128-Y&R_困惑(3)


「思ったより戻るのが遅かったですね」

 部屋の椅子に腰掛けて待ち受けていたアーサー・ブルックに、彼は無言で返した。開けていた扉を左手で閉め、やおら一歩前へ踏み出す。すると、アーサーは一瞬だけ眉をピクリと上げて、

初めてですね」

 と言った。

 

 彼――変わらず主導権を握っていた悠は目を見開いた。この男はハーヴェイは蓮だけではないことを知っているのだ。蓮がそのことを話したのか。それとも、他の住人がハーヴェイとして振る舞わざるを得ない状況になったことがあるのか。


 悠は言葉を詰まらせかけながらも、声を押し鳴らした。

「……ハーヴェイの中がだとご存知なんですね」

「義理とはいえ、息子のことを知らないはずがないでしょう。君は上流階級の発音があの子よりずっと上手ですね」

「そうなんですか?無意識なので知りませんでした」

 

 この世界で目を覚ましたその日から、悠はクロレンスの公用語であるフロル語を話すことができた。だがそう多くの人間たちと言葉を交わしたわけではないので、自分が訛っているのかどうかまではわからなかった。

 

 アーサーは深く嘆息して言葉を継いだ。

「私はむしろそっちしか教えていなかったんですけどね。あの子はジェイコブの真似ばかりするので」

 

 その言葉に、悠は顔を顰める。ハーヴェイの小さな頃の話、つまりは蓮がクロレンスへ来たばかりの頃の話は誰からも聞いていないので知らないのだ。

 

 だがそんなことに悠は興味がない。

「……蓮さんの過去はどうでもいいんです」

「レン……ああ、あの子はそう名乗っているんですね」

「ご存知なかったんですか」

「あの子は何も語りませんから。それにそれは、「本当の名前」ではないですよね?」

 

 アーサーは含みのある微笑を浮かべて見せた。彼は悠たちについて何かを知っている。少なくとも、ハーヴェイに関連したものであれば。そう、悠は直感した。

 

 バンッとテーブルを叩きアーサーを見下ろして悠は言った。

「……あなたは僕なんかより、僕のことに詳しそうですね」

「私は何も教えません。そう言われていますからね」

「……誰にですか」

「それも内緒です。答えを教えるばかりが、親のやることではありませんからね」

 

 学校の宿題を前にした親のことを言う。苛立ちで怒鳴りそうになるのを悠はぐっと堪えた。悠のへろへろな拳で殴ったところで、この男がどうにかなるはずがない。それくらいの理性は残していた。

 

 悔しげな悠にアーサーは余裕のある笑みを浮かべたまま問い掛ける。

「それで君は何と呼ばれているのですか」

「……悠」

「ではユウ。とりあえずお茶でも飲んで落ち着きましょうか。焦っても君の求める答えには辿り着けませんよ」

 

 完全に子供扱いである。確かに四十しじゅう半ばの男からすれば、二十代であろうと小僧こぞうの類だろう。だがなんとなく、アーサーは悠をそれよりずっと下の、それこそ十代の子供くらいに扱っているように思われる。

 

 悠はムッとしながらも言われた通り、アーサーの前の席に腰掛けた。

「本当に、なんでもお見通しなんですね」

「それほどでも。それよりも、あの子は聞いているのですか?」

 

 つまり、蓮にアーサーの声が届いているのかと問うているのだろう。悠は少しだけ意識を狭間はざまへ向けた。だがそんなことをしなくとも、蓮がそばにいることは感じられた。

 複数人が窓の外にいる状態で初めて、悠は肉体の主導権を握った。不思議な感覚だ。姿は見えなくても感じる異物感と、それに対する忌避感。何かよくわからない感じがゾワゾワと腹の底から伝わってくるのだ。その厭な感覚が、自分の意志に反して不安を感じさせたり怒りを感じさせたりする。

 

 意識を外へ戻すと、悠は吐き捨てるように言葉を返した。

「ええ、まあ。いますよ。いないといけないんですか?」 

 まあそれもそうだろう。彼の息子は蓮であり、悠ではない。此処でも自分は認められないのだと悠は苛立ち、左手の親指の爪を噛む。

 

 そんな悠を前に、アーサーはなおも穏やかな表情をしていた。

「別に、いなくても構いませんよ。後で同じことを伝えればいいのですからなら」

「……随分と息子さんに冷たいんですね」

「私の息子は「ハーヴェイ」であり、それは君がレンと呼ぶ子だけではありませんよ」

「白々しい」

 

 アーサーからすれば、悠は赤の他人。赤の他人を息子と思えるだなんて発言を、誰が信じられようか。綺麗事が過ぎる。

 

「ハハハ、君まだまだお子様ですね」

「僕は成人しているつもりなんですが」

「それは肉体の話でしょう。君の心はまだまだ、成熟していない。「発生」してそんなに経っていないんですかね。それとも、んですかね」

 

 悠は眉間の皺を増やした。アーサーが何を言っているのか理解できない。発生とはなんだ。時の流れとはなんだ。アーサーはいったい、「住人」たちのことを何処まで知っているのか。

 

 アーサーはおもむろに手を持ち上げ、ハーヴェイの頭をわしゃわしゃと撫でて言葉を続けた。

「まあ、そのあたりのことは二人で見付けなさい。君たちは探すつもりなのでしょう」

「何を」

「自分たちが何者なのかを。きっと見つかるでしょう。運が良いのか悪いのか、ちょうどしていますからね」

 

 ちょうど活発化しているもの。すぐに思い当たるものが、悠にはあった。魔獣だ。魔獣と、自分たち。いったい何の関係があるというのか。悠は困惑し、言葉を詰まらせた。

 

 するとふと、アーサーが僅かに表情を曇らせ声の調子トーンを下げて言った。

「それと。この子は、君がずっと探し求めていた子なのですか?」

「……は?」

は盲目的なところがある。君の存在意義を決めつけず、自分で見極め、見直しなさい」

 

 その男の言葉で、悠は気が遠退くのを感じた。隣にいたが悠の肩を掴んでぐいと押し退け、アーサーから遠ざけられたようなそんな感覚だ。

 そして次の瞬間。

 

 ハーヴェイの口は悠の思考とは無関係に震わされた。

「……五月蝿え」

 

 ぎろりとアーサーを睨め付ける、野良猫のような鋭さのある黄金こがね色のまなこ。その目を見て、アーサーは目元を緩ませた。

『久しぶりですね。吐いたりはしていませんか?』

 

 アーサーが話したのは、フロル語ではない言葉。悠には理解できない言葉であった。だがハーヴェイは足を組み、その足を支えに右手で頬杖をついてそっぽを向くと、低く言い返した。

 

 それは蓮の発した言葉。彼はアーサーと同じ、悠の知らない言葉を聞き取り、そして返したのだ。ただ一つ言うなれば、少しカタコトで蓮にしては丁寧だということ。だが何にせよ、そんなことを悠がわかるはずもなく、さらには悠に内緒の話をしたければいつでもできるということには変わりない。

 全てを知るには、知識も技術も足りていない。

 悠は唇を強く噛み締めたいような、そんな気分になった。

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