109-R_干渉(1)


 月がすでにない、晴れた土曜日の夜。

 張り詰めた空気の中、蓮と淳一郎は倉庫の物陰から現れたと対峙していた。

 

 その倉庫の物陰からぞろぞろと現れたのは、少し大きめの犬の群れである。否、正確には犬ではない。ぎょろぎょろと動く眼が三つもある、化け物だ。

 その化け物たちは牙を剥き出し、涎を垂らして蓮たちのそばへ躙り寄っている。僅かな街灯の光がその牙を鈍く光らせ、その鋭さを浮き立たせている。

 

「お、おい。蓮……」

 という淳一郎の声で、蓮はちらりと背後を一瞥する。いつの間にか背後からも犬に似たそれらがにじり寄り、蓮たちの逃げ場を塞いでいた。これは、簡単に逃がしてはくれなさそうだ。

 淳一郎はおろおろとしながらも、蓮の腕を掴んで言葉を続ける。

「なあこいつら……何なんや?犬……ちゃうよな?」

「……」 

 蓮は答えない。蓮はひと目で、それらが何であるかをさとっていたのだ。じっと眼前で唸り声を上げる犬たちを見据えて、蓮は低く独り言つ。

「あいつ……巫山戯んなよ、クソ野郎」

「は?」

 呆気に取られる淳一郎を他所に、蓮はおもむろに背負っていたバックパックや羽織っていたコートを掴み、地面に放り捨てた。蓮のその落ち着いた様子に淳一郎は唖然として、声を上げる。

「ちょ、ちょいちょい!何してんのや蓮!」

「あれは『魔獣』だ。お前は……まあ、見たことねえだろうが、道を譲ってくれるようなお優しい相手じゃねえ」

「へ!?は!?今、なんて言うたんや!?」

 

 英語でもドイツ語でもないその単語に、淳一郎は困惑している。仕方がない。蓮はその単語をどう日本語にを知らないのだから。

 魔獣――クロレンスにおいても希少な存在である不思議な生き物。蓮はじっとその魔獣の群れから目を離さず、腰元にさり気なく備えていたウエストポーチを右手で触れると、冷たく言葉を吐き捨てる。

 

「死にたくなかったら、俺の近くから離れんなよ」

「はあ!?……て、何でんなもん持っとるねん!」

「今時は便利だな。護身用の道具グッズがボタン一つで届くんだからよ」

 

 ウエストポーチから蓮が引き出したのは、サバイバルナイフ。インターネット音痴でも何とか入手した代物だ。無論、淳一郎はツッコまないではいられない。

 

「何、物騒なこと言ってんねん!……て、スタンガンまで装備しとるんかいな!」

 

 眼球が飛び出しそうなほどに淳一郎は目を剥いている。サバイバルナイフの傍ら。ウエストポーチの中にチラリと電極の付いた黒い物体が垣間見えたのである。

 

 ウエストポーチのファスナーを閉め切ると、蓮はあっさりとした様子で言い返す。

「相手が人間の形をしてたら、殺せねえしな」

「殺すとか殺さないとか、発想が物騒すぎやないか!?」

 

 日本育ちの淳一郎が騒ぎ立てるのも致し方のないことなのだが、蓮は思わず舌打ちをする。

「おい。騒ぐな、ジュンイチロー。こちとら、戦闘で訛ってんだ。てか、この体だと初めてなんだよ――集中させろ」

 

 そう言い放ち、蓮は数回軽くジャンプをしてからすっと身構える。その妖しく垂れた黒い瞳は獣のごとく爛々と燃えていた。

 刹那。

 犬が飛び出すとともに、蓮もまた足を踏み出していた。姿勢を低くして、サバイバルナイフの刃を一閃させる。その刃は一匹の喉を掻き切っており、赤い血潮が吹き出して辺りに飛び散る。蓮はその切れ味に、口笛を吹く。

「思ったよりデキがいいじゃねえか」

 インターネットでワンクリックで買ったので、いっそ調理用包丁の方がいいのではないのか、と蓮は懸念していたのだ。蓮はサバイバルナイフで別の個体を薙ぐとひらりと突進してくるもう一匹を躱し、その腹を強く蹴り上げる。

 

 ――クソ、戦いづらい。

 非戦闘員を連れての戦闘は問題ない。冒険者でも、護衛業は多くこなして来た。

 

 だが問題は、肉体だ。

 だいぶ動けるようになったが、やはりひ弱な女の体だ。鍛え続け、幾度も実戦に投じていたハーヴェイとは異なる。蓮は襲い掛かる魔獣を穿ち、斬り払う。時には拳や蹴りだって、拾った石を使った目眩しだって使う。だが、とにかく決め手に欠く。威力が弱すぎる。

 

 蓮は試しに、スタンガンをもう片手に握った。こういう、通電している機器を魔獣に向けたことがない。

 クロレンスにはまだ、銃器すら少ないのだ。あるにはある、と聞く。だが、その用途は音で驚かせるくらいで、とにかく性能が低い。ゆえに金持ちのパーティーであるブルック隊も銃器には手を出さない。

 

 一匹の魔獣が飛び出して、蓮の懐へ飛び込もうとする。蓮はすかさず、スタンガンの電源をオンにした。

「――クソがっ」


 キャンッ!


 スタンガンを押し付けられた魔獣が鳴き声を上げた。どうやら、効き目はあるらしい。まったく当てにしていなかったので、嬉しい誤算だ。蓮は動けなくなった相手を蹴り上げ、他の個体も感電させて一時的に無力化する。

 

 すると、倉庫の連なる方角に僅かな隙間道が開かれる。蓮は棒立ちになっている淳一郎へ声を鳴らす。

「ジュンイチロー、走れ!」

「お、おう。蓮は!?」

 ハッと我に返ったように淳一郎は言葉を返す。蓮は感電したものの、少しずつ回復しつつある魔獣を一瞥するや、舌打ちをし、

「いいからさっさと行け!」

 

 淳一郎が困惑しながらも、倉庫方面へ走り出すのを認めると、蓮も続いた。

 

 魔獣退治に来たわけではないので、本音を言えば逃げ切りたい。だが、放っておくわけにも行かないのも事実。クロレンスと異なり、代わりにこの魔獣たちの相手をしてくれる兵士も冒険者もいないのだ。こんなのが彷徨いていては、蓮も安心して日本で生活できない。

 蓮は無償タダ働きはしない主義だが、今回ばかりは諦める他あるまい。とりあえず淳一郎を逃がしつつ、この獣たちを始末する。これしかない。

 

 走りながら、蓮は悪態付く。

「……たく。なんで日本には『冒険者』いねえんだよ」

 

 どころか、町中で武装しているのが警察しかいない。その警察も拳銃一丁しか持っていないし、その拳銃の発砲も容易に行えない。それゆえに治安がいいとも言えるのだろうが、クロレンス育ちの蓮には考えられない無防備さである。

 

 気が付けば並走している淳一郎が、足を止めることなく疑問を口にする。

「さっきからちょくちょく何語話してんねん!」

「『フロル語』だよ。俺の母語だ」

 

 クロレンスの公用語はフロル語と言う。商業の活発な国なので、他にもグルト語やゾール語なんていうのもあるが、ハーヴェイたちが日常で扱っているのは最も一般的ポピュラーなフロル語である。

 でも蓮はたいたい、このフロル語を扱う。いつの間にか他の住人たちもそうなるようになり、中での公用語もフロル語になってあるのだが。

 

 淳一郎は困惑顔で言葉を続ける。

「はあ?今言った言葉も何言うてんのかわからんかったで」

「悪かったな。日本に約語がねえんだよ!いいからこっち来い!」

 そう声を荒げると、蓮は淳一郎の腕を引き、倉庫裏へ飛び込んだ。

 

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