108-[IN]Y_脱出(4)


 悠の問いに、紫苑もヨナスも困惑顔を浮かべた。ずっと狭間に閉じ込められていた悠は知らないが、悠やブラックと同様に、蓮もまた行方知れずなのだ。

 

 紫苑は深く嘆息すると、そのことを悠に伝えた。

「実は、蓮も何処にいるのかわかっていないんだ」

「え……蓮さんが?」

 悠は目を見開いた。

 いや、予想していなかったわけではない。そもそも悠は初めから可怪しいと思っていたのだ。

 ハーヴェイとして生活していないのならば、中にいるはず。確かに悠が一方的に怒鳴り散らしてしまったので気不味さもあるだろうが、それでも二階でこんな大騒ぎをしていて、あの蓮が駆け付けないはずがない。此処にいない、と言われたほうが納得が行くというものだ。

 

 ――月夜さんは、蓮さんの状況を知らなかった?

 蓮の元へ走れと指示をした月夜。あの何でも知っていそうな彼が、状況を把握していないだろうか。否。

 ――それでも、走れと言っているような気がする。

 

 悠は顔を上げると、紫苑とヨナスを順に見て、問い掛けた。

「あの。蓮さんがいそうな場所に、心当たりはありませんか?」 

「ハーヴェイの方にいなかったのならば、あおいだと思うのだけど……。でも、確信はできないんだ。日本側の窓、ずっと何も映していないから」

 答えたのはヨナスだ。

 彼は日本側の管理を任されていたのもあり、不通になった後も毎日窓の様子を確認しに行っていた。だが一向に、変化はない。ずっと真っ暗なままなのだ。

 

 ヨナスの言葉で、悠は廊下の先にある玄関の扉を見据えた。

「日本……」

 蓮に近寄るな、と言われた日本側へ通じている扉。うっかり一度少しだけ足を踏み込んでしまったが、それでもその先にある階段も、その下に広がるリビングダイニングも悠は見たことがない。悠はその玄関の扉から目を離すことなく、言葉を続く。

「日本の窓の近くへ行ってもいいですか?」

 

 その悠の言葉は、ほとんど無意識に発せられた言葉だ。そんな独り言のような悠の言葉に、ヨナスは顔を顰めた。

 

「いや、でも。何もできないと思うよ?」 

「僕やブラックさんが戻ってきたんです。もしかすれば、あっちも何か変化があるかも」

「まあ、そうだけど……」

 

 悠はようやく紫苑やヨナスへ視線を向けて、問い掛ける。

「クロレンスの窓は陽茉ひまりちゃんが見ているんですか?」

 蓮同様に陽茉ひまりも駆けつけて来なかった。だが陽茉ひまりは消息不明だという話が持ち上がらなかった。となると、あえて駆け付けていないことがある。陽茉ひまりはその大人しい性格ゆえか頼まれ事をよく引き受けているきらいもあるので、もしかしてと悠は考えたのだ。

 

 肯定の意を示すように、紫苑が頭を縦に振る。

「あ、ああ。そうだよ」

 そうですか、と答えると、悠は未だにドンドンと叩かれる自分の部屋の扉を見る。まだ外鍵が破壊されるほどではないが、いつ蹴破っても可怪しくはない。

 

「さすがに一人にするのは怖いので……紫苑さんかヨナスさんか。どちらかが陽茉ひまりちゃんの近くに行ってあげてください」

「じゃあ、男であるオレが行こうかな。暴力は苦手だけど……」

 と自信なさげにヨナスが手を挙げる。悠と同じで、女の子に危険なことをさせたくない、という紳士的な信条があるらしい。悠は深々と頭を垂れて、

「よろしくお願いします」

 と言うと、玄関へ体の向きを変える。とにかく、一刻を争うのだ。紫苑も悠に続いて「ぼくはユウと一緒に行くよ」と言うと、三人は各々の目的地へ向けて走った。

 

 玄関の先は、白を基調としている以外、悠の知っている場所とよく似た場所だった。あの時、蓮と喧嘩したあとに入った時と異なり、廊下の長さも同じくらい。

 ――なんか、あの時と様子が違う?


 悠は不思議に思った。本当に、クロレンス側と何も変わらないのだ。お陰ですぐ、階段に到達して、悠たちは階段を下っていた。 

「わあ……本当に、よく似ていますね」


 黒いキッチンカウンターに銀色のエスプレッソマシンの置いてあるオープンキッチンと、静かな光を灯す三灯のペンダントライトの下、二つのソファと一つ足のサイドテーブルのあるリビング。

 あおいの実家に似ているが、所々異なる――ベランダの窓を除いて窓がひとつもない空間。そのベランダの窓は古びた木の扉で塞がれている。あの窓こそが、日本に通じている窓であろう。

 

 悠はその窓の近くへ歩き寄った。

 木の扉は開けられ、黒塗りの窓が垣間見えている。ヨナスの言う通り、何も映さず、何も鳴らさない。悠はその窓の表面に手を添え、撫でてみる。やはり何も起こりはせず、冷たい硝子の固さだけが手に伝わった。

 

「ユウ……レンはいったん諦めて、ブラックを抑える方法を考えたほうがよくないかい?」

 悠の後方から、紫苑がそう言葉を掛ける。悠はそれでも振り返らず、じっと黒い窓を見つめていた。

 

 月夜は言った。蓮の元へ走れと。それが、ブラックに関することのためなのか、それ以外のためなのか、その真意はわからない。だがどちらにせよ、月夜に言われなくとも、悠は蓮を訪れる理由がある。

「それはそうなんですが……。でも僕、蓮さんに用事があるんです」

 こうも月夜は言っていたのだ。自分のことを蓮と一緒に知れ、と。この不確かな自分の存在を、この不明瞭な自我を、確固たるものにしたい。だから、蓮と直接会って話をしたい。

 

 すでに一度、蓮と喧嘩紛いなことをしているのを見ていたゆえ不思議に思ったのだろう。紫苑は訝った顔をして、言葉を返す。

「君が?」

「はい。だから、何としてでも見つけてないといけなあんです」

 言い終えると、悠は拳で窓を叩いた。初めは扉をノックするみたいに軽く。それから少しずつ力を込めて叩き、悠は声を張った。

 

「蓮さん、聞こえますか?其処にいますか。聞こえたら返事してください!」

 

 窓からの反発力で、手にじんじんとした痛みが籠もる。割れるのではないか、と思われるくらいに強く叩いているのに、不思議と窓硝子自体はビクリともしない。

 

「蓮さん!あの時のこと、謝りたいんです。話したいことがあるんです。だから、お願いだから……戻って来てください!」

 

 無茶を言っているのは百も承知の上である。きっとこの、窓の不調という現象は不可抗力なもので、悠や紫苑は無論のこと、蓮にもどうにもできないものだ。

 けれども、悠はそれでも声を掛けるのを止められない。この声が届くことを祈らずにはいられない。

 悠は息を吸い込み、精一杯の声でまた呼び掛けた。

 

「――――蓮!」


 するとやにわに、悠の窓を叩く手が、窓をするりと

 

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