129-Y&R_困惑(4)
いったい何をきっかけとしたのか、肉体の主導権が入れ替わっていた。意図したことではない。ゆえに勝手にこんなことをして悠に叱られるのではないかと、蓮は落ち着かずそわそわとした。
だがそんな蓮を
『オリヴィアが酷く心配していましたよ。君の様子がおかしいと』
またしてもフロル語ではない。蓮は舌打ちをし、髪を掻きむしって吐きつけた。
『アーサー。
『最近練習をさぼっているようなので、復習を兼ねてです。知識も言葉も使わないと、忘れますからね』
『はあ?古代語を話す
彼らが使っているのは、遠い昔クロレンスの中央部から隣国ゾンバルト南方にかけて一帯の地域で使用されていたとされている言葉だ。貴族の嗜みで学ぶ言語で、とにかく難解。嗜んだ貴族の多くも読み書きすらできないまま終わるとされる古代の言葉だ。それをアーサーも蓮もまるで公用語のように操っているのだ。
威嚇する野良猫のような蓮の姿にアーサーは苦笑して言葉を継ぐ。
『それでも私は構いませんよ。ちなみに先ほどの彼はグルト語を理解できるんですか?』
『……
『やっぱり。君ならあえて一つは抜け道を作ると思っていましたよ。そしてやるならば、日常では使わないグルト語をおさえるとね。君はどんな相手でも全てをさらけ出す
「このクソ狸ジジイ」
うっかりフロル語で返してしまうものの、その通りなので、言い返せない。蓮は悠に首を突っ込んで欲しくないことを話すための手段を残していた。それは日本においてもなのだが――それを悠はまだ知らない。
じっと
『それで、
『……だとしたら、なに』
『
『あの人……?』
蓮は眉間に皺を寄せる。「あの人」が誰なのか、見当もつかないからだ。だがアーサーは応えず、言葉を続ける。
『先ほども言ったが、君は尽くしすぎる。君は君であり、あの子じゃない。そのことを……』
アーサーが言い切るよりも前に、蓮は叫ぶように声を張った。
『うるさい!
勢いよく立ち上がり、テーブルの上だろうと蓮は膝をついてアーサーの胸ぐらを掴む。興奮して呼吸が荒い。アーサーは憐れむように目の前の少年を見た。
『君は……
『変わらない。それでよし。
父と子は暫し睨みあった。外の喧騒は遠く、室内は張り詰めた静寂に包まれている。
すると、アーサーが嘆息を付いてその静けさを破った。そして今度は、フロル語で語りかけるように、
「どうせさっきの君も聞いているんでしょう。
と言いさらにやおら席を立ち、続ける。
「それと、先ほども言いましたが。自分たちを知りたいのであれば、チャンスを活かしなさい」
そう言い終えると、蓮や悠が言葉を返す間もなくアーサーは部屋を出た。パタンと扉が閉まる音が鳴らされ、その足音が遠退くと、蓮はよろよろとテーブルから降り、その場に座り込んだ。
ハーヴェイの
だが先手を打つように、悠の冷ややかな声が脳内で響かれる。
(さっきまで、何をコソコソお話してたんですか?)
(ア、アーサーの抜き打ちテストだ。別に、大したこと話してない)
(そのわりに白熱してたみたいですけど)
『あいつがわざと難解な文を吹っ掛けるからイライラしただけだ……!俺はお前の害になるようなことは絶対にしない。二度としない。だから……!』
思わず声に出していた。しかも、日本語で。最近までずっと日本語を使用していた所為か、咄嗟に出る言語がフロル語から日本語になってしまったのだ。
そのことがさらに蓮を苦しめた。日本での悠の居場所を奪ったのだと思い知らされて、蓮は口元を覆い、嘔吐した。気持ち悪い。気持ち悪い。全て厭なことを吐き出して、いなくなってしまいたい――そんな気分に蓮は苛まれた。
だが一方で、悠は酷く冷静だった。
(まあ別に、それでも構いませんけど。蓮さんって本当になんでもできるんですね)
(別にそんなこと……)
(その謙遜、嫌味にしかなってないですからね。まあ日本でもなんとかやっていけるんじゃないですか?)
悠の発言に、蓮は目を見開いた。
(は……?)
(まさか今さら、僕に返すなんて言いませんよね。
それは遠回しに、「お前が奪い取ったんだろう」と責めているようだった。蓮はハーヴェイの喉を掻きむしる手を止め、茫然とした。そしてその左手がピクリ、と動いて口元に運ばれた。
「さて、と。魔獣を調べろ、てことですよね」
ハーヴェイの左の親指の爪が強く噛みしめられる。主導権は悠に戻っていた。悠は立ち上がり、大きな格子窓の近くまで歩き、外を見下ろす。
外にはオルグレンを拠点とする冒険者たちが闊歩しており、その腰元や背には剣や弓、槍などが携えられている。あれらはこの世界の冒険者ならばたいてい使える物なのだ。だが悠は未だに正しい扱い方を知らない。知らねばきっと、この世界で生き抜くことは難しい。
悠はついと窓から視線を逸らし、独り言ちるように言葉を落とした。
「僕も、身に着けないといけないですね。蓮さんに習う……のは難しいでしょうね」
肉体が同一である以上、言葉での指導しか叶わない。座学ならそれでも十分だが、体術や剣術となるとそれは難しい。それを気取ってか、頭の奥から蓮の声が鳴らされた。
(わかった。アーサーに頼んでみる)
その返答に悠は口元だけで嗤い、「ありがとうございます」と言葉を返す。再び窓の外を覗き、今度は空を見上げて悠は言葉を続けた。
「もうこんな時間になっていたんですね……」
気がつけば太陽は西の端へ傾き始め、東の空は茜色に染まりつつあった。
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