097-out_報せ(1)


 元貴族の屋敷であるこの宿の部屋は広い。

 重厚な木製の寝台ベッド二つに、同じく木製のテーブルと椅子。鏡台に洋服掛けも完備され、それでも成人男性が床に寝そべられそうなだけの余裕がある。

 

 加えて洒落ており、毛皮の絨毯が敷き詰められ、細やかな幾何学文様の描かれた壁紙が部屋を彩っている。そして何よりも、窓である。

 クロレンスにおいて硝子は高価だというのに、ちょっと外を覗き込む小窓ではないのだ。無論、いつか格子上に嵌め合わせた窓だが、その一枚一枚が大きい。それに加えてそのうちの一枚はまるで絵のようで、色とりどりの硝子で太陽と鳥を模している。

 

 ことり、とティーカップがテーブルに置かれ、オリヴィアは目を瞬かせる。

「お茶なんて買ってきてたのね、コリン」

「昼には回復していたからね。支部の帰りのついでに。座りなよ」

 のんびりと答えながら、コリンは聞き手と反対の手でティーポットを置く。細かい物の操作となると、やはりまだ難しいらしい。

 図体の大きなジェイコブは寝台ベッドに、オリヴィアは椅子に座らせた後、コリンも椅子に腰掛けて、言葉を続ける。

 

「それで、さっさと本題に戻るけれど。蟲はまったくいなくなっていたんだよね?」

 

 こくり、と頷いてオリヴィアは肯定する。 

「ええ。あれだけいたのに。気味が悪いったら」

「ドナ村に落としてきた荷物は?」

「それも見つからなかったわ……あの鎚鉾メイス、気に入ってたのに」

 

 オリヴィアはがっくりた肩を落とす。あの大樹の近くで何かに引きずり込まれた時、背負っていた旅荷はすべて失った。その中にはオリヴィアの鎚鉾メイスやハーヴェイの大剣も含まれる。

 お陰で、脱出した後は予備の武器を使用していたわけだが、いざドナ村へ戻ると見つからない。蟲と同様に忽然と姿を消したのだ。

 

 コリンも困り顔をして、溜息を付く。

「あの中に標本サンプルがあったんだが……残念だ」

 

 金が勿体ないが、百歩譲って武器の類は替えがきく。相棒的な武器は途轍もなく悔しくて堪らないだろうが。だが蟲の標本サンプルこそ替えがきかない。すべての蟲が姿を消してしまったのだから。今後の対策を考えるにしても、その標本サンプルを失ったこたは痛い。

 

 ふと、コリンはオリヴィアとジェイコブを見据え、別の問いを投げかける。

「それと、帰りに魔獣が出たっていうのも本当かい?」

「お、耳が早いんだな。熊の形をしたやつだよ」

 とジェイコブ。

 この魔獣の報告は早馬などを飛ばしていないので、オリヴィアやジェイコブと共にオルグレンへ帰還した冒険者か直々に支部へ報告されたものだ。おそらく、二人が酒場で話している間に入手したのだろう。

 

 コリンは顎に手を添え、深く考え込む素振りをする。

「やっぱり出現頻度が上がっているな……」

「というか、ハーヴェイとオリヴィアがクジ運悪いんじゃねえの?」

「いや。実は報告件数が実際に上がってるんだ」

「え、そうなの?」

 

 オリヴィアは目を真ん丸にした。彼女はこの三人の中では最も魔獣と遭遇している。傍目にはよほど運の悪い女であろう。実際、オリヴィアも自分かハーヴェイのどちらかが呪われているのではないかと考えたくらいだ。

 

 がさごそと荷物から大きな地図を取り出すと、コリンはそれをテーブルに広げる。

「オールトンやグレイフェルだけでなく、バルトレットでもここ三月みつきで多数、被害報告が上がっている。国でも対策を講じるための施策を考案中らしい」

 

 それは、クロレンスを含む大陸全土を示した地図だ。その地図の各所にコリンが記したと思われる印が付されている。

 北部に隣接する神聖ゾンバルト帝国との国境を壁の如く隔てるバルトレット山脈、中央部を東西を横断するオールトン山脈、そして南部を北東から南西へ斜めに走り抜けるグレウフェル山脈。それらの山脈沿いが特に印が多く付けられていた。

 

 ジェイコブはその地図に施された印の多さに、声を上げる。

「うへえ……何が起きてるんだ」

 

 魔獣とは十数年に一度会うか会わないかくらいの出現頻度であったはず。害獣駆除の依頼を引き受ける冒険者がその中でも比較的遭遇しやすいが、それでも、ちらりと垣間見たことすらない者がほとんどだ。

 なのに、たったの三ヶ月でこんなにも報告が上がるとは。これが異常事態であるのは明白だ。

 

 コリンはしんとした声で言葉を継ぐ。

「それで、俺は蟲の一件もこの魔獣の活発化に関連してるんじゃないかって考えているんだ」

 

「はあ?」 

 突拍子もない同僚の発言に、ジェイコブが声を上げる。だが、コリンは至って真面目な顔で、ジェイコブに問う。

 

「そう言えば、ジェイコブ。君には地下でも話したが……魔獣の定義は?」

「特殊な器官か何かのお陰で普通より頑丈で、普通と違う見た目をしているとかそんなんだろ」

「そう。ようはよくわからない生き物の総称だ。まさしくあの蟲もそうなんだ。だから何だという話なのだけれど、実はバルトレットで魔獣の報告が上がり始めたのとこの蟲が出現している時期が揃っている」

「んな報告、聞いてねえぞ?」

 

 ジェイコブはさらに目を剥いた。蟲の出現は三月の頭。その頃は魔獣の報告は特になく、蟲の件を除くと、普段通りの依頼しかなかった。それゆえに三手に分かれても問題なかろう、となったのだ。

 

 コリンもまた、今日の昼に支部へ赴くまで知らなかったのだ。

「バルトレットは一部の限られた人間しか使わないからね。報告の届くのが遅れたらしい」

「マジかよ」

「で、蟲も魔獣……魔物というべきか。その魔物の一種なのだとしたら、三月に何かが起き、魔獣が活発化、ということになる」

 ウゲッとジェイコブは苦虫を噛み潰したような声を上げる。冒険者歴の長い彼でも初めての出来事である。

 

 ふと、オリヴィアは思いついたように言葉を溢す。

「あれ?もしかして、それでアーサー、王都に呼ばれているの?」

「そうらしい。他のS級、A級の冒険者のいるところは緊急招集が掛かってて、やってた仕事を放り出してるらしい」

 

 小さく頭を縦に振るコリン。ジェイコブは思わず、顔をヒクヒクと引き攣らせた。

「おお……依頼人からのクレームやばそうだな……」

 

 優先順位を突然に引き下げられば、依頼人が茹でダコのごとく怒り散らすに決まっている。だが悲しいことに、本部より優先タスクが差し込んだ場合に本作業を打ち止めまたは延期することを許可する、という誓約書を必ず一筆させているので泣き寝入りするしかない。

 

 その誓約書の存在を知っているのもあり、コリンはけろりと言い返す。 

「まあそれは。はんこリレー員たちに任せればいいことさ」

「お前さんは時々さらっと酷いこと言うよな」

 

「まあとにかく。アーサーが戻ってくれば、確実に俺たちの次の任務は魔獣絡みだ」

 

 その言葉に、オリヴィアもジェイコブも気を引き締めたように口を結び、沈黙した。

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