101-out_聖夜(2)


 淳一郎は女性というのがどうにも苦手だった。

 それは癇癪待ちな母親の所為なのかもしれないし、気の強くすぐに何でも押し付けてくる姉の所為なのかもしれない。

 

 自慢ではないが、中高のときの淳一郎は人気があった。

 目付きは鋭いものの背も高く引き締まっていて、人当たりも良い。加えて成績もよく、武術の心得もある。実家は開業医でそこそこ裕福。目付きさえ改善されれば、少女漫画のヒーローのような少年だった。

 無論、女子生徒たちからの熱いアプローチは耐えなかった。校舎裏の呼び出しも下駄箱のラブレターも、何ならば卒業式の第二ボタンも経験済みである。

 

 だが、付き合うとか付き合わないとか、そんな話は一切なかった。それは淳一郎の女性への苦手意識もあったが、もうひとつ理由があった。その理由ゆえに淳一郎は現在に至るまで一度も女性と付き合うなんてことはしなかった。

 さらに加えて、あえて女性が近寄りづらくするために、髪を染めてピアスを付け、派手な格好をした。国立大に通う地味目の女子学生ならば、これだけでも壁を感じて近寄らないでくれるからだ(自然と男子学生にも壁を作ってしまったが……)。

 わざと派手に着飾ってまで、女性を避ける。そんな淳一郎にとって、苦手意識の湧かない女性というのは新鮮なものであった――それは、ゴールデン・ウィークを過ぎたある日のこと。

 大学構内の、共通棟の一角。淳一郎は声をかけるべきか悩み、突っ立っていた。

 

 そんな淳一郎から少し離れた場所で、五十嵐が涼やかな声を鳴らす。

「立てますか?」

 と妖しげな垂れ目を柔らかに細めて微笑みかけている。彼女は目の前で蹴躓いた女子学生へ手を差し伸べていた。おそらく、相手の女子学生も学部一回生。モデル顔負けな美人に破壊力満載な微笑を向けられ、その女子学生は顔を真赤にして、上擦った声で答えた。

「は、はい……この通りぴんぴんしてます!」

 目がハートで、五十嵐から視線をそらせないでいる。五十嵐はいつもボーイッシュな格好をしているので、なおさら相手はときめきを覚えてしまうのだろう。

 周囲を歩いていた女子学生たちもほうっと見惚れている。中には小声で「キャー!」とミーハーな声を鳴らしている女子学生もいる。

 

 同学年の女子学生相手にドキドキしている女子学生を前に、五十嵐は爽やかに一言。

「君の綺麗な足に怪我がなくてよかったです」

 何処の口説き文句?と問いたくなるような台詞である。淳一郎はつい唖然としてしまっていたが、出会ってからこの方、こんな光景は幾度となく見かけた。聞く所によると、彼女は男子学生だけでなく、女子学生にもファンが多数いるのだとか。

 

 蹴躓いた女子学生が真っ赤な顔でその場を立ち去ると、淳一郎はそろりと五十嵐に歩き寄ると、

「また女の子くどいとったんか」

「くどいてないよ。駄目だとはわかっているんだけど、つい格好付けてしまって……」

「女の子にキャアキャア言われて応えたくなるやつか」

「ぐ……!」

 

 グサリと刺さるものがあったのだろう。五十嵐は唇を噛み締めている。

 淳一郎と五十嵐はサークルが同じで、何と一部バイトも被り、さらには下宿先が近所だった、という何とも驚きな縁もあり、一緒に行動するようになっていた。

 そしてそうやって一日の大半を共に行動していると、五十嵐の意外な面を知れるようになった。

 五十嵐は思っていたよりも格好付けなところがあったのだ。主にその対象は女性で、女性を前にした五十嵐はその背景に花や星を背負っているのではないかと思うくらいにキラキラしい。口を開けば口説き文句で、全身で紳士らしさを披露する。

 

「別にええんやけど……。同性にモテて嬉しいんか?」

「悪くはないなあ」

 へへ、と照れたように頬を掻く五十嵐。淳一郎は何となく、彼女に苦手意識を持たない理由がわかってきたように思えた。

 この子鹿のような美人女子学生はまるで男の子なのだ。女の子にモテたくてモテたくて仕方なく、そのためにまず体を鍛えようとする、男の子。

 

 五十嵐はハッと我に返ったように淳一郎を見上げると、

「君塚は女の子、苦手だったんだよね。ごめん」

 淳一郎が五十嵐のことを理解するようになったように、五十嵐もまた、淳一郎のことを知るようになったのだ。言葉にはしなかったものの、淳一郎が女性を苦手にしていると察したらしい。それで何故、五十嵐が相変わらずつるんでくれるのかは定かでないが……。 

「別に構わへんけど……最近、一部の男子学生からはリアル百合女子って言われてるで」

かあ」

「ひっかかるの其処なんか」

 

 それから数日後だった。

 五十嵐がカミングアウトしたのは。女子トイレを使いたがらず、風呂屋やプールも行きたがらない。その徹底ぶりに、淳一郎が先に気取り、試しに聞いたところ、素直に告白したのである。

 

 そして気がつけば、たったの数カ月の付き合いだというのに、まるでマブダチのような関係になり、さらに奇人変人の飛鳥井あすかいもその輪に入るようになっていた。

 

 だから、八月末に急に連絡が付かなくなって心配した。けれども、淳一郎自身も用事があって長らく下宿を不在にすることになり――十月一日の大学で、交通事故に遭ったと聞いてギョッとした。

「なんやて?」

「いや、俺等も詳しくは知らないんだけどさ。マドンナ、交通事故にあったらしーぜ?」

 呑気に答える同級生の言葉に、淳一郎は言葉を失った。そんなこと、聞いていない。いや、もしかすれば、そんな余裕が無いほどの大事故だったのかもしれない。

 

 とにかく、淳一郎はまず飛鳥井あすかいの元へ走った。

「飛鳥井、五十嵐の話聞いたか?」

「む?どしたん、君塚っち。今日は五十嵐くん来てないよー」

 この間の抜けた返事からして、彼女も知らないらしい。淳一郎は五十嵐が事故に遭ったことを伝え、二人で五十嵐宛てにチャットを送信した。だがやはり返事はなく、

「俺、最後の講義休んで、ひとっ走りしてくる」

 最後の講義が終わるのを待てない。だが、其処は飛鳥井の方がやけに冷静で、

「いやいや、単位落としちゃマズいっしょ。自分のせいで単位落としたーなんて聞いたら、五十嵐くん今度は精神的ショックで倒れちゃうよ?」 

 と宥められた。


 本当は今すぐにでも走り出したかったが、なまじ専門科目が午後最後に入っていた。しかもかなり出席の厳しい講義が。淳一郎は悶々と葛藤した。何度も途中離席してやろうかと考えた。

 

 だがそんな日に限って、荷物が挟まっただの、酔っぱらいがホームから落ちただので電車が遅れる。泣きっ面に蜂とはまさにこのこと。下宿に到着したのは夜遅くだった。

 淳一郎は焦燥した。

 一応退院したらしいことは、哲学専攻の教授から聞いていた。いったいどんな酷い事故だったのか――淳一郎は心配で堪らず、ほとんど無意識にインターホンを何度も押していた。

 だが扉が開いてすぐ。

 

「五月蝿え!」


 その五十嵐のその激しい言葉遣いに、淳一郎は呆気に取られた。

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