102-out/R_聖夜(3)


 その明らかに可怪しい友人の様子に呆然としかけたものの、淳一郎はすぐに気を取り直した。もしかすれば、色々と大変で苛立っているのかもしれないし。五十嵐は男の子だけれど、体は女の子。女の子の体はホルモンバランスが崩れやすくて、すぐにイライラしたりするなんてことも聞いたことがある。

 

 だから、できるだけいつも通りに接しようとした。

「……なんや、今日の五十嵐はやけにご機嫌ナナメやな……どっか悪いんか?」

 

 だが、次の瞬間。

 淳一郎はすぐに、五十嵐の違和感を感じた。何処となく、見知った五十嵐とちょっとした仕草が違う気がするのだ。

 でも、一月半ひとつきはんも会っていないのだから、気の所為かもしれない――淳一郎はできるだけ平静を装って、話しかけ続けた。

 

 だがそれはだんだんに確信になる。

 

 違う。

 これは、自分の知っている友人ではない。

 彼はこんなに感情を露わにしない。じっと目を見つめて話したりしない。

 

 気がつけば、淳一郎はその思いを口にしていた。

「変なこと言って悪いんだが……ホンマに五十嵐か?」


 その時、目の前の友人の目が、鈍く光を纏ったような気がして、ぞくりとした。

 ――なんや、こいつ。

 同じ顔だというのに、こうも違う雰囲気を持てるもののか。只者ただものではない、そんな気にされる鋭い眼差し。

 

 だがふと、淳一郎は彼の手元に目を留めた。

 ――震えとる?

 

 そうか。

 彼は、怯えて威嚇しているのだ。警戒心の強いようで、家に淳一郎を上げても、入口の近くに立ち、そして一定の距離を保つ。淳一郎はだんだんに、目の前の彼が野良猫のように見えてきた。

 

 ――もしかして、まだ子供なんやないか?

 とすらも感じた。

 五十嵐が大人っぽいかと問われると、素直に頷けない。妙に格好つけで、女の子の前にいる時だけ「こいつ中学生か?」と思うことはあるが――でもそれ以外は年相応とも言える振る舞いをしている気がする。

 だが目の前の五十嵐と同じ顔をした彼は、何処かで、常に見せる表情や仕草があどけない。

  

 無論、病院へ連れて行くなんてことも考えた。淳一郎は心理や精神の専門家ではないので、こういう時はプロに任せるべきである。きっとそれが正しい考え方なのだ。

 だがそれ以前に。

 ――この子を、安心させなあかん。

 このを安心させたい。自分のできる限りのことをして、守ってあげたい。そう、感じた。

 ――これは、五十嵐のためでもあるんや。

 と半ば自分でい、淳一郎は彼――蓮と名乗る彼に手を差し伸べた。

 生活に慣れるまでの間は自分の家に泊め、大学生活からバイトまでとにかくサポートした。数日、数週間と彼と一緒に行動し、長い時を過ごすようになっていた。

 

 そして今。

 気がつけば、クリスマス・イヴを迎えていた。




            ✙





 

 講堂の中、終業の鐘が鳴る。 

 幾人ものの学生たちが騒々ざわざわと騒ぎ立てて、講義の課題やこの後の予定について話し合っている。舞台のプロジェクターには「昼休憩」と記されたパワーポイントが表示され、その上の時計は十二時半を指し示していた。

 

「レンレン。学食行こー」

 蓮の顔を覗き込んで来たのは、同じ専攻の女学生、美琴だ。今日はストロベリーピンクの髪をハーフアップにしているらしい。さらには股下の革スカートにシルバーのファスナーだらけのトップス、そして黒い革ジャンという、パンクスタイル。この服もすべて自作なのだとか。

 

 教科書とノートや筆記用具をバックパックに仕舞っていた蓮は、長く伸びた黒髪の下で眉根を寄せた。

「今日は外で弁当だ」

 

 実に素っ気ない返答である。

 だが美琴は怯むどころか喜んでスマートフォンを向けてくるので、蓮はそっとマスクをしてできるだけ表情を隠す。険しい顔をしているところを、あまり周囲に見られないようにするという蓮なりの配慮である。

 

 蓮はバックパックを掴んで立ち上がると、美琴と共に講義室を出た。大学は人生の夏休みだなんて言うけれど、真面目にやろうと思えばやることはたくさんある。それに加え、大学教授の付き合いでよくわからない講演会に参加させられることもある。

 今日は土曜日だというのにこんな講堂にいるのは教授の知り合いを招いてしまったからだとかなんとか、そんな理由で予定の空いているものは出るようにと言われたからだ。

 蓮はゲンナリしながらも、まだ就職活動時期よりはマシだとも考えた。さすがに、悠に変わって会社の面接でニコニコ自己アピールなんて出来る自身がない。

 

 ――まあ、、やらされる可能性もあるが。

 

 そう思うといっそう厭な気分になる。蓮はそんな雑念を払うべく首を左右に振り、大股で廊下を進み始めた。厚底ブーツの美琴も慣れた顔で蓮の横を歩く。あんな非合理的な靴でよくもまあ、歩けるものだ。

 

 するとふと、美琴が呑気な言葉を鳴らした。 

「でも凄いねえ。レンレン、だいぶ講義に付いていけるようになったよね?さっきも当てられてもちゃんと答えられててビックリしたよお。ドイツ語と英語はけっこうできるよね」

「丸暗記で誤魔化せるのは単位取らねえと、後でしばかれるからな」

 蓮は歩く速度を落とすことなく、吐き捨てるように答える。そんな蓮に置いて行かれることなく美琴も足を進めながら、

「でも、論理系もふつーにできてるよね?」

 

 その褒め言葉に、蓮は少しだけ速度を落とし、低く声を鳴らす。

「……あれを見て、それを言うか?」

 

 蓮の指摘で、美琴も思い起こしたらしい。専門科目、つまり哲学の演習での蓮の発言を。

「ぷぷぷ……あれは傑作だったなあ。教授なんて、あんぐり口開きっぱなしにしちゃってさ」

「笑い事じゃねえよ……」

 

 ずっとクロレンスで冒険者として生き、学問的な話とは疎遠だった蓮には、その物事自体を抽象的に思案するという行為自体が難関だったのである。そもそも概念という考え方自体を知らなかったのだ。

 ゆえに存在論的な質問をされても、蓮は実際に存在する何かの話をしているのだと勘違いしてしまう。

 

 美琴の分かりづらい説明を受け続けてようやく、哲学の認識論やら存在論やらが、机上の空論でその概念そのものについて構造化し、議論しているのだ……とうっすらと理解したような気にもなっているが、やはり未だに理解しきれていない気もしている。

 

 校舎を出て、中庭にあるベンチ前へ辿り着くと、ふと美琴が思いついたように声を上げた。

 

「そう言えばレンレン」

「……なんだよ。話ころころ変えんな」

 

 バックパックを下ろしながら、蓮は眉を顰める。だいぶ慣れて来たといえ、この女学生の移り気には振り回される。美琴は洋服越しにじっと蓮の腕や足を見て、言葉を続けた。

 

「ずっと体も鍛えてるよね?」

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