115-[IN]Y_解消(1)


 ブラックはその虚ろな目を見開いて、蓮を見て動きを止めた。張り詰めた空気が二人の間に流れ――すぐに歯を剥き出しにして、飛びかかって来た。その手には黄色いカッターナイフ。チチチと音を立てて刃を出している。

 蓮はすかさずそのカッターナイフを持つ手を蹴り上げた。

「たく、馬鹿の一つ覚えしかやがって。動きが単調なんだよ、クソが」

 言葉遣いが通常運転だ。

 

 体勢を崩したブラックの裾を掴んで転倒させようとする。だがすぐにブラックも反撃に出、蓮の腹を蹴飛ばそうとする。蓮は咄嗟に手を離して躱し、後退する。

 

 その一連の動きが両者とも速く、次の瞬間には二人ともまた距離を詰めていた。ブラックはカッターナイフを振り回して蓮を近寄らせまいとし、蓮はその猛攻を往なしながら懐へ飛び込む隙を伺っている。

 廊下の幅は狭い、というほどでもない。だが、カッターナイフを振り回すブラックの腕が身長のわりに長く、蓮はすれすれで避けている。

 

 あの動きを素人の悠が真似できるか?できるはずがない。蓮だけでなく、想像以上にブラックの動きが俊敏で、一部の攻防は悠の目で追いきれない。

 蓮はブラックが少し大振りにカッターナイフを振り上げたところを捉え、身を屈めてすぐに突進した。相手の判断速度も早い。すかさず、接近する蓮へカッターナイフを今度は振り落とそうとする。

 

「いい加減、大人しくしやがれ!」

 

 寸でのところでスライディングするように滑り込み、ブラックの腕を張り上げる。同時に横殴りに蹴りつけ、壁へ叩きつける。すべてが一瞬の出来事だった。

 蓮は休むことなくよろけたブラックの頭を掴んで床へ叩きつけ、そのまま上から圧し掛かって腕を握り潰す勢いで掴んだ。その蓮の握力に耐えられなかったのだろう。ブラックはあえなく、カッターナイフを取り落とした。

 

 すると、階段と玄関の両側からバタバタと足音が鳴らされた。その騒ぎを聞きつけたのだろう。階段を上がってきたヨナスが顔を出し、同じく玄関を開け放って紫苑が姿を現した。

 

「え、ユウにレン!?」

「うわ、いつのまに。どっかは湧いて出て来たんだよ!」

 二人して声を上げる。またしても窓を通さずに現れたゆえ、なおさらに驚かされたのだろう。両者とも真ん丸に目を見開き、あんぐりと口を開いたままになっている。

 

 だが説明をしている余裕はない。蓮はブラックを押さえつけたまま、声を張った。

「開いてる部屋を探せ!その中にぶち込む」

「え、開いている部屋ですか?それって誰かの部屋じゃないけど開いてる部屋ってことですか」

 

 悠は困惑する。ネームプレートのある部屋はすでに誰かの部屋だ。それ以外で扉の開く部屋がある。そういうことか。

 

 蓮は力いっぱいブラックを押さえつけたまま、頭を縦に振る。

「そうだ。どれか使えるようになっているはずだ。前もそうだった」

 

 前、とは住人が一人死んだ時ということか。だが、あまり時間かけているわけにもいかない。蓮がいつまでブラックを押さえ込めるのかもわからない、というのもあるが、日本側の魔獣の件もある。月夜つくよが暫く何とかするとは言っていたが、暫く、がどれくらいかはわからない。

 

 悠は頭を縦に振り、「わかりました」と答えると、紫苑とともに、ネームプレートは無いが、釘も鎖もされいない部屋を探した。ヨナスは蓮の元へ走って、ブラックを押さえるのを手伝った。

 だが、なまじ部屋の数があるゆえに探すのに苦労した。悠は玄関側から、紫苑は階段側から順に探した。

 

 ――蓮さんの部屋は、ずっと同じなんだな。

 

 部屋の配置も時々変わる。それが中の仕組みだ。悠の部屋も翌日には向かい側にあったり、少し右にずれたり左にずれたりすることもあった――だがそれでも何となくの勘とネームプレートが部屋まで導いてくれるのだ。

 

 だが蓮だけはずっと、玄関側のすぐ横。階段から玄関側への進行方向右側にある。ネームプレートも相変わらず一文字だけで「蓮」。読み仮名もないので、人名だとわからなければ、幼稚園の薔薇組、すみれ組みたいに、はすの花を意味しているのかな、なんて思ってしまう。

 

 ――て、そうじゃない。早く部屋を見つけなきゃ。

 

 悠はぶんぶんと左右に首を振り、両頬を張って気を取り直した。また廊下を早足に進み、左右両側の部屋を確認して回る。そしてふと、悠は足を止めた。

 

「……あ!」

 

 蓮の部屋から五番目の部屋。ネームプレートも、扉を固定する釘も鎖もない。悠は急ぎその部屋を指さして声を上げる。

「蓮さん、こっち開いてます!」

「扉開けて避けてろ」

 

 声を荒げて蓮が応じると、ブラックの腕をねじり上げ

 蓮は暴れ回るブラックの両腕を捻り上げ、立ち上がる。自分より上背のあるブラックを問答無用で引きずり、悠の指定した部屋まで連れて行く。そのかんもブラックは暴れ、精一杯首を曲げて、蓮に噛み付いた。

 

 かなり強く噛み付かれたらしい。血が飛び散り、蓮が僅かに顔を歪める。悠は青褪めて、声を上げていた。

「蓮さん!」

「騒ぐな、問題ない」

 

 蓮は悠にそう言うと、無理矢理ブラックを部屋の中へ放り投げた。一人の人間を軽々と投げるとは、あの細腕からは想像できぬ怪力である。

 ブラックが部屋の中へ放られたのと同時に、悠は咄嗟の判断で、扉を閉めた。――閉じ込めるのは可哀想だとは思うが、住人を殺して回るような者を野放しにするわけにもいかない――悠は全身の力で扉が開かぬようにした。

 

 蓮も一緒になって体で扉を押さえると、 

「そのまま押さえていてくれ」

 と言って、懐から鍵を一つ、取り出した。首から下げていたらしい。その鍵をドアノブ下へあてがうと、不思議なことに、鍵穴が現れた。 

 ――え、ウソ。

 

 悠は目を剥いてその鍵穴を見た。なんという不思議仕様。蓮の持っている鍵自体にも驚きは感じられるが……。蓮はその鍵を鍵穴に挿して回すと、その後すぐにドアノブにある外鍵も閉めた。

 すると、その扉にネームプレートが現れた。其処には、「BLACK」の文字。この部屋が、ブラックの部屋になったという意味であろう。

 そのネームプレートを見て安心したのか、蓮の後ろで、紫苑とヨナスがへたり込んだ。

「終わったあ」

 

 だが、悠と蓮だけは知っている。まだ終わっていない。蓮はブラックに噛み付かれて血の滲んだ腕をさすりながら、玄関を見据える。

「次、片付けるぞ」

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