120-[IN]Y_目的(3)
「……どなたですか?」
悠が扉を開けると、其処にはひとりの少年の姿があった。もしかすれば少女かもしれない――それほどまでに小柄で華奢な少年だ。ざんばらの濡羽色の奥には、猫のように切れ上がった大きな黄金色の瞳。
きっといつもの悠ならばあまりに哀れで、頭を撫でて慰めてやっていただろう――その少年は気不味そうに俯いて、押し出すように鳴らした。
「……ごめん」
掠れていて、微かな声だ。少し震えて、泣くのを堪えているようにも思われる。悠はにっこりお笑顔を貼り付けて声を掛ける。
「謝らないでください。蓮さんは何も悪くないんですから」
表情と裏腹に、その声は冷たく濃淡がない。そんな悠の口調に怯えたのか蓮の手が僅かにビクリと震え、切なる声を鳴らす。
「……返すから。ちゃんとお前に……だから……」
「返すって、何をですか?」
その問いに、蓮は応えない。悠はせせら笑うと、肩を竦めて見せる。
「まさか、蒼を返すだなんていいませんよね?」
「大学に受かったのはお前だし、ジュンイチローやミコトの友人はお前だ」
「何を巫山戯たことを言っているんですか?
淳一郎や美琴を含む大学関係者やバイト関係者にとって、蓮が蒼というだけではない。
「僕は、蓮さんの
時間が経過していたと知ったあの後、悠は大学のポータルサイトの成績表や、積み上げられた見覚えのない書籍、書留封筒、財布から状況を確認し、思い知ったのだ。
無論それはすべて、将来の幅を増やすためと蓮が気を回した結果だということを悠は理解している。蓮には全く否はなく、すべては不可抗力で、この小さな少年もまた被害者にすぎないということも。
それでも。
これ以上、奪われるないために。
全ては、自分を
悠はそっと屈み、蓮の顔を覗き込んで今度は穏やかな声で言葉を掛ける。
「僕は見つけたいだけなんです。確かな自分の証を」
だが悠の黒い目はなおも昏さを留めている。その昏い目をしたまま、蓮の手を握って、にこりと形だけの微笑みを向ける。すると、その手を蓮が握り返して、声を押し鳴らした。
「俺は、お前さえいれば何も怖くない。お前が安心して、笑っていてくれたらそれだけでいい。そのためなら、何だってする」
だから、どうか。そう叫ぶように言って、つうっと頬に涙が伝わらせる。そのまま堰を切ったように、止め処なく涙は溢れさせる。幼子のように嗚咽を溢して泣きじゃくる。
なんて愚かなのだろう。
悠は仄暗く内心で嗤った。彼はひとりでも十分に生きていけるほどの実力と「彼らしさ」を有しているというのに、どうしてそれほどまでに傍にあることに拘るのか。過去の何にそれほど固執する価値があるというのか。
だがこの盲目的な執着は、使いやすい。
蓮を抱きしめ、宥めるようにその背を撫でながら、悠は耳元で囁いた。
「ならば――手伝ってください」
うん、と声にならない声で応えて頷く蓮を胸に、悠は変わらずほくそ笑んで、続けた。
「僕を、僕にしたいんです」
自分を、自分たらしめるものは何だ。
これは悠がずっと探し求め、未だに答えの見つからない問い。――否。すべての人間が、生涯心の奥底で問うているのかもしれない。
〈私〉とは何だ。
〈私〉と〈私以外〉を確かに分けるものは、何だ。
それはきっと、途方もない問い。答えのない、問い。
✙
すべての始まりは、何だったか。
否。違う。
すべては
✙
「なあ、行くの止めろよ。お前のそれ、もはや病気だぞ」
そう僕が言うと、僕の前に立っていた彼が愉快そうに笑って言った。
「あはは、君にだけは言われたくないな」
彼はこう言っているのだ。
敵と見做した相手をすぐに殴るほうがどうかしている、と。わかっている。でも、そうしないと彼を守れない。彼を守ることが、僕の
だから、今回も止める。僕は彼の腕を掴んで、責め立てるように言う。
「また、代わりに行くのか」
「僕が行かないと、あの子が泣いてしまうでしょう」
「あんなやつのこと、気にすることないだろう。泣かせておけばいい」
必死に、言い聞かせる。でもきっと、彼は聞く耳を持たない。やはりと言うべきか、彼は、ゆっくりと左右に頭を振った。
「あの子は、可哀想な女の子なんだ。放ってはおけないよ」
「なら僕が……!」
僕が代わりに行く。怒りに任せてそう言いかけて、僕はすぐに止めた。彼がくすくすと笑っていたのだ。次に何を言われるかくらい、わかってる。自分でも愚かしい提案だと思っているから。
彼は僕の肩をぽん、と叩いた。
「君が出たら、また問題を起こすでしょう」
「……そんなことない」
「どの口が言うのかな」
本当のことなので、何も言い返せない。僕はムッと頬を膨らませて視線を逸らした。すると彼はそんな僕の頬を
やめろよ。
その、くだらない自己犠牲なんて。
無性に苛立って、僕は彼のの手を振り払って叫ぶように言った。
「我慢するくらいなら、そっちのがいいだろ」
すると彼は愛おしそうに僕へ笑いかけ、そして僕を抱きしめた。僕はぎょっとして、彼から離れようとするけれど、彼は離さない。僕を腕の中に抱き留めたまま、語りかけるように僕へ声をかける。
「大丈夫だよ。辛くたって、君がいる」
やっぱり辛いんじゃないか。僕はそう思った。でもきっと彼は今さら僕の話なんて聞いてくれないんだろうということもわかって、なおさら悔しい。
彼はからからと笑って、僕から離れた。もう行くつもりらしい。僕は最後の願いとばかりに、溢すように言葉を吐く。
「本当に行くのか?」
泣きそうだ。でも泣いている姿は見られたくなくて、僕は唇を噛み締める。そんな僕をなだめるように、彼は言葉を継いだ。
「君が傷つくのも見たくないんだ」
「それは、僕も同じだ」
「僕は
なら僕は。そんなお前を止めるためにいるんだ。
だから。
だから、お願いだから。
「……行かないでよ。僕を置いて行かないで」
その言葉は小さくて、彼の元には届かない。彼は
僕を独りに、しないで。
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