125-out_依頼(4)
唐突に沈黙した少年に、オリヴィアは再び声を掛けてみた。
「ハーヴェイ?」
だが変わらず無反応で、眉をピクリとも動かさない。少年の顔をじっと覗き込んでみると、その
「ちょっと……ハーヴェイ!?」
オリヴィアは咄嗟に彼の体を支えた。彼の全身は力が抜けているようで、ずっしりとオリヴィアの腕の中に凭れかかっている。それはオリヴィアに、厭な記憶を呼び起こさせる。エルデンの街でベアード商団へ挨拶に行こうとしたあの日だ。あの日以降、この少年の様子がおかしくなったのだ。
青褪めながらも、オリヴィアは少年を揺さぶり、何度も名を呼んだ。だが返事はなく、魂が抜けたように動かない。なんとか正気にさせようと、オリヴィアは声を張りながら、手を振り上げた。
「ハーヴェイ、しっかりしなさい!」
だがオリヴィアの手が少年の頬を張ることはなかった。だらりと下がっていたはずの彼の左手が持ち上げられ、受け止めたのだ。
オリヴィアに寄りかかっていた体をゆっくりと離し自分の足で立つと、少年はオリヴィアへ呆れたような視線を向けて言った。
「そんな大声出さなくっても聞こえて
そんなので動かなくなるわけがない。そうが言い返そうとしたが、予想外な少年の行動にオリヴィアは呆気にとられ思わず声を上げてしまった。
「あんた何処か調子悪いの?」
無遠慮に思いっきり振り払われるのを想像していたのに、受け止められたオリヴィアの手はそっと下ろされていた。それは特段変わった行動ではない。
だが、あのハーヴェイだ。あのハーヴェイが、生ぬるすぎる。相手が女だろうと子供だろうと、さらには年寄りだろうと気を遣うなんてことを知らないあの不躾者が、優しく手を下ろしてくれるなどあるはずがない。敵意はないので殴り返すことはなくとも、常ならば強く振り払うか締め上げるかくらいはするはずだ。
失礼なのは承知の上で、オリヴィアは少年に詰め寄った。
「あんたやっぱりおかしいわよ。吐き気がするとか目眩がするとかない?大丈夫?」
すると少年は気不味そうに視線を逸らし、ぼそりと声を鳴らした。
「……なんでそうなる」
その反応に、オリヴィアは衝撃を覚えた。
もはやお前誰だ、と聞きたいくらいに受け答えがいつもと違いすぎる。いつもの彼ならば「あ?」のドスをきかせた声で吐き捨てている。
気がつけば無意識にオリヴィアは体を動かしていた。ぐいと少年の胸ぐらを掴み、もう片手で黒い前髪を掻き上げて自分の額をくっつけていたのだ。
「熱はない……みたいね」
高熱で頭がおかしくなったのではないか、とさらに独り言つ。ならば何故、こんなに様子が奇妙なのか。否。最近の彼は気がつけば様子がおかしかった。
すると額を合わせたまま、少年がおずおずと声を鳴らした。
「……そろそろ、離れてくれないか?」
「へ?」
視線をその少年へ向けると、其処には
其処でようやくオリヴィアはハッとした。
近い。
とにかく、近すぎる。
兄弟姉妹や親子でもお付き合いをしている男女でもないというのに、息がかかるほど顔を寄せるなんてなんと端ない。しかも相手は、様子が奇妙だとは言え、それでも好いた相手。オリヴィアは赤面し、力強く少年の胸を突き飛ばして上擦った声を上げた。
「きゅ、急に変な態度取らないでよね!心配するじゃない!」
「いや、まあ……
独り言のように呟いた少年に、オリヴィアははたと動き止め、眉を顰めた。
「は?」
「なんでもない」
今度はきっぱりと強く応えるハーヴェイ。オリヴィアはしばし怪訝な面持ちでじろじろとそんな少年を見るも、当人が済まし顔をして何も応えない。
いったいどうしたのだと問い詰めたかったが、数時間前のアーサーとの会話を思い起こし、オリヴィアはぐっと堪えた。
きっといつか本人の口から聞くまで、見守ってやってください。そう、アーサーが言っていた。自分のことを一つも教えてくれないこの少年が果たして本当に話そうとしてくれるのか定かではないが――それでも、アーサーがいちいち先んじて「無理矢理聞き出すな」とオリヴィアに釘を差したのだ。そう容易く話せることでも、話したいことでもないのだろう。
オリヴィアは炎髪を搔きむしり、深く嘆息して心を落ち着けた。
「……別になんでもないならそれでいいわよ。それよりなんで朝、来なかったのよ。今日は朝一で支部に集まること、て伝言のメモ置いといてあったはずなんだけど」
起床してすぐ、オリヴィアは彼女の部屋の扉にはサイラスが書いたメモが挟まれていたのに気が付いた。彼女の部屋のみにこんなメモを残すはずがないので、他の部屋においても同じようなメモが残されていたはずなのだが。やはりとばかりに少年はけろりと言葉を返す。
「メモ?そんなもの、あったっけ」
「見てなかったのね。まあどうせそんなオチだろうとは思ったけど……」
どうせアーサーからも直接伝えられるだろうが、一応とばかりにオリヴィアの口からも依頼内容や出発日を伝えた。すでに色々と様子がおかしかったゆえ、大人しく話を聞いているハーヴェイを不審に思う気力すらなく、伝え終えるとオリヴィアは短く言葉を掛けた。
「なんか質問ある?」
「いや、問題ない」
「そう……とにかく、あんたは宿に戻って着替えなさい。風邪ひくわよ」
「ああ、そうする」
あっさりと返答する少年に、オリヴィアはガクリと脱力した。いやだから、変だって!と内心でツッコミをいれるもなんとか声にするのを堪える。頭痛がするとばかりに眉間を抑えながら、
「じゃああたし……用事あるからこれで……」
と言って少年から離れた。これ以上この様子のおかしい少年と会話をしていたらきっと、我慢ならず問い詰めてしまうだろう。だから逃げ出したかったのだ。
ゆえにその間少年がどんな表情をしていたか確認する余裕もなく、すぐに背を向けてしまった。オリヴィアがふらふらと足早に、他のメンバーのいる食堂のある方角へ向かって行っていたそのとき。少年はうっすらと口端を持ち上げていた。
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