110-R_干渉(2)
――クソ。まんまと罠に嵌まるなんて、
倉庫裏で、蓮は淳一郎とともに息を潜ませて、魔獣の様子を伺った。
この辺りは貸倉庫がずらりと並んでいる。その倉庫の合間を縫って、鋭い牙を剥き出しにした魔獣たちがうろうろとしている。
蓮の横で、可能な限りその大きな体を縮こませていた淳一郎は、ひそりと蓮に耳打ちをして問う。
「なあ、蓮。本当にあれ、何なんや」
また魔獣、と言っても言語が違うので通じない。蓮は暫く考え込み、低く忍び声で、
「ちょっと頑丈で、見た目がキモい
「説明が雑やな」
そうは言われても、魔獣に親しみのあるクロレンスの人間ですら、詳しく識る者がいない生き物だ。研究の類もまともにさらていないとも聞く。蓮は顰め面で応えた。
「俺も詳しいこと知らねえんだよ。あっちでも、知ってる奴いなかったし」
「
あっちとはクロレンスのことだ。目の前のことで手一杯というのもあるが、うっかりまた、クロレンスを匂わせる発言をしてしまい、蓮はまた舌打ちをする。
――平和ボケしすぎだ。クソ。
これでは、ハーヴェイとして戻った時に大変だ。冒険者の仕事のうっかりは命取りになる。とくに、戦士としての仕事をこなすハーヴェイでは。蓮はガシガシと頭を掻き毟り、言葉を溢す。
「クソ……
「あいつって誰や」
淳一郎の問いに、蓮は口を噤む。そのまま沈黙を貫くこともできるが……。不意に、蓮は尻ポケットに入ったスマートフォンの通知ライトが光ったのに気が付いた。
――また、か。
何の通知なのか、蓮はすぐに察せた。だが、誰が送信しているのか、未だに突き止められていない。
――舐めくさりやがって。
ふつふつとしたものが腹の底から湧く。その何者かの手のひらの上で踊らされていると思うと、いっそうその激しい感情が掻き立てられる。その怒りで我知らず、蓮は
『……どうやったんだか知らねえが、魔獣なんて連れてきやがって。何処にいやがる。いい加減、顔を出しやがれ』
さらに蓮はサバイバルナイフを握る手に力を込め、その目に爛々とさせていた。そんな蓮を見て何を気取ったのか淳一郎は眉を顰める。
「おい……何をするつもりや?」
その淳一郎の声には緊張の様相が付されている。何を話しているのかわからなくても、蓮のその冷酷な声、殺気立った息遣いから、不穏さを気取ったのだろう。
ほとんど無意識に、蓮はその問いに答えていた。
「……あの狗ども諸とも、始末してやる」
それは、獲物を追い詰めんとする、猛獣の目だ。淳一郎は焦りを覚え、大声を上げそうになるのを堪えながら言葉を継ぐ。
「ちょいちょい……まさか誰かを殺すつもりなんじゃあ……」
「あ?だとしたらなんだ。あのクソ野郎にナメられっぱなしになれってか?」
「誰を殺したいんか知らんが、此処は日本やで?刑務所送りにされてまう」
その淳一郎の指摘に、蓮は紫苑の言葉を思い出し、熱くなった頭が少しだけ冷ました。
くれぐれも、大人しく。
「……せめて、ボコして、締め上げる」
蓮にしてはだいぶ譲歩した方である。それでも今にも相手の喉笛を噛み千切りそうな勢いがある。淳一郎は冷たい汗を頬に伝わらせながら、問い掛けた。
「で、誰をボコりたいんや」
「その相手がわかってたら苦労しねえ」
「え、わからん相手を殺す気やったんか……」
何と恐ろしい。うっかり間違えた相手を殺してしまいましたなんて洒落にならない。淳一郎が呆気に取られていると、蓮は彷徨く魔獣へ視線を向け、睨め付けた。
「とりあえず、あの犬どもを片付けながら探す。どうせ近くにはいやがるんだ」
「想像以上に脳筋なやり方やな」
「あ?頭悪くて悪かったな。どうせ俺は小卒だ」
「へ?」
無論、淳一郎からすれば初耳だ。いや、話したとして信じるはずがない。十二の時に、蓮だけがクロレンスへ締め出されてしまっただなんて。ゆえに蓮は難しい漢字は読めなかったし、英語の挨拶も二次方程式も知らなかったし、解らなかった。
それが今や、大学の講義で発言できるようになっているのだが――その勤勉さや理解力の高さがいかに目を瞠るものなのか、当人は理解していない。
蓮はサバイバルナイフを手に、おもむろに倉庫裏から踏み出す。
『……俺は』
呟かれたのは、最も親しみのあるフロル語。蓮はサバイバルナイフを構えて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
『あいつを害する可能性はすべて、排除する』
何故、こんな場所へわざわざ来たのか。蓮はその
だがやにわに、蓮の鼓膜の奥でキインと耳鳴りがした。すべての音を搔き消し、頭蓋を割るような激しさのある耳鳴りだ。
――こんな時に……なんだ?
すぐ目の前に魔獣がいるというのに、手足の力が入らなくなる。淳一郎が蒼然として蓮を呼び掛けていることや、そんな淳一郎が飛び出して駆け寄ろうとしていることにも気付けない。頭の芯が痺れ、蓮は我知らず手に持っていたサバイバルナイフを落としていた。
次の瞬間。
(――――――蓮!)
それは、頭の内側から響く呼び声。ずっと聞きたかった、自分の不確かな存在を嘆いていた少年の声。
――ゆ……う?
――そこに、いるのか?
蓮の頭の奥で、最後に見て、聞いた悠の顔や声がフラッシュバックする。あんなにも必死そうに泣き叫んで、死んだほうがマシだったと哭く彼が、ずっとずっと、忘れられない。間違えたと後悔ばかりが胸の奥に燻り、思い出す都度に恐怖が支配する。
――もう、いやだ。
――独りは、もういやだ。
――おいて、いかないで。
気が遠のき、全身の力が拔ける。視界が暗転し、膝から
「蓮……お前は俺が守るさかい……!」
無論、そんな肉壁が長く
すると不意に、その蓮の指先がピクリと動かされた。
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