096-out_疑念(4)
オルグレンには落ちぶれた貴族の屋敷跡があちらこちらにある。
隣国ゾンバルトの発展や、山道開発による商業ルートの変化など、様々な要因はあるが、クロレンスの一部貴族は財政難で立ち行かなくなったらしい。そういった貴族の屋敷は今や宿や冒険者支部の関連設備などに再利用されているわけだが――オリヴィアたちブルック隊がオルグレンへ留まっている間、宿泊している宿もまたそんな元貴族屋敷である。
「とにかく。ハーヴェイの件は俺たちだけで止めておこう。寝込んでるコリンにまで知らせるこたないだろ……」
其処まで言いかけて、ジェイコブは言葉を止める。
オリヴィアとジェイコブは宿へ戻って来たのだが、受付のすぐ横にある大きな中央階段前に男の姿を認めたのだ。そしてその男の様子に思わず二人して驚きを隠せなかったのだ。
「え、コリン!?もう腕、大丈夫なの?」
そう声を上げるオリヴィアの視線の先には、ちょうど階段を降りてきたソバカス顔の男の姿。まだ青黒さを残しているものの、その右腕には一冊の分厚い本が抱えられている。つい先日には、強い痺れででペンを握ることすら叶わなかったというのに。
コリンもオリヴィアたちに気が付くと、にっこり笑いかける。
「あ。お帰り、二人とも。ちょうど呼びに行こうと思っていたんだよ」
その声も聞き慣れたのんびりしたもので、すっかり回復したことを知らせている。ジェイコブはずかずかと大股で歩き寄ると、バシバシとコリンの肩を叩いた。
「なんでえ。お前さんもようやく、回復したのか」
「ようやくって……君たちのような人間ビックリショーに付き合うつもりはないよ」
穏やかさっくりと、異常なのはお前たちだとツッコむコリン。
そう。コリンの治りが遅いのではない。他の三人が異常なのである。片腕をほんのり(あれをほんのりと言っていいのかは定かでないが)爛れさせたオリヴィアはまだしも、ハーヴェイの回復力は人外である。
カマキリもどきの体表の毒を一身に浴び(自分から触りに行ったのだが)、さらには頬に鎌の毒を僅かでも被った彼。本来であればコリン同様に寝込んでいても可怪しくないのだ。
だがそもそも唯一人毒に触れていないジェイコブは心外そうに唇を尖らせた。
「俺は毒くらってねーぞ?」
「君も君で人間止めてるよ」
ずばりとコリンは言い返す。
ジェイコブはジェイコブで、違う意味で人外な回復力を見せたのである。
これはコリンにも言えることなだが、長期間における地下生活から派生した諸々の不調がジェイコブの体を蝕んでいた。クロレンスの医学にはホルモンバランスだとかビタミンDがどうのだとかそんなミクロな視点はないが、それでも、食欲が落ち、足元はふらつき、集中力も低下しているなどといった明らかに不調である症状はあった。
だというのに、ジェイコブもまたハーヴェイ同様にたったの数日でオールトン山脈を歩いていたのである。それも、重たい度荷を担ぎ、槍まで振り回していた。
コリンは呆れたように肩を竦めて言葉を続いた。
「戦闘に特化した冒険者はゴリラが多いと言うけど……その頑丈さはゴリラも吃驚だよ。まったく」
「まあ確かに、筋肉は鍛えてるぞ」
的外れた返しをするジェイコブに、コリンは無言で返した。このゴリラは頭まで筋肉で出来ているらしい。
ふと、オリヴィアはきょろきょろと周囲を見渡して問うた。
「それより、ハーヴェイは?」
この宿には無論、ハーヴェイも宿泊している。
正確にはブルック隊全員がこの宿に部屋を借りているのだ。三人ほどは不在だが、三階にある二人部屋を四部屋貸し切りだ。
他のパーティーが聞けば、何と金持ちなパーティーなのだと嘆くことだろう――女であるオリヴィアは優雅にもそんな部屋を一人で専有し、隊長を含む男六人は二人ずつ部屋を割り当てているのである。
オリヴィアの問いに。コリンはきょとんとした。コリンはジェイコブと同室で、ハーヴェイとは別室だ。ゆえに見かけておらず、
「さあ……俺は見てないけど。寝てるんじゃないかな?けっこう寝る方だよね、ハーヴェイって」
「まあ、そうだけど……」
コリンの指摘に、オリヴィアはうっと言葉を詰まらせた。
仕事中は早寝早起きをするが、それ以外は基本的に寝ていることが多い。昼に起きて朝と昼を兼任した食事をし、鈍らぬように体を動かしたらまたぐうたら寝る。それでうっかり食事の約束をすっぽかしたりする。ハーヴェイとはそういう少年である。
――まあ、そうなんだけど……。
違和感を感じさせている今も、そういうところは違和感無しらしい。――でも、それでも。
語尾の弱いオリヴィアに、コリンは不審そうに眉を顰める。
「ハーヴェイがどうかしたのかい?」
その言葉にオリヴィアは我に返る。傍らでジェイコブが無言で首を横に振り、コリンに黙っているよう示している。理由はわからぬが、ジェイコブはハーヴェイのことを隊長のアーサー以外に伝える気がないらしい。オリヴィアは一瞬黙りこくるも、静かに言葉を返した。
「……いいえ。なんでもないわ」
気不味い沈黙が、下ろされる。
オリヴィアの様子から、二人がきっと隠し事をしているのだろうことは、コリンも察しているようで困ったように二人の顔を見比べている。だがオリヴィアはおろか、ジェイコブもまた、口を噤んでいる。
これは何も聞き出せそうにない――コリンは大きく嘆息して、静寂を破った。
「まあ、別にいいけどね。なんでも。それより、ドナ村の話を聞きたい。部屋へ来てくれるかな」
「蟲の話か?報告行ってねえのか?」
すかさず、ジェイコブが言葉を返す。
事実、ドナ村からは定期的に郵便役を担っていた冒険者が行き来しており、最新ではないものの、支部にはちゃんと連絡が行っていた。
そして、オールトン山脈沿いの穀倉地帯から、蟲が忽然と姿を消した、という
コリンは頭を縦に振り、
「もちろん、来てるよ。だけどほら、細かくはわからないし」
「あ、なるへそ」
「それに……君たちはまだ聞いていないだろう情報もあるしね」
コリンのその真剣な眼差しに、ジェイコブは眉を顰める。此処は冒険者支部のあるオルグレンだ。ドナ村にいたオリヴィアやジェイコブよりも彼のほうが情報は手に入る。
「なんかあったのか、コリン」
「続きは部屋で」
そうコリンは言うと、ついと踵を返し、三階へ上がることを促す。オリヴィアとジェイコブは頷きあい、コリンに続いた。
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