の右手が伸びかすめ取った。
「で。こんな何もない場所に何の用事?」
「え、だから地図の場所を探していて……」
呆気に取られる少年を前に、相手はにこりとも笑っていない。淳一郎もあんぐりと口を開けて、
「おい。なんで蓮に戻ってるんや」
と耳打ちした。
淳一郎の指摘通り、蒼の主導権は再び蓮に戻されていたのだ。蓮は真顔のまま忍び声で言い返した。
「五月蠅え。今取り込み中だ」
蓮は勝手に少年のスマートフォンを操作した。それを見て淳一郎がぎょっと目を剥くが、構わない。蓮は目的であるチャットアプリケーションを起動しアカウント名を表示させると、その画面が少年へ見えるようにした。
「そっちから来てくれるとは思わなかったぜ。「W」野郎?」
その言葉に、淳一郎と、狭間で聞いていた悠が戦慄した。それはつい先ほど、通知で見たアカウント名だ。そして蓮が提示している画面は使用者本人のプロフィールが示された画面で、
スマートフォンを突きつけられた少年は暫しきょとんとしていた。だが淳一郎が緊張した面持ちで見守る中、ふっと柔和な笑みを浮かべた。
「あら、ばれちゃった?」
女性的な話し口調だ。声も先ほどより少し高めに出されている。
蓮はスマートフォンを持つ手を下ろすと、淳一郎を下がらせ、言葉を続ける。
「あの地図の指定場所は俺たちのアパートだ。ご丁寧に部屋番号まで入力して、馬鹿にするのも大概にしろ」
その指摘に、狭間で悠が驚かされていた。蒼の視界に地図アプリケーションが入ったのは一瞬だ。悠は何か地図が表示されているくらいまでしか認識できなかったというのに、同じ視界を共有していた蓮には文字や地形など詳細まではっきり見て取れたのだというのだ。
警戒心剥きだしな蓮に対し、少年は両手を合わせ、ころころと笑う。
「違うのが出てきてたみたいだから、わかりやすいヒントを入れて差し上げたのよ?でもよかった。あなたが出てきてくれた。あなたの方がまだ、話が通じそうなんだもの」
そう言って首を傾げる少年の仕草は洗練されていて、育ちの良い娘を思わせる。一歩足を踏み出すにしても、淑やか。それこそ、幼少のころから礼儀を叩き込まれた令嬢のような品のある所作だ。蓮はきっと少年を睨めつけた。
「お前、何なんだ」
「何だと思う?」
ふふふ、と笑う少年に、蓮は舌打ちをする。
「少なくとも
「お手紙もちゃんと読んでくれたのね?昨晩のプレゼントは驚いてくれたかしら?」
「どうやったんだが知らねえが。あそこまでの贈り物は久しぶりで震えあがったぜ、クソ野郎」
無論それは喜びで、ではなく怒りで、であろう。少年はいっそう愉快そうに、けれども変わらず気品ある笑いを溢して言葉を継ぐ。
「あら、
狭間で、悠は眉を顰めた。崩す、とは何を崩すのか。綻びとは何を指しているのか。これらの言葉の意味を、蓮は理解しているのか。
――いや、でも。
悠の中にはひとつの答えがあった。
少なくとも、蓮は悠の知らない何かを知っている、と。
――そもそも、どうして日本側へ行くのを禁じたのだろう?
ブラックを逃がし、住人を殺めさせた何者かが中にいる。その何者かが日本側に潜伏していたのだとしても、そもそも中の玄関の扉に鍵は無い。やろうと思えば、いつでも行き来できてしまう。だというのに、何故。
――知ってたんだ。
日本の何処かに、中に影響を及ぼしえる何かがいると、蓮は確信していた。それも比較的早期に。それこそ、悠がクロレンスで目覚めてからすぐにでも。だというのに、ずっと悠には黙っていた。紫苑やヨナスは知っていたのだろうか。
話をしようって言ったのに。
なのに、あの時も全ては話さず隠した。きっと彼
そのことに気付かなかった自分の愚かしさに腹が立つ。悠はふつふつと沸き起こる怒りをひたすらに堪えた。本当は今すぐにでも問い詰め、なじりたい。だが今は駄目だ。何者かわからない者が目の前にいる今では。今の自身の実力では身を護ることすら儘ならない。悠は内心で欲した。蓮と同等の「才能」があればと。そうすれば、彼に頼り切ることなど必要がないのに、と。
そんな怒りに震える悠の心を、蓮は気取っているのだろうか。
蓮はただただ沈黙して、目の前にいる少年と対峙していた。そしてやおら口を開き、言葉を発した。
「こっちで騒ぎを起こしてまで、お前は何がしてえんだ」
すると少年は、穏やかだった表情を険しくして言葉で返す。
『あのひとをお待ちしているの。でも全然会いに来てくださらないから、わたしから呼んで差し上げているの』
それはクロレンスでアーサーと話していた言葉。悠には一文字たりとも理解できない言葉だ。蓮は苛立ちを見せながらも、少年と同じグルト語で返す。
『あのひと……?』
『あなたたちのような残りかすじゃない、わたしにとって世界に等しいひとよ。ああ、
気が付けば、蓮はその少年の首を絞めていた。爛々と
「蓮、やめるんや!」
「離せ、ジュンイチロー。こいつはぶち殺す」
その声は激しさがなく、酷く静かで、冷徹。完全に頭に血が上っていると淳一郎はすぐに察した。
「日本で殺人はあかん!」
ただでさえ理性が吹っ飛んでいる状態だというのに、追い打ちをかけるように、少年はころころと嗤う。
「そうよ。それにこれは借り物だもの。本当はもっと可愛い器がよかったのだけど、手近なのがこれしかなかったのよね」
完全に揶揄っている。
「……てめえ。あっちであったらぶっ殺してやる」
「ふふ、見つけられるかしら。子猫ちゃん」
そう言うと、少年の体からふつりと力が抜け、膝から崩れ落ちた。
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