127-[IN]S_困惑(2)


 ――て、当たり前じゃないか。

 蓮が悠に逆らって物を言うはずがない。彼が悠に強気になるのは、危険が及ぶ可能性があるときだけだ。そういう時だけ、紫苑たちにするように乱暴な物言いをしてでも止めに入る。

 

 だが今は違う。

 オリヴィアに頭がおかしくなったのだと思われようと、死ぬわけではない。これがもっと精神病院が発達した世界だったら、別の意味で命の危険――うっかりロボトミー手術を受けさせられたりするかもしれない。

 運が良いのか悪いのか、ハーヴェイは王族や貴族の出自でもなので、一族の恥だと言われて幽閉されることもない。

 

 だがそれでも、今の悠が何をしでかすかわかったものではない。紫苑は頭を抱えたまま、座り込んだ。

「どうしたものか……」

 

 どうしようもないのだが。すると、背後からヨナスの声が鳴らされた。

「うわっ。どうしたのさ、そんなところで」

 紫苑が顔だけで振り返ると、ちょうどヨナスが階段から降りてきていた。

「ヨナス……日本で何があったのか、君は見てきたよね?」

「え、あ、ああー……。なんかあったの?」

 

 目を泳がせているヨナスに、紫苑はジト目を向ける。彼はいざというときの「盾」として日本側の切り盛りを任されているので、つい先程のブラックの対処の後も悠と蓮を追って窓を見てきたはずなのである。

 すっと立ち上がり、つかつかとヨナスへ詰め寄ると、紫苑はぐいと彼の胸ぐらを掴んだ。蓮にはできなくとも、他の住人ならば怖くない。

 

「説明してよ。ユウはなんでああ変にやさぐれてるわけ。それになんで、レンはどうして何も言わないのか」

「お、落ち着いて紫苑のあねさん。ほら、可愛いお顔が台無しだよ」

「誰があねさんだ。巫山戯てないで早く説明」

「わかった!わかったからまずその手を離してよ。怖い怖い怖い!」

 

 仕方無しに手を離すと、ヨナスは深く息を落とした。彼は住人の中で一番背が高いが、筋力は紫苑以下。もしかすれば悠より劣るかもしれない。さすがに陽茉ひまりほど弱々しくはない……と思うが。

 ヨナスは革張りのソファに腰掛けると、やおら口を開いき、つい先程まで悠と蓮に何があったのかを伝えた。魔獣が出たこと、その現場には悠の友人もいたこと、そして日本では二年半の月日が経っていること。

 

 紫苑は唖然とした。

 ハーヴェイが蓮中心で回っていたように、あおいは悠中心になる予定だったのだ。何やら調べたいことがあると入退院時は蓮が蒼として振る舞ってはいたが、それでもすぐに「返す」つもりなのだと蓮は密かに言っていた。蒼を大学へ受からせたのは悠で、たったの数ヶ月とは言え、バイトやサークルなどで人間関係を構築したのも彼だからだ。

 

 きっと日本で言う二年半前も、蓮は「いつか返す」つもりで行動して、その結果が今の蒼なのだろう。紫苑は頭痛を覚えながら声を荒げた。

「あのおバカ、自分がこと、自覚してないからなあ。頼まれてできるだけお子様扱いしてきたけど……これじゃあ意味ないじゃないか」 

「それ、すっごく不思議に思ったんだけどさ。なんでわざわざそんなことしたんだよ。おチビさんてさ……」

「わかってる。わかっているよ。でもそうでもして安心させたかったんじゃないか?ぼくに聞かないでくれよ」

 

 悠がクロレンスへとき、わざと紫苑は蓮を厨二病だのなんだの罵った。あれは蒼の生活を任せられるのは悠だけ、という意思を遠回しにするため、蓮に頼まれてやったことだ。

 実際、ハーヴェイが髪を伸ばしていることになし、確かに最終学歴は小六だが、彼にはだ。後で報復されたりしないかと紫苑は内心ヒヤヒヤしたものだ。

 

 ヨナスは足を組むと、その足を支えに頬杖をついてぼやく。

「まあ、二人は「特別」なんだろうけど。でも俺、悠はような気がするんだよね」

「それでも、レンは彼をだと思っている。なんなら、きっとそうなんだろう。レンがを間違えるはずがない」

「それはそう……なんだろうけど。あそこまでしまうと、もはや別人だよ」

 

 そう吐き捨てるヨナスに、紫苑は何も返せない。

 それは何を持って彼を「彼」と見做すかという哲学的な問題であり、答えなんてない。結局のところ主観でしかなく、蓮は悠を「彼」なのだと見做しているのだ。それが全てだ。

 

 紫苑は深くため息を溢し、窓越しに宿へ向かう光景を見つめながら言葉を落とした。

「あっちでこっちで魔獣か。何が起きてるんだろう」 

「クロレンスでもそうなの?」

「さっきオリヴィアちゃんが次の任務の内容を伝える時に言っていた。かなり被害が増えているらしいよ」

 

 へええ、とヨナスは顔を引き攣らせて呟く。彼は危惧しているのだ。日本でも現れた今、日本でも同じことが起きうるのではないか、ということを。クロレンスならば前知識があり、冒険者がいる。では日本は?自衛隊がミサイル攻撃で撃破するのか。あまり想像したくないものだ。

 

 ふと、彼は小さな声で溢すように疑問を口にした。

「あのさ。これ、姉さんたちが関わってると思う?」

 

 そのヨナスの言葉に、紫苑は目を見開く。蓮が「あいつ」と憎しみを込めて呼ぶ相手が一人しかいないように、ヨナスが姉さんと呼ぶのも一人しかいない。紫苑は口元を覆い、視線を泳がせながら言葉を返した。

「それは……なんとも」

 紫苑の頭の縁には、荒らされた悠の部屋の中で蓮が握りしめていた手紙が思い浮かんでいた。尾の色が三色に塗り分けられた、変わったシールで封をされた白い封筒。それを握りしめて、彼は「あいつ」と言った。

「相変わらず姉さんのこと大好きだよね、紫苑。顔に出てる」

「へ?」

 ヨナスの指摘で、紫苑は自分が笑みを浮かべていたことに心付く。笑っていられるような呑気な状況ではないと頭では理解しているのだが、顔が緩んでしまう。

 紫苑はこほんと咳払いをして気を取り直した。

「とにかく。事態は複雑になったってことさ。魔獣のことにしろのことにしろ。蒼が社会人になったらもっと考えることが増える」

 自分で言っていて、頭が痛くなる現実だ。ヨナスもまた顔を歪めて「うげえ」と声を溢している。

 

 ふと紫苑が再び窓へ視線を向けると、ハーヴェイは宿の部屋へ戻って来ていた。そしてその室内には、ハーヴェイの養父であり、パーティーの隊長であるグレイの髪の男――アーサー・ブルックの姿があった。

 

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