124-out_依頼(3)


「いや……それ正気か?」

 と思わず声を上げたのは、ジェイコブだ。

 

 それもそのはずである。

 魔獣はとにかく頑丈だ。S級やA級の冒険者ならさほど手こずることはないが、それは「殺す気」で掛かれば、という条件下ならばである。それをパーティー率いる彼が知らないはずもなく、アーサーは溜息混じりに書類から一枚の書簡を取り出して言葉を継ぐ。

「残念ながら、大真面目な文面で依頼が来ています」

 

 それはご丁寧に、冒険者組合の組合長と国を纏める議会の代表、さらには国王の名までサインされた書簡である。記された内容を簡単に言うと、「生きた魔獣を安全に搬送して研究院に引き渡せ」である。ようは小難しい文面でサラッと無理難題を押し付けられたというわけだ。

 

 ジェイコブはその書面を食い入るように見、唸るように声を鳴らす。

「ならせめて、S級のいる他のパーティーと連携だよな?」

「残念ながら、私達だけです。他のパーティーは山沿いの警備に当てるそうで」

「はあ?頭オカシイんじゃねえの?」

 

 それはまったく同感だ、と事前に聞いていたのだろうサイラスも頷く。現場を知らぬ者ならうっかり提案しそうな内容と言えばそうなのだが、魔獣の凶暴さやしぶとさを知っているはずの組合長まで名を連ねているので正気を疑いたくもなる。

 

 すると今度は、コリンが眉を寄せて声を上げた。

「魔獣の目撃件数が増加したことが理由だと思うのだが……それなら、他のパーティーも呼ぶんじゃないのかい?」

 

 事前に支部からの報告資料や冒険者たちの噂話から、魔獣の目撃証言やそれによる死傷者が増加していることをコリンは知っていた。ゆえに次に依頼が来るとすれば魔獣関連であるだろうと予想はしていたのだが、それでも耳を疑わずにはいられないのだ。

 かなり深刻な状況だというのに、何故雇うパーティーがブルック隊だけなのだ、と。難関な依頼なのだから、正気なら通常の魔獣討伐任務より多く冒険者を集めるはずである。

 

 アーサーは相変わらずティーカップ片手に、苦笑交じりに問うた。

「コリン。君は研究院にいたころ、魔獣の研究をしているだなんて聞いたことはありますか?」

「……ないと言えば、ない」

「ワタシはありますたヨ」

 

 ケラケラと嗤って言葉を差すロルフに、ジェイコブは呆れた風に半眼になる。

「お前さんはどうせ、機密情報をこっそり見て知ってたんだろうが」

「いやあ、ザルですたのでついうっかり。キヒッ」

 

 サイラスをいじる目的でわざと単独では難しい時間や状況を選び巻き込むことはあるものの、彼はどんな警備の中もくぐり抜け、鍵もこじ開けてしまう男だ。ゆえにロルフの発言には「んなわけあるか!」と他のメンバーはツッコまずにいられない。

 

 あのアーサーですらこの浮浪者然とした男の扱いにあぐねることがあるらしく、頭を抱えて言葉を継いだ。

「ロルフは放っておくとして。つまりは機密扱いの研究なんだそうです。だから、人数を限りたいということだそうです」

「コソコソやる研究でもなかろうに……」

 と呟くジェイコブに、アーサーはまったくだとばかりに頷いた。

「とにかく書簡で指名されては拒否権はありません。諦めてキビキビ働きましょうか」

 

 S級冒険者だろうと、権力を前にすれば無力なのである。其処が冒険者共通で組合に属して一番初めに落胆するポイントであると言っても過言ではない。冒険者はしないのだ。

 

 オリヴィアは肩で切り揃えた炎髪をガシガシと掻いて尋ねる。

「で、アーサー。まずはいつ何処で何をするのよ」

「イェーレンへ赴き、研究院や事情を知る本部の組合員と打ち合わせをします。ちなみに出発は二日後です」

「……ん?必要物資の準備はどうするのよ?」

 

 オルグレンからイェーレンへ向かうには必ずオールトン山脈を超えなければならない。かなり整備された山道なのだとしても、山道は山道である。

 

「物資な組合員側で用意いただけるそうですよ」

「理由つけて遅刻するのも許さないスタンスかよ」

 と言葉を落としケッと悪態を付くジェイコブ。

 

 たいていの場合、組合は依頼を斡旋するだけでその依頼に付随する費用はすべて冒険者側で負担する。その費用の工面はたいていの冒険者パーティーの頭を悩ませるものなのだが、其処は稼ぎの良いブルック隊にとってさほどの問題ではない。

 だが在庫の問題は別である。

 

 旅荷を揃えるのは金がかかるだけでなくそんなすぐに希望の数が揃うというものでもないのではないのだ。現代日本のように大型のスーパーマーケットがあるわけではないので、ひとつの店舗が扱っている数なぞ知れている。高々七人程度であるブルック隊は大型パーティーではないとはいえ、それでもこのオルグレンには同業者が溢れているのだから取り合いになる。

 ゆえに荷物が揃わず出発が遅れました、なんていう言い訳は比較的通りやすいのだが、それすらもきっちり防いでくるとは、恐れ入る。

 

 諦めてブルック隊の面々が解散しようとし始めると、退室間際のアーサーをコリンが呼び止めた。

「アーサー。研究院側の代表の名って聞いてもいいかい?」

「ウィリアム・アディントン博士という方らしいですよ」

 その名を聞いて、コリンだけが眉根を寄せた。





 オリヴィアが北方第二支部を出ると、いつの間にか陽が天頂高く登っていた。

 アーサーとサイラスは支部にまだ用事があると言って離れ、他のメンバーは朝兼昼飯を食いに行くと言って支部近くの食堂へ赴いたが、オリヴィアだけは宿へ戻ることにしていた。けっきょく終始あの無愛想な少年は来なかったことがどうにも気掛かりだったのだ。

 宿へ続く大通りの道はすっかり人で溢れかえっている。さすがは支部のある街というべきか、その多くが同業者とおぼしき男たち。クロレンスにおいて、女が就ける職は限られている。冒険者は一応女がなってはいけないという決まりはないものの、圧倒的に数が少ない。

 

 ふと、オリヴィアは足を止め、声を上げた。

「ハーヴェイ?こんなところで何をしているの?」

 

 小麦色の肌をした、長い濡羽色の髪をざんばらに下ろしたままの小柄な少年がちょうど路地裏から出て来たのである。オリヴィアの声に気が付いたのか驚いたように黄金こがね色の目を見開いて硬直している。何をそんなに驚いたのか。オリヴィアは碧い目を半眼にして、つかつかとその少年に歩き寄った。

「何よ、その化け物を見たような反応は」

「……なんでもねえよ」

 

 ぷいと顔を背ける少年の頬をつねろうとして、オリヴィアは手を止めた。

「というか、よく見たら頭ずぶ濡れじゃない。なにやってんのよ」

 

 顔を洗った、というよりは頭から水を被ったと言うのが相応しいだろう。濡羽色がしっとりしてその毛先からぽたぽたと水滴が落ち、その水滴で白いシャツの肩周りが染みを作って体に張り付いている。

 

 少年は眉間の皺を増やし、いかにも面倒そうに舌打ちをして吐き捨てる。

「なんでもいいだろ」

 違和感のない、オリヴィアの見慣れた少年だ。そのことに安堵を覚えながらも、オリヴィアは今度こそその少年の頬を強くつねって言い返す。

「よくないわよ。風邪ひくじゃない」

 

 馬鹿は風邪をひかないと言うが、ハーヴェイはすでに一度ジェイコブとコリンの探索時に嘔吐するほどに体調を崩している。ゆえにオリヴィアは心の奥底から心配しているのだ。だがそんな彼女の心なぞ知ったことではない、とばかりに顰め面をする少年。オリヴィアは深々と溜め息を落として、彼の頬をつねる手を離した。

 

「もういいわよ。とにかく宿に戻って着替え……」

 其処でオリヴィアは言葉を止めた。少年の様子がおかしい――なんとなくそう感じたのだ。オリヴィアは眉を顰め、彼の肩を掴む。

「ハーヴェイ?」

 

 少年は無表情でただぼうっと突っ立ったたままになっていた。

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