111-out/[MID]Y_干渉(3)


「まったく、他所よそでも騒ぎを起こすなんて、悪い子だ」


 突然に、あおいの肉体がそう声を鳴らした。

 それは悠のように低く、涼やかになるように出している声とも、蓮のように悠と同じ低さはあるものの、何処か子供っぽい舌足らずさのある声とも異なる。女の、声だ。深く艶やかな女の声。

 その声で、すべての魔獣が動きを止め、恐れおののいたように後退る。

 

 淳一郎が呆気に取られていると、あおいの肉体が淳一郎を押し退けて上体を起こし、言葉を続く。

「よっと。この肉体からだは久しぶりだなあ。君は……二人のお友達?おっきいねえ」

 

 にっと口端を持ち上げて嗤う。悠も蓮もしない表情だ。淳一郎は茫然として、口を開いた。

「誰や?」

 

 その問いに、あおいに宿ったその誰かは「ううむ」と首を傾げ、

「名前は色々とあるけど……其処にいるお馬鹿さんにも分かるように言ってあげようか」

「お馬鹿さん……て?」

 

 気がつくと、あおいの視線は、淳一郎の向こうへ向けられていた。淳一郎もその視線を辿って自分の後方を見ると、其処には犬の形をした化け物たちの群れと、もうひとり。

「え、もうひとりおったんか」

 思わず、淳一郎は声を上げていた。

 

 その犬たちの真ん中に、小柄な人影がひとつ、あった。膝下丈の黒いダッフルコートに黒い長ズボンと闇に溶けて消えてしまいそうな服装をし、フードと黒いマスクで顔を隠している。

 

 あおい肉体からだは「よっこらせ」と言いながら立ち上がり、衣服に付いた土や砂を払い落とすと、その黒ずくめの人影と対峙した。

 

「わたしは永月えいげつ。久しぶりだね。何年ぶり?こっちで動ける肉体からだなんてよく見繕えたね」

 

 相手は答えない。向こうにとって予想外な出来事だったのか、僅かに後退りコートの袖から覗いている手をぎゅっと握りしめている。

 

 永月えいげつと名乗る彼は、地面に落ちたサバイバルナイフを左手で拾いながら、間延びした声で続ける。 

「まあ。武器もあるし、戦ってもいいんだけどさ。あんまりこっちでこういう騒ぎを起こしたくないんだよね。引いてくれないかな?」

 

 ヒュッと風を切る音を立てて、サバイバルナイフを左手に持ったままその人影へ向ける。その動きには蓮同様に迷いがない。だが、何処か優美さがある。その仕草のひとつひとつが、まるで音楽を奏で、舞っているよう。淳一郎は地面に尻もちをついたまま、そんな彼を見上げていた。

 

 おもむろに、永月えいげつは顔だけを淳一郎へ向け、変わらず妖しい笑みを浮かべて言葉を掛けてきた。

「そんな怖い顔をしないで。あの子たちならきっと大丈夫だよ。必ず来る。何とかなるさ」

 

 あの子たち、とは悠や蓮のことなのか。淳一郎は尚も言葉を発せず、そうしているうちに狗の群れが唸り声を上げて一斉に襲い掛かってきた。




                   ✙




 不意に、悠は覚醒した。

 其処は空一面、否、空間一面が夜空で覆われた場所だった。悠はすぐに其処が、中と外の狭間なのだと判ぜた。

 何故かその夜の空間で、投げ出されたように悠は寝転んでいたのだが――その姿勢のまま悠は首だけを動かして横へ視線を向けた。

 

「……!」


 悠は思わず、飛び起きて尻餅をつく。

 すぐ横にもう一人、横たわっていたのだ。それが濡羽色の髪の、十代前半くらいのあどけなさを残している少年であったので、いっそう驚かされたのだ。

 驚きを隠せないままにも、悠はその少年に手を伸ばし、黒髪を払ってその顔がはっきりと見えるようにした。

「蓮さん、ですよね?」

 彼が月夜つくよでないと思ったのは、何となくの直感だ。

 蓮は意識がないらしい。ぐったりと目を閉じたまま、動かない。悠は茫然としながらもまじまじと、蓮に見入った。前から常々思っていたが、こうして眠っていると、本当に天使のようだ。まつ毛が長く、ほんのりと薄桃色をした形の良い唇。東洋人の顔立ちのわりにすっと通った鼻筋といい、やはりハーヴェイを思わせる男の子だ。

 ――て、そうじゃない!

 ハッと我に返り、悠は自分の両頬を張った。その美少年ぶりについつい見惚れてしまったが、中はそれどころでないのだ。

 悠は蓮の体を揺さぶり、声を掛けた。

「蓮さん、起きてください」

 なかなかに意識を取り戻してくれず、悠は何度も何度も名を呼んだ。

 

 すると、蓮の目蓋が僅かに揺れて唇が小さく開いた。

「う……」

「蓮さん!」

 悠は蓮の顔を覗き込んでまた、呼び掛ける。ようやく意識を取り戻してくれた。悠はその安堵でホッとしていた。もう一度呼ぼうとしたその時、蓮がうっすらと目蓋を押し上げ、その下から黄金こがね色の瞳を覗かせた。

 

「……こ、こ?」

 

「蓮さん、僕がわかりますか?何処か痛いとか苦しいとか、ないですか?」

 その投げ掛けられた悠の声で、意識をはっきりさせたらしい。蓮は目を見開き、飛び起きた。

「お前……悠?え、ここ……何処だ?」

 きょろきょろとして、困惑している。蓮にとっても、狭間は初めてらしい。酷く周囲を警戒して、座ったままでも身構えているようにも思われた。

 

 ――あ。

 

 悠はふと、蓮の手が震えていることに気が付いた。ハーヴェイとして様々な場所を転々としているから、怖いものがないわけではない。気丈に振る舞って、何とも無いフリをしているだけ。見たこともない場所へ恐怖するのは、悠と同じなのだ。

 

 気が付けばほとんど反射的に、悠は蓮を抱きしめていた。

「蓮さん、大丈夫です。此処は中と外のあいだです。たぶん、敵なんていません」

 

 宥めるように、背中をぽんぽんと優しく叩く。こうしてみると、蓮の方が悠より小柄なのだと実感されるというものだ――蓮はようやく落ち着いたのか、低くそっけなく言葉を落とす。

 

「……たぶんってお前」

「えへへ。僕も長くいたわけじゃないんで、わからないんです」

 

 体を離し、悠は頬を掻く。クロレンス側の中と外の狭間には半月ほどいたが、あの時は月夜つくよとブラックがいた。今思えば、ブラックがいつ襲い掛かって来ても可怪しくなかったので、悠の「たぶん敵はいない」は嘘になる。此処に、悠や蓮以外の誰もいないなんて保証はない。

 

 ふと蓮を見ると、彼はこの上なく気不味そうにしていた。それもそうだろう。悠が言うだけ言って、それきりだったのだから。悠も今さらに気不味くなり、手を弄びながら、何とか話を切り出した。

「えと……お久しぶりです」

「……うん」

 

 いつもキャンキャンと吠えている蓮からは考えられぬほどにしゅんとして、借りてきた猫状態である。悠もあまり他人ひとのことを言えたものでなく、何度も口を開いては言い淀み、なかなかに言葉が続けられない。

 

 ――諦めるな。話を、するんだ。

 

 悠はきゅっと唇を噛み締め、それから蓮を見据えた。

「僕、君と話したいことが、たくさんあるんです」

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