117-Y_解消(3)


 窓をくぐってすぐ。視界に飛び込んできた魔獣を蓮はほとんど反射的に薙いでいた。そのあまりの素早さに、悠は唖然とした。こうやって同じ視界で見ると、その勢いで目が回りそうになる。

 

 月夜つくよも十分早かったが……月夜は勘で動いていたのか、そんなに周囲を確認しなかった。それはそれで驚かされたが、直感に従って剣を振るって、それが本当に命中していたのだ。それでいて跳躍しない限り頭があまり動かなかったので、どんなに速度があっても動きがゆっくりに感じられたのだ。

 

 だが、蓮の動きは違う。これこそがジェットコースターだ。しかも、動きが固定されないので、ジェットコースター以上に酔いやすい。蓮は目や耳の意識を秒刻みで別の場所へ向け、その都度に適切な一撃を判断して動くのだ。頭がそんなに揺れなくても、眼球運動が激しいので、それに付き合わされると本当の意味で目が回る。

 

 ゆえに思わず、悠はその感想を声に出してしまう。

(蓮さんって頭の処理速度、どうなってるんですか……)

(別に、普通だろ)

 ちらりと蓮は視線を周囲に向けて、すでに血の海の中にいる犬にも意識を向ける。

(ていうか、なんでほとんど片付いてんだよ)

 そう吐き捨てながら、ぐるんと後方へ振り返り、蓮は魔獣の顎を蹴り上げる。

 

 蓮は月夜を知らないし、その知らない月夜が伝言を残していることも知らない。何故、悠だけに声を掛けたのかは定かでないが、何と説明すべきかと悠は思案した。

(たぶん、月夜つくよさんです。その……しばらく時間を稼ぐと言っていたので……)

(いつそんなこと言ってたんだよ。マジでそいつ、何なわけ)

 

 蓮がわかりやすく苛立っている。何故そこまで月夜つくよに腹を立てているのか、悠にはわからない。だが、言えることはただ一つ。

(僕も、月夜つくよさんが何者なのかよくわからないので……)

(そんな奴の言うことなんて、よく聞けるな)

 

 もっともな指摘である。友人にも、警戒意識が薄すぎると言われたことがあるが、否定しようがない。悠自身も後になって、もう少し疑えばよかったな、と後悔しているのだから。

 

 蓮はあおいとして嘆息すると、サバイバルナイフを振って血を落とし、おもむろに淳一郎へ歩き寄った。

「おい。大丈夫か、ジュンイチロー」

 

 その視線の先には、派手な銀髪に赤いメッシュを入れている背高のっぽな男子学生。事故に遭ってから一度も会っていないのもあり、悠は本当に懐かしく思った。

(本当に、君塚といたんだ……)

 

 なんでその友人がこんな貸倉庫街にいるのか、経緯が気になるところではあるが。すると、淳一郎は蓮の言葉遣いに驚かされたのか、

「え、蓮!?交代したんか」

「……まあな。こっちは交代したつもりねえんだけど」

 

 蓮と淳一郎のやり取りを見て何となく、悠は複雑な気分になる。友人に自分のことを自分から打ち明けられなかったというのがどうにも悲しいような、そんな気分にさせられるのだ。それに、何処まで話してしまったのか、淳一郎にどう思われたのかも気掛かりだ。

 

 だが悠の懸念そっちのけで、淳一郎は呑気に、

「なんか、すんごい色っぽい感じの人になっとったで」

「マジで誰だよそいつ……」

 と蓮も普通に言葉を返している。悠が思っているよりも、ずっと心の広い友人だったらしい。悠はホッと胸を撫で下ろした。

 

 だがふと、視界に魔獣の死骸の山が映し出され、悠は別の問題に思い当たった。

(この死骸……どうしましょう……)

 

 これがクロレンスならば、冒険者組合に、魔獣が出ましたと報告するだけ。

 だが此処は日本だ。しかも現代日本だ。このようなスプラッタ現場、警察沙汰になること間違えなし。明日の地方紙の一面は、「倉庫街に不審な生き物の死骸」なんて出てしまうかもしれない。

 

 蓮も今さらに事後処理の問題に気がついたらしく、

(其処まで考えてなかった)

(だと思いました……)

 襲われたので仕方がないとはいえ、考えていれば、こうも残酷な死骸の山を作りはしなかっただろう。たぶん。蓮も悠同様にしばらくは考えていたようだがすぐに内心で声を鳴らした。

(こういうときは)

(時は?)

(ずらかる)

 

 あっさりと諦めたことを示す蓮。悠は思わず、大声でツッコんでしまう。

(防犯カメラに映ってたらどうするんですか!)

(その時は、その時だ。あの化け物相手なんだ。動物保護団体も黙るだろ。毛が生えてるから可哀想だとか言われかねねえが……)

(蓮さんの口から動物保護団体という言葉が出てきたことのほうが驚きです……)

 クロレンスにはそういう団体はないというのに。日本の法律まわりにもあまり知識がなさそうというのもあり、悠は意外に思えてならなかった。

 

 すると、蓮は突然に口を噤んだ。何か気に触るようなことを言ったのだろうか。悠は訝りながらも、蓮に呼びかけてみる。

 ――蓮さん?

 だがやはり、蓮は答えない。一緒に窓を潜ってしまうと、表情を見て話せないのが何とも不便だ。いったい何故、突然に沈黙したのか予想することすら叶わないのだから。

 

 すると、蓮は悠を無視するように、淳一郎へ声を掛けた。

「あー、ジュンイチロー。とにかく下宿まで行こう」

「え、これ放っておくんか」

 淳一郎もまた、鋭さのあるまなこを瞬かせて、血の海と魔獣の屍たちを見ている。彼もまた、これをどうすべきかと思い悩んでいたのだろう。

 

 蓮は地面に放り捨てたバックパックやコートを拾いながら、

「通報だけしとくか?俺、説明すんのイヤだぞ」

「……それはまあ、そうやけど。防犯カメラとか見られたら一発やで」

「その時は、その時だ」

「相変わらず、そのへん適当やな」

 呆れた顔をする淳一郎。相変わらず、と言えるほどに仲が良くなっているとは。意外なことばかりに、悠はぽかんとする。

 

 蓮は人付き合いがあまり得意な方でない、というイメージがあるのだ。そしておそらく、そのイメージに齟齬はないはずなのだ。一年も付き合いのあるオリヴィアが、ハーヴェイを「無愛想」だと形容するのだから。

 

 だが困惑した悠を他所よそに、淳一郎は呑気に頭を掻いて、言葉を続く。

「これ、明日バイト先とかに警察来とったらどうしようなあ」

「その時は……どうしような」

「蓮が放棄したら、俺困るやん」

「まあ、俺達は悪いことしてねえんだし。大丈夫だろ。こんな生き物を野放しにした市が悪い」

 

 市にまで飛び火する蓮の開き直りに、淳一郎はガクッと脱力する。

「サバイバルナイフ備えとった奴にそれ言われると説得力ないなあ!」

「今どきの女子大生は自衛意識が高えんだよ」

「そっかあ……て、んなわけあるかい!」

 

 他愛のなさげに聞こえる彼らの会話は、何処からどうみても、仲の良い友人同士の会話である。素っ気ない口調だとしても、蓮もしっかり言葉を返している。

 たった半月で、あの蓮があんなにも他人と仲良くなれるものなのだろうか。悠は左の親指を噛む。

 

 ――なんか……見落としているような……。

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