104-R_聖夜(5)


 夜の十時過ぎ。蓮がバイト先の書店から出ると、外はクリスマス・イブであった。

 此処は下宿の最寄り駅より数駅先にある駅の近くただ。すでにほとんど新月に近い月は沈んでいて、空に月はない。

 そんな黒い夜空の下、手抜きのイルミネーションが街路樹を彩り、学生カップルが愛を囁やき合う……のではなく独り身の男子学生がコンビニエンス・ストアで安物のチキンを購入して帰宅している。そんなコンビニエンス・ストアの前にはにこにこと青ざめた唇を引き攣らせるミニスカサンタがいる――そんな悲惨な光景を前に、淳一郎が何気なく言葉を溢した。

 

「俺らもチキンでも買って帰るか、蓮?」

「……なんでだよ」

 

 マフラーに顔を埋めながら、蓮は悪態付く。クロレンスより寒くないというのに、この体はどうにも寒がりで堪らない。お陰でダッフルコートの下にも厚手のパーカーを着込んでいる。その横で、ダウンベストと身軽な淳一郎がのんびりとした声で言葉を継ぐ。

 

「一応、日本人はクリスマス・イブだけ騒ぐ慣わしなんやで」

「知るかよ。食いたきゃ勝手に食え」

「蓮は何食うねん」

「カレー」

 

 きっぱりと答える蓮。何が虚しくてクリスマス・イブにカレーを食うのかと言うと、別に好物というわけではない。淳一郎は切れ長の目を半眼にしてツッコミを入れる。

 

「それ昨日もちゃうかった?」

「余るんだよ。クソが」

 

 自炊あるあるである。生活費節約のため、蓮は必死に手料理を覚えたのである。

 野山で捕まえてきたウサギ鹿しか、魚を一から捌いて丸焼き、が手料理の定番な蓮にとって、ガスコンロやら炊飯器やらを駆使した料理は発狂ものである。何度も鳥のムネ肉を素焼きにする、目玉焼きで済ませる、をやろうかと思ったものだ。

 というより、そっちが未だに主だ。ちょっとたまには栄養を摂るかと思うと、数日も同じものを食べ続けるという苦行が待っている。

 

「なら俺も消費手伝おかな。こないだ、麻婆豆腐手伝ってもろたし」

「しばらくあれは作るな……クソ野郎」

「蓮ってお子ちゃま舌やなあ。そんな辛いのダメか」

 

 わざと広東かんとん風でなく激辛の四川しせん風を選んでおいて……と蓮は悶々と恨めしそうに淳一郎を睨め付ける。

 

 二人は電車に乗った。下宿のある町へ行くためである。帰宅中の社会人や同じような学生が犇めいて、車内はほんのりと酒の匂いがした。どうせ、誰か飲んでいるのだろう。そんな匂いを嗅いで淳一郎が、

「俺も飲めるようになったんやったなあ」

 

 と呟く淳一郎。唐突すぎる話題だ。さっきまでは夕飯の話だったのに。というか、このぎゅうぎゅう詰めの車内で苦言でなくて自慢をし始めるとは。蓮は顔を引き攣らせてツッコミを入れる。

 

「お前が二十にじゅうになったの、去年だろうが……」

飛鳥井あすかいは早生まれやから、成人式でも飲めなかったんやったなあ」

「……何が言いてえんだ」

「酔っぱらうとやらがどんなんか体験してみたいんや」

 

 それはつまり、電車で顔を真赤にしてひっくり返っている酔漢になってみたいということか。蓮は実に真剣に顔を青ざめさせる。

「止めろ。泥酔したら誰が連れて帰るんだ」

「蓮は酔わないんか?まだ一緒に飲んだこと、ないよな」

「……さあ。飲んだことねえから知らね」

 

 クロレンスだと、水の代わりに麦酒や葡萄酒を飲んでいた。アルコール中毒だとかそんなのではなくて、そういう文化なのである。水があまり綺麗ではないだとか色々と理由があるのだろうが、本当の理由を蓮は知らない。

 

 とにかくそういうわけだから、蓮は小さな頃から酒の味を知っているのだが、ハーヴェイがアルコールに強いのか、それとも人種的にそういえものなのか、酔ったことがない。 

 だが果たして、あおいの肉体もアルコールに強いのか否なのか、試す気分にもなれず、試したことがない。

 

 疲れていたのか蓮がうっかりと口を滑らせたことを、淳一郎は一瞬訝った。

……?」

 しまった、と蓮は言葉を詰まらせる。慣れとは恐ろしいものだ。時おりこうやって、気を緩ませてクロレンスを匂わせるような発言をしてしまう。ちょうど最寄り駅へ到着したのもあり、蓮は無言を貫いて下車した。

 

「今日は先に帰れ。俺は寄るところがある」

 

 駅から出てすぐに蓮はそう言い切った。

 そしてそのまま淳一郎がイエスともノーとも答えるより前に帰り道と反対側へ蓮は足を向けようとした。が、そんな蓮の腕を慌てて掴み、淳一郎は早口に言った。

「こんな時間にか?あんまり女子学生がひとりウロウロするのはお勧めせえへん」

「いいから。用事済んだら連絡する」

 蓮は振り払おうとするも、筋肉質な淳一郎の手は簡単に振りほどけない。

 

「そうはいかへん。親友が危険な目に会うかもしれへんのに放っておけるか」

 いつの間に親友認定をされているんだ、と蓮は眉を顰める。それとも、未だに疎通の取れる気配のない、悠を指しているのだろうか。だが親友どうこうを差し置いたとしても、なまじあおいが若い娘なので、なおさらこの男の言う事に反論の余地がない。蓮は暫し考え込むも、諦めたように嘆息する。

「……ああ、もう勝手にしろ」

「で、何処なんや?場所」

 蓮はすぐに答えない。暫くずっと歩いていてようやく、   

「此処だ」


 つまり目的地に到着したわけだが、当の蓮は呑気にスマートフォンの画面を切っていた。その傍らで淳一郎はあんぐりと口を開いていたが、すぐにはっとして声を張った。 

「思いっきり人気ひとけないやん!こないなとこ、一人で行くもんちゃうで!」

「あー、もう。わかったから喚き散らすな」

 あまりの喧しさに、蓮は耳を塞ぐ。

 

 だが、淳一郎の言う通りである。此処は下宿先の最寄り駅からずっと進んだ先。悠が交通事故のあった現場から少し歩いた先にある、奥まった場所である。

 周囲には倉庫や空き店舗ばかりで、とにかく人気ひとけも車通りもない。何かあっても誰も検知できない。きっと死体が捨てられていても、数日は気が付かない。

 

 淳一郎は頭を抱えながら訊ねる。

「で、こないな所になんの用事があるねん」

「さあ……」

「さあって」

 

 呆れられるが、蓮も知らないのである。蓮はコート越しにがあることを確認し、前方へ視線を向ける。

 

「俺は呼び出しに従っただけだ。で、まさか呼び出したのお前らとか言わねえよな?」

「へ?」

 淳一郎はきょとんとして蓮の視線を辿り、そして驚愕する。

「な、なんや……あれ……?」

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