107-[IN]Y_脱出(3)


 バイバイ、また会おう。

 わたしの目的も、役目も此処までだよ――白い光の中で、月夜の声がそう言った。

 

 次の瞬間。

 

 悠は放り出されていた。床に叩き付けられ、鈍い痛みに息が詰まる。

「痛たた……ここ……」

 

 涙目になりながらも、悠はうっすらと目を開け、すぐに唖然とした。

 其処は窓のない、小さな書斎のような場所だ。妙に荒れているが、書棚には小説や専門書がびっしりと並べられ、白い布団の被せられたふかふかの寝台ベッドがある。寝台の横にはクラシカルな机と、小ぶりなブラックブラウンのソファ。――見紛うことなく、中の自分の部屋である。

 

 どうやって此処まで、と問いたいが、そもそも悠には窓を潜った記憶がない。いつの間にか、あの一面夜空の空間にいたのだ。

 悠が茫然としていると、部屋の外からドタドタと走る音が鳴り、バタン!と扉が開け放たれた。 

何事なにごとだい!?」

 

 同時に声を飛び込ませたのは、筋肉質で上背のある女、紫苑である。そんなに付き合いが長いわけでも、加えてそんなに離れていたわけでもないのに、悠にはとても懐かしく思え、意図せず彼女の名を呼んでいた。

 

「紫苑さん……」

「え、ユウ!?窓の外にいたんじゃなかったの!?」 

 紫苑は悠を認めるなり、目を真ん丸に見開く。悠が其処にいるのをよほど予想外に思ったのだろう。そもそも何故、悠が窓の外にいたのを知っているのか。悠は困惑して、言葉を継いだ。

 

「え?なんで知って……あれ……どなたですか?」 

 紫苑のすぐ後ろ。其処には十代後半くらいの、亜麻色の髪に青い瞳の少年。背の高い紫苑より上背のある、西洋人――悠は見かけた住人だ。

 その亜麻色の髪の少年は眉を顰めて、

「え、ヨナスだけど……オレらすでに顔合わせたよね?」

「僕は初めてお会いしましたけど……」

 互いに困惑顔である。だが、のんびりと話す時間は与えてくれない。

 

 ドスンッ!と床に何かが落下したような音と同時に、襟首が掴まれ、悠は後ろへ転倒した。

「うわっ……!」

 慌てて悠は首だけで振り返ると、其処にはひとりの少年。十代半ばほどで、背丈や体格は悠とさほど変わらない。おかっぱにした黒髪の下には、虚ろでどんよりとしたまなこが覗いている。

 ――え、誰?

 

 悠が唖然としていると、ヨナスと名乗った少年が顔を引き攣らせて声を上げる。

「げげ、ブラックまで」

「ブラック、どこから……!?」

 紫苑も同様で、そのおかっぱ頭の少年をブラックと呼ぶ。悠は驚かされた。あの中と外の狭間で見た時とだいぶ姿形が異なる。――自分がそうでない、と断定できないが。悠は、あの夜の空間での自分の姿を知らない。鏡になるようなものがなかったからだ。

 

 だが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 悠はじたばたと暴れ、たまたまブラックの腹に肘鉄を食らわせる形になる。だが効果はあったらしく、襟首を掴む力が緩んだ。悠はその隙を付いて、ブラックから離れ、紫苑たちの方へ走って逃れる。

 

 紫苑も好機チャンスと思ったのか、悠の腕を引き寄せて、ヨナスへ向かって声を張る。

「とにかく、部屋から出よう!」

 

 三人はブラックが体勢を立て直す前に、悠の個室から飛び出した。急いで扉を閉め、外鍵を閉める。中にある部屋の全ては外鍵なので、こういう時は助かったと言わざるを得ないだろう。

 ドンドンと扉を激しく叩く音が鳴らされるも、次第にその音もしなくなる。諦めたのだろうか。暫くは問題ないと考えてよいのだろうか――紫苑は青褪めながらも、悠へ問い掛けた。

 

「……君の部屋はいつの間に、亜空間ゲートとか、どこでもドアみたくなったんだい?」

「僕も聞きたいですよ!」

 

 まさか中と外との出入りが、個室で行われるなど、悠も想像していなかった。確かに、中の仕組みは誰も知らないので、そんな事が起きても可怪しくはないのだが……。

 

 すると、悠や紫苑から少し離れた場所に立っていたヨナスが手を上げた。

「それより、何がどうなってるのか教えてくれない?というか、つい昨日までこっちに行き来してたのは誰なのさ?」

「行き来……?」

 

 悠はきょとんとして、紫苑を見る。紫苑も困った、という風に顔を歪めている。

「ぼくたちは、ユウがハーヴェイとして生活していると思っていたんだ。君が最後に、中にいた記憶はいつだい?」

「ええと……その……蓮さんと喧嘩っぽくなって……それから数日くらいです。たぶん、最近ハーヴェイとして紫苑さんたちと話をしていたのは月夜つくよさんだと思います」

 

 悠は今さらに、月夜が「三箇所同時に」意識するのが大変だと言っていた理由を理解したのだ。きっと彼はハーヴェイとして、オリヴィアたちと、月夜として悠と、さらに悠(のフリをして)として紫苑たちと会話をしていたのだ。

 どういう仕組みなのか解らないが、彼は自由自在に姿形を変えていていたのだ。悠のフリだって出来るだろう。何故わざわざフリをしているのかはさっぱり理解出来ないが。

 

 悠はふと、紫苑とヨナスの二人がきょとんとしているのに心付いた。

 ――あ、そうか。

 月夜つきよはその場で名乗る名前を決めていた。もしかすれば、紫苑やヨナスの知っているものと違うのかもしれない。悠はあたふたとしながら説明しようとするも、すぐにその難しさに気が付いた。

 ――ん?

 彼を説明するすべがない。姿形も名前も偽り。彼を形容する言葉と言えば気ままで自由で、楽天的なことだが、それすらも嘘だとしたら?

 

 悠はとりあえず、これまであったことを説明することにした。

「えっとですね、実は……」

 

 中と外の狭間のこと、ブラックともうひとりがその場にいたこと。その話を聞いて、紫苑もヨナスと思い当たる節がなかったようで、二人して、

「初めて聞いた」

 と言った。

 さらに紫苑は、

「でもその人物像……何処かで聞いたことがあるような、ないような……一時期は住人がたくさんいたから、その時の話で聞いたのかな……」

 

 その紫苑の呟きで、悠は月夜の言葉を思い出した。紫苑すらも「事実」を知らないのだと。そして。

 

 蓮のところまで走るんだよ


 という言葉を。

 

 すると再び、ドンドンと扉を叩く音が鳴り始め、悠を含めた三人は我に返った。扉がガタガタと揺れ、その鍵すらも打ち破りそうな勢いだ。

 それを見てヨナスは、創作顔をして言葉を溢す。

「そういやブラック、自力で部屋脱出したんだった……」

 つまり、悠の部屋を脱出するのも時間の問題。今此処にいる面子には、護身術などを扱える者はいない。

 ――どちらにせよ、蓮さんが必要、てことか。

 月夜がいれば、彼もまた武術に長けていそうだが、彼は忽然と姿を消してしまった。そうなると、冒険者として体術を身に着けて来た蓮しか、あの暴れ狂う住人を抑え込めない。

 

 悠は大声で紫苑とヨナスへ問い掛けた。

「蓮さんは何処ですか!?」

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