116-[IN]Y/out_解消(2)
悠と蓮は、すぐに玄関へ走り、そのまま日本側の廊下を走った。次は
廊下を駆け抜け、階段を下りながら悠は声を張る。
「僕、蓮さんと話したいことがたくさん、あるんです」
「急になんだ」
並走していた蓮が眉を顰める。悠はまっすぐに階段の先にある部屋への入口を見据え、言葉を続ける。
「僕は、僕が何者なのかを知りたい。知って、自分は、自分なのだと確信したい」
蓮と共に、見つけ出せ。
「僕も一緒に行きたいです。邪魔はしませんから、どうかお願いします」
日本へ通じる窓の手前で、二人は立ち止まった。その窓は、乳白色の光のみを映している。誰も外には出ておらず、けれども潜れる状態である証だ。
だが蓮はそれどころでなく、悠にしか意識が行っていなかった。窓に複数人が潜れることを、蓮は知っている。うっかり
だがそれ以上に、魔獣のいる危険な場所へ、悠が自ら出たいと言い出すとは思わなかったのだ。
「お前、わかってんのか?今外へ出たら、痛みなんかも共有するんだぞ?」
蓮はわかりやすくも動揺していた。驚きもあるが、悠に傷付いて欲しくない、というのもあるのだ。それに、何よりも――否。
「わかってます。でも、知りたいんです」
「いや、出たとしてもお前の求めるものが知れるなんて保証は……」
「
騙されているのかもしれない。でも、何もしないで鬱々とするのはもう、厭なのだ。
蓮はピクリと眉を動かし、ぼそりと呟く。
「だから誰だよ、それ」
その声はあまりに小さくて、悠には届かない。だが、蓮が何処か不服そうな表情をしていることだけはわかった。怒るならまだしも、拗ねるとは思わず悠は困惑する。
「蓮さん……何か不味いこと、僕言いました?」
だが蓮は答えず、ぷいとそっぽを向いて応じる。
「何でもねえ。後悔しても知らねえからな」
そう言い放つと、蓮はさっさと窓へ向き直る。悠も急ぎ横に並び、言葉を継いだ。
「邪魔にならないよう、気を付けます」
蓮はもう何も言わない。表情が見えぬよう顔を背けているのもあり、悠には彼が今どんな気持ちなのか汲み取ることすら叶わなかった。ゆえに――その時、蓮が困惑して、気不味そうに顔を歪めていたことを、誰一人知る由もなかった。
✙
キイン、と刃と牙の打つかる激しい音が鳴り響く。
淳一郎は唖然として、眼前の光景を見ていた。いつの間にか、あの黒ずくめの人影の姿はない。
鮮やかで艶やかな戦いぶりだ。あと十数匹にまで追い込んでいた。だが、淳一郎はひやりとしたものを感じていた。
――なんや?なんか……。
体力切れだろうか。永月の動きが僅かに鈍くなりつつある。時々かなりギリギリのところで躱して、あと一歩で噛み付かれそうなんて時がある。ゆえに淳一郎はハラハラとして落ち着かず、冷や汗ばかりを掻いていた。
すると、淳一郎のいる場所まで後退して、永月が独り言ちた。
「あー、マズイ。そろそろ
「え、どないしたん?」
「ちょっと無理して外に出てきちゃったからね」
何を言っているのかわからない。だが永月はどうにも立っているのもやっとのようで、足元が少しふらついている。
――このままじゃいけないんや。どうにかせんと。
とにかく、何処かへ逃げ込めないか。淳一郎は周囲を見渡すも、そもそも他の犬が潜んでいるかどうかも判断つかない。
「……ぐ!」
やにわに響いたのは、永月の呻く声。
淳一郎がハッとしてすぐ傍らへ意識を戻すと、あの三つ目の犬が永月に馬乗りになり、取っ組み合いになっている。淳一郎は青褪め、無意識に叫んだ。
「蓮から離れろや!」
同時にその犬を強く蹴り上げ、犬の胴体が宙にところを強く拳を打ち付ける。あえなく、その犬は吹っ飛ばされ、向かいの倉庫へ叩き付けられた。
その素人とは思えぬ淳一郎の身の熟しに、永月はぽかんとして、言葉を落とす。
「君、すごいね……」
「い、一応体鍛えとるさかい。それに、格闘技のあたりは習っとる」
「マジ?」
「マジや。こんなところで嘘つくかい!」
淳一郎は漫才師のように永月の頭にビシッと手を当ててツッコミを入れる。永月はからからと愉快そうに嗤って、「それもそうだ」と応じ、さらに言葉を続く。
「でも君、ひとついい?」
「なんや」
「今のわたしは永月だし、この
気不味い沈黙が流れる。その
「……わかっとる。つい咄嗟にそっちの名前が出ただけや」
と言って、回し蹴りを披露する。
たとえ敵意を持った相手といい、獣の形をしたものを傷付けるというのは気が引けるものがある。とくに、現代日本のように、殺しに対して否定的な倫理観の中では。それに何よりも、牙が恐ろしい。よほど腕に自信があっても、再び素手で立ち向かおうなんて普通は考えないであろう。
淳一郎の横に立ちながら、永月がふっと口端を持ち上げて嗤った。
「でも、自分から危険に立ち向かうなんて……君はとてもお友達思いなんだね」
何処となく、含みのあるような、皮肉めいたような、そんな物言いだ。淳一郎は顔を顰めて、言葉を返した。
「なんか褒められてるように思えん言い振りなんやが」
「褒めてないもん」
きっぱりと言い切られ、淳一郎はガクッと脱力しかける。窮地に立たされていることには変わりないというのに、なんという緊張感のない会話か――他人が見れば、きっとそう感じる光景だろう。
永月は妖しい笑みを浮かべたまま、小さく言葉を落とす。
「これは、実に面白いね」
その声はあまりに小さく、淳一郎には届かない。永月がサバイバルナイフを持ち上げて再び犬の群れへ立ち向かおうとしたその瞬間。突然に永月はそのサバイバルナイフをだらり下ろし、今度は淳一郎にも聞こえる声で言った。
「……ナイスタイミングじゃん」
「は?」
淳一郎は思わず、間の抜けた声を上げてしまった。何故ここでナイフを下ろすのか。もう鼻と先まで、猛り狂う犬たちが迫ってきているというのに。まったくナイスタイミングな行動ではない。
すると、永月がゆらりと動いた。
そのまま素早くサバイバルナイフを右手に持ち替え、姿勢を低くして犬の顎から腹に向けて一閃する。
「クソ。なんだこの状況」
それは、低く少し舌足らずな悪態だった。
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