112-[MID]Y_対話(1)


 蓮はきょとんとして、悠を見つめていた。

 悠から話をしたい、と言ったのが意外だったのかもしれない。悠が初めて中で目を覚ました以来、悠から蓮に話しかけることは滅多になかった上、そもそも互いに言葉を交わしたこと自体ほとんどなかった。

 

 息を深く吸い、悠は呼吸を整えた。

「話の前に。まず謝りたくて」

「謝る……何を?」

 蓮は大きな黄金こがね色の目を瞬かせている。こうしていると、幼さが目立つのだなと、と悠は感じた。

 

 彼は十二の時に一人、クロレンスへ送り込まれたのだと紫苑は言っていた。十二と言えば、まだ小学生だ。そんな年齢で一人、知らない世界へ放り込まれる。言葉も理解できなければ、それまでの常識がまったく通じない場所に独り。それは途轍もなく恐ろしいことだ。

 加えて、クロレンスは幼い子供が一人で生きていくには過酷な世界。日本よりずっと治安は悪いし、貧富の差も激しい。ハーヴェイの肉体がどんな出自なのか知らないけれど、それでも弱音を隠していなければ、周囲にいる大人たちと同じように振る舞わなければ、生きていけなかった状況だったのだ。

 

 だがそれは、本当の意味で大人になったわけではない。本来あった凶暴さもあったのだろうが、厳しい現実に振り落とされぬよう必死にしがみついて、きっと彼をもっと歪にさせたのだ。

 

 無愛想で、不躾で、敵に容赦がない。

 

 それは、本心を気取らせれば置いて行かれる。それは、敵に甘い考えを抱いていたら、殺されてしまう。そんな恐怖が、彼をそういう人間にしてしまったのかもしれない。

 そんな彼が、最も気を許していたのがきっと、悠なのだ。一度途轍もない恐怖と孤独を経験している彼が、そんな相手を失いたくないと必死になってしまう。たとえ過去を覚えていないのだとしても、そんな彼を突き飛ばして、あまつさえ死んでしまいたい、消えてしまいたいだなんて。

 

 悠はそっと蓮の手に、自分の手を添え、静かに言葉を落とした。

「一方的に喚き散らしてしまったことをです。何も事情を覚えていないのに……勝手に色々と決めつけて。すみませんでした」

「おい、やめろよ。悪いのは俺だ。お前のこと、何も考えてやれてなかった。本当に……ごめん」

 

 ――あ、泣いちゃいそう。


 何となく、悠はそう感じた。

 膝を抱え頭を少しうずめるようにしていた蓮はきゅっと唇を噛み締めている。手が小刻みに震え、黄金こがね色の瞳が大きく揺らいでいる。その動揺を必死にさとられぬようにとばかりに堪えている。

 

 ――本当はとても弱い子なんだろうな。

 自分よりずっと強い少年なのだと勝手に思っていたけれど、そんなことはない。彼は悠と同じように、否、きっとそれ以上に臆病な男の子なのだ。

 

 悠は穏やかな声で語り掛けるように言葉を掛ける。 

「僕たち、きっと話をする必要があったんです。だからまず、互いに互いを知るところから始めませんか?」

 

 自分が何を望み、何を望んでいないのか。本当の意味で理解出来ることはきっとできない。それでも、知っていると知らないでは、天と地ほど異なるというものだ。

 互いを知ることができれば、折り合いのつく関係を築けるに違いない。そうすればきっと、月夜つくよは言ったように、自分の知りたい答えに辿り着けるに違いない。

 

 蓮は俯いたまま、小さく頭を縦に振る。

「……うん」

 吃驚するくらいに素直だ。ハーヴェイとして怒り狂い、相手を追い詰めている当人だとはとても考えられない。オリヴィアが知ったら、どう思うのだろうか。ガッカリするのだろうか。それともそんなギャップもいいと言って喜ぶのだろうか。

 

 ――いや、何をどうでもいいこと考えているんだろう。

 

 付け加えるならば、下世話だ。そんな自分に呆れ、悠は苦笑する。此処に敵の類がいないのもあるが、自分で思っている以上に、自分は呑気で、余裕がある。

 悠は穏やかに目を細めて、微笑みかけた。

「まずは挨拶からやり直しましょう?」

「そんなところからかよ」

 

 掠れながらも、それでもいつもの憎たらしい調子で返そうとする蓮。悠はふふ、と苦笑いして、視線を合わせるように蓮の顔を覗き込む。

「形から入るのもきっと、大切なことだと思うんです」

「……お前、格好つけるの好きだもんな」

 

 ハッと蓮が鼻で嗤う。悠はぎょっとして言葉を返す。

「え!?今の話、そういうのじゃ……というか何の話ですか!?」

「女子学生どもにきゃあきゃあ言われるのが嬉しくて、わざとキラキラしくして、見た目も付けたくて肉体改造サークルなんてよくわかんねえサークルなぞ入りやがって」

「え、なんで知ってるんですか!?」

 

 まだ中でも、日本での生活の話をしていないのに。中では、そもそも余裕がなくて、猫を被って大人しくしていたのに。悠は目を回しながらあたふたとする。

 

 蓮は意地悪くへっと嗤い、

「言っとくが、さっきまで俺は日本に放り出されてたんだぜ」

「うわあああ!恥ずかしい!」

 

 嘘だろ、と悠は顔を手で覆った。そのうち話すべきだとは思っていたが、二十過ぎにもなって厨二病みたいで(いや、そうなのだが)恥ずかしくて、告白できていなかったのだ。そんな現在進行系な黒歴史を間近で見られてしまうだなんて。

 

 蓮は呆れたように深く嘆息して、言葉を継ぐ。

「でもお前、なおす気ないだろ」

「……くっ!」

 その通りすぎて、悠は言い返せない。女の体だと、どうしても女の子たちからは恋愛の対象として見られないので、女の子たちに「素敵!」と言われるとつい舞い上がってしまうのだ。傍目にはくだらないことかもしれないが、女の子にモテるというのは、男としては誇りなわけで。悠はぐっと唇を噛み締めながら、内心で叫ぶ。

 

 ――まあ、男としては見られてないんだけどね……!

 

 これで男として認められたらどんなに嬉しいことか。五十嵐くん、ステキ、カッコいい。そんなことを言われてしまったら、図に乗って壁ドンもお姫様だっこだってやってしまいそうだ。……リアルな女子がそれを喜ぶのかさだかでないが。

  

「ふ……」

 やにわに、蓮が吹き出した。悠がきょとんとしていると、蓮は愉快そうに笑い始める。

「はははは!」

 

「そんな笑うことですか」

「いや、つい。そんな真剣に悩むとは思わなくて」

 そう言いながら、蓮はまだ笑い足りないらしく、なおも笑いを堪えている。やや不本意だが、初めて蓮の笑顔を見た。だがそれは悪くない。

 

 とにかく、と悠は切り出すと、蓮に手を差し伸べて言った。

「僕は五十嵐いがらしゆうって言います。よろしくお願いします」

れん。苗字はない。……よろしく」

 悠の手を握り返すその手は、小さくて華奢な手だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る