103-R_聖夜(4)


 どうやら、に、がいるらしい――そう確信した日から、蓮は五十嵐いがらしあおいとして、積極的に生活していた。

 講義も、サークルも、バイトもすべて顔を出し、さらにはランニングや筋肉トレーニングを始めた。いや、正確には「正しくて的確な」トレーニングを始めたのである。

 肉体改造サークルなぞに所属しているくせに、この肉体はあまりに貧弱すぎる。それはひとえに、悠が体を扱うコツを掴むのが下手な所為だろう。肉体を操ることに関しては一番、蓮の得意としていることだったので、これを機に、蓮はあおいの体を鍛え上げたのである。

 

 美琴はにんまりと嗤って、言葉を続けた。

「毎朝走ってるって君塚っちが行ってたよお。筋トレも毎日ってるみたいだし。前はヒョロヒョロだったのに、だいぶ引き締まったよね?」

「……何処、見てんだよ」

 蓮は思わず腕を抱くようにして自分の体を隠す。美琴がじろじろと洋服で隠れているはずの胸や腹のあたりまで舐め回すように見てくるのだ。だぼだぼのパーカースウェットを着ているので、わかるはずがないのだが……この女学生ならばスリーサイズも的中させかねない。

 

「あ、やっほー!五十嵐さん、飛鳥井あすかいさん!」

 

 その甲高い声に視線を向けると、正面側からやってきた女子学生の集団である。その手には財布とスマートフォン。これから学食にでも行くのだろう。

 これまたユニ◯ロで一揃えしてきたような格好の女子学生たちで、確か、蓮と英語の講義が同じの者たち。田中だったか鈴木だったか名前はまったく覚えていない。

 蓮の横で美琴は元気よく手を振って、挨拶を返した。

「やほやほー!」

「………………ん」

 さらに会釈。蓮にしては及第点な方である。悠の生活の支障を考えて、完全無視は避けている。困ったらせめて会釈だけでもするようにしている。

 

 だが此処でも、女子学生たちは蓮の予想の斜め上を行く。

「五十嵐さん、今日もクールでステキ!」

 

 忍び声できゃあきゃあ騒ぐ女子学生たち。聞こえていないつもりなのだろうが、だだ漏れである。そんな反応にもだんだんに慣れてきたものの、蓮はとうとうツッコまずにいられなくなる。

 

「……いつも思うんだが、あいつ、何やってたんだ」

「五十嵐くんは美人な上、女のコにしては背があるし、何よりも紳士だからねえ。しかも諸々の事情があって年上。女のコにはヅカみたいってけっこー人気なんだよ?ちなみに、男のコの間ではマドンナって言われて高嶺の花扱いでござる」

「マジで何やってんだ」

 

 つい同じことを言ってしまう。日本で暮らしてから一番驚かされたのは、IT技術の進歩や大学の課題の難しさなどではない。悠である。

 クロレンスや中では余裕がなかったためか全くそんな素振りを感じさせなかったのだが――とにかくカッこしいのである。まさかこんなにも外面を固めていたとは知らず――自分が男であるというのを全面に出したかったのかもしれないが――蓮は知らず知らずのうちに悠の黒歴史を覗いてしまったような気分になる。

 

「五十嵐くんも男のコだからね。女のコにキャアキャア言われると応えてしまうのだよ」

 と美琴がけらけらと笑うが、蓮は何とも言えない気分になる。

 

「というか、レンレンは女のコ、気にならないのー?」

「興味ない」

 ぷいっと蓮は顔を背ける。

 事実、オリヴィアのような美少女を前にしてもときめいたことがない。蓮は初恋すら未経験なのである。

 

 すると何かを思いついたように、美琴が「は!」と声を上げ、もの凄い興奮気味に言葉を続ける。

「まさかそっち系?ボクとしては全然アリだよ!」

「黙れ腐れ頭!どっちでもねえよ!」

 

 彼女は服装といい、好みの幅が広い。服装で言えば清楚系からロリータ、パンクまで。時には平成初期のギャルスタイルまでこなす。

 そのノリで漫画や小説も嗜むのだが……その一部に、エロ本紛いな男の子同士の恋愛モノも含まれているのである。さすがの蓮も毎日一緒に行動していれば、言葉の意味を察せられるようになる。

 

 美琴は未だ食い気味に、さらにはぐいぐいと詰め寄って、

「えー。レンレンは受けだと思うんだよねえ」

「日本語を話せ、日本語を!」

 

「ヒソヒソと美女同士盛り上がっとるところ悪いんやが、ええか?」

 

 突然に背後から鳴らされた男の声に、蓮ははたと止まる。首だけを向けて見れば、銀髪に赤いメッシュを差した背高のっぽな男子学生が立っている。今日は色付き眼鏡(伊達メガネだったらしい)をしていないらしく、少し鋭い切れ長な目がはっきりと覗かれている。

 

 蓮は体ごと淳一郎へ向き直ると、眉根を寄せる。

「ジュンイチロー、お前。今日は大学に用事ねえだろ?」

「このあと、研究室に用事あるねん。てか飛鳥井は何をそんなに興奮してんねん」

「君塚っちは、レンレンは受けだと思う!?それとも攻めだと思う!?」

 

 美琴が肩を掴もうとするので、咄嗟に蓮は立ち上がり、淳一郎の背後に回ってその身を隠す。淳一郎は壁にするには丁度いい背の高さなのだ。もはやこの壁にされるのにも慣れてきた淳一郎は頭を抱え、ため息混じりに言葉を落とす。

 

「とりあえず、飛鳥井が妄想しとることだけはよーくわかった。落ち着きいや。蓮がビビっとるで」

「ビビってるんじゃなくて引いてんだよ。このクソ腐れ頭、どうにかなんねえのか」

 淳一郎の背後から、声を押さえながらも蓮はキャンキャンと吠える。これでも大声を出さないのは、悠は絶対に女性に対してクソだとか腐ってるだとか言わないからである。

 

「飛鳥井の暴走は今に始まったことじゃないやろ。こないだは着せ替え人形にされとったし……」

 悠がいったいどういう表情をして彼女と交友を深めていたのか気になるところである。突飛な思いつきで蓮をコスプレ紛いな装いにお着替えさせたと思ったら、今度はあちこちに連れ回したり。かと思ったら突然、家に帰ると言い出して、翌日にはよくわからない人形(フィギュアである)を披露していたり。

 

 ――女ってわからねえ……。

 

 全国全世界の女たちが聞けば憤慨することだろう。だが、何かとすぐに鈍器と拳を振り回すオリヴィアといい、蓮の知る女たちがあまりに破天荒なのである。

 

「あ、そうや」

 声を上げた淳一郎に、蓮はきょとんとする。淳一郎は思い出したようにスマートフォンを操作しながら、言葉を続ける。

「そういや、蓮。今日はこのあとバイトやろ?連絡入れてな」

「……ああ、わかってる」

 蓮も右手でスマートフォンを開いて、予定を確認する。悠は一部を奨学金で学費を補っているらしく、とにかく多忙なのだ。それでいて一回生の前期はそこそこ優秀な成績を収めていたので、蓮としては心苦しい。暗記科目くらいしか貢献できそうにないからだ。

 

 ふと、蓮はスマートフォンを操作する手を止めた。

「……」

 チャットアプリの通知が画面上部に表示されたのである。チャットの送信主は――「W」。蓮の探す、「あいつ」である。蓮は冷ややかな目でそのチャットの内容を確認すると、そっと画面を消して、尻のポケットに仕舞った。

 

 

 

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