105-[MID]Y_脱出(1)


 ずっと、探し求めていた。

 確かな何かを。

 存在自体が不確かで、今の気分すらもまことに自分の感じているものなのかと疑わしくて。

 

「……やっぱり、俺のことも覚えていないか」


 寂しそうな顔をして、まだあどけなさの残る少年はそう言った。

 

 成長期手前の、中学生のように華奢で小柄な少年だ。顔立ちもまだ男のそれではなく、言動ばかりが自立した大人――というには荒々しいけれど――のような歪な少年。

 中での時間の流れなんてものは分からない。紫苑は彼がまだ中学生くらいの心をしているのだと言っていたけれど、彼を深く知らない自分にはどうにも判断が付かない。子供っぽい大人なのか、子供の振りをしている大人なのか。それとも、本当に子供なのか。

 だからなおさら、本当は何を思ってあんなにも切実そうに言葉を掛けてきたのか。どうしてあんなにも自分のために無茶ができるのかも。

 

 わからない。

 すべてが、わからない。

 

「蓮と一緒に見つけることだ」

 本当の姿も名も伏せた、その人はそう言った。自分のことを自分で知れ。そしてその時には、蓮とともに、と。男なのか女なのか、年寄りなのか若者なのかすら判らない、全てが不定で不明瞭な彼はそう言って、口を噤んだ。


 彼はそれ以上何も教えてはくれない。


 わからない。

 すべてが、わからない。


 でも――知りたい。知って、自分というものを確実で明白なものにしたい。自分勝手だと言われるかもしれない。それでも、今からでも許されるのであれば、あの少年に会って謝罪したい。そして、話を聞きたい。自分の知らないこと、彼も知らないこと、これから二人で知らなければならないこと。たくさん、たくさん話したい。


 ――だから、早く。

 早く、この中と外の狭間から出なければ。月夜の言っている、用事とやらを早く、終えてもらわねば。悠はぼんやりと、ハーヴェイの視界を見詰めていた。

 

 映し出されているのは、薄暗いオルグレンの宿の一室だ。誰かと相部屋らしいけれど、その相手は首都の用事で不在だ。ゆえに無駄に広い一室の中には、彼しかいなかった。

 月夜が何を思ってハーヴェイの肉体でぼうっと窓を眺めているのかは定かでないが、ハーヴェイは長いことそうしていた。細工の細やかなステンド・グラスだ。その幾何学文様ともとれる文様が何を表しているのかすらしらないけれど――何処かを感じさせられる文様だ。

 

『…………で』

 ふと、悠は何かの音を聞いた。

 直感で、ハーヴェイの耳の捉えた音ではない、と感じた。それは外から聞こえたのではない。自分のから届いたのだ。そして、この音には覚えがあった。

 ――同じだ。

 クロレンスでハーヴェイとして目を醒ましたばかりの頃と。あの時はいったい何の声なのだと恐怖したけれど、紫苑があれは蓮の呼びかけていた声だったのだと言っていた。ならば、この声も、同じなのではなかろうか。

 悠はじっと。耳なんてものは今ないけれど、それでもその声を聞き取りたくてひたすら意識を集中させた。

 

『ルー……い…………』

 

『……を……いで……』

 

『……、……おいて、いかないで』


 それは、泣いているような、そんな切実な声。知っている彼よりもうんと幼くて、舌足らずな声。悠は茫然とした。何故、そんなにも悲しそうなのだろうか。いったい、何から置いて行かれるのだというのか。聞いているだけで、こちらまで苦しくなってくる。

 

 ――僕は此処だよ。


 そう、優しい声を掛けて、手を差し伸べたくなる。泣かないで、僕がそばにいるよ、と抱きしめてあげたくなる。

 

 悠が目を伏せて、その声に向けて声を鳴らしかけたその瞬間。

「おーい、生きてる?」

 

 やにわに、目の前にハーヴェイもどきが現れた。思わず悠は飛び上がり、「うわあ!」と声を上げて尻餅を付いた。いつの間にか、ハーヴェイの肉体は眠ってしまったらしい。其処は中と外の狭間の、何処までも夜が続く空間の中だった。

 

 悠はムッとしながらも、声を上げた。

「び、吃驚させないでくださいよ、月夜さん」

「そっちがぼーっとしてたんじゃん。何度声かけても返事がないしさ。抓るか抉るか考えちゃったじゃん」

 

 其処は抓るか叩くか、ではないのか。何と恐ろしい方法。それでは気付けではなく気絶を招いてしまう。無論、その月夜の問題発言へツッコまずにはおられず、悠は声に出す。

「抉るが選択肢に入ってるほうが驚きなんですが!?」

 

 真剣に冷や汗を搔いている悠をよそに、月夜はニギニギと手を動かして見せて、にんまりと嗤う。

「大丈夫だよ。痛いのは気分だけで、本当に肉が無くなるわけじゃないし」

「でも痛いんですよね!?」

 

 中でも不鮮明とはいえ、痛みというのは存在する。滑っても転んでも、痛いものは痛い。そんな中眼球を掻き出したり、舌を引っこ抜いたりしたらどうなるのか。想像もしたくない(その割には具体的な例を挙げていることにはツッコまない)。

 

 月夜はというと、からからと笑って呑気に恐ろしいことを吐く。

「まあね。人によっては廃人になるかも?」

「なおさら止めてください!殺す気ですか!」

「冗談だよ、冗談。でも、覚えておいたほうがいい」

 

 ふと、突然に月夜が真剣な眼差しを向けた。其処には先ほどまでの悪巫山戯けの様相はなく、悠はごくりと固唾を呑む。

「……何を、ですか?」

「君は特に無防備だからさ。ずっと守られっぱなしはイヤだろう?」

 

 いつまでも、結論を言ってはくれない。悠はじれったさも感じて、同じことを問い返す。

「だから、さきほど何を……」

 

 だが、おもむろに月夜の細い左の人差し指が悠にあてがわれ、悠はそれ以上言葉を発せなくなってしまった。月夜は変わらず口端をにっと持ち上げて嗤い、言葉を続ける。

「君は、身を守る方法を知るべきだ、と行っているんだよ。知ってる?元々、にはもっとたくさんの住人がいたんだよ?」

 

 それは紫苑も似たようなことを言っていた。中の住人は突然に増えたり減ったりするのだと。だが悠は未だにそのような光景を見たことがない――月夜は悠の表情から何かを察したらしい。妖しい笑みを浮かべたまま、言葉を加えた。

「あの子が何を言ったのかは知らないけど、きっとそれは半分正解で、半分不正解だよ。あの子は新参者だからね。事実を知らないんだ」

 あの子、とは紫苑のことか。事実とは何だ。いったい、紫苑ですらも何を知らないとい言うのだ。悠は目を見開いて、月夜を見た。

 

 するとふと、月夜が指を離し、後ろへ退いた。

「ほら、後ろ。避けたほうがいい」

「え?」

 月夜の言葉で、悠は振り返ろうとする。

 

 だが、叶わない。悠は突然に首を掴まれ、叩き付けられていた。

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