095-out_疑念(3)
それは少し、遡る。
ぽつんと残されたオリヴィアは呆気に取られていた。
――は?
突然にハーヴェイが勝手な行動をしたからではない。
いや、確かに突然に休むなんて言い出すのは途轍もなく奇妙だ。ハーヴェイは滅多にそんなことはしない。それがどんなにつまらないものでも、仕事は仕事と割り切って最後まで付き合う方だ。だから、ハーヴェイがサボるということ自体も十分に気味が悪い。
でもそれ以上に、決定的な、奇妙さ。
去り際に、彼がふっと口端を持ち上げて嗤ったのだ。あの、無愛想なハーヴェイが。鼻で小馬鹿にするように嗤うことはある。けれども、口を吊り上げて嗤うことはない。
ゆえにオリヴィアは呆然として、あんぐりと開いた口が閉じれないでいた。
――何、この違和感。
蟲の巣窟にいる時も、時々その違和感を感じさせられていた。突然に無邪気に蟲に夢中になったり、そうかと思えばいつも通りになったり。ベアード商団の一件から、ハーヴェイがどんどん離れて行っているような気分になる。
オリヴィアはきょろきょろと周囲を見渡して、熊のような槍使いを探した。ジェイコブはあの上背ゆえにすくまに見つかり、彼は少し離れた場所で他の冒険者と雑談をしていた。
ジェイコブのそばへ駆け寄ると、オリヴィアは彼の服の裾を引いて意識を向けさせた。
「ねえ、ジェイコブ。ハーヴェイ……なんか変じゃない?」
「あ?どうしたんだ?」
驚いたように薄茶の目を瞬かせて、ジェイコブが言葉を返す。彼はハーヴェイが嗤ったのを見ていないので、仕方のない反応である。
オリヴィアがじっとそんなジェイコブを黙して見上げていると、何かを察したらしい。ジェイコブは話していた冒険者たちと別れ、オリヴィアと二人きりになれる場所まで移動した。
「そういや、言ってたな。ハーヴェイが一時的に記憶喪失になったみたいな」
先に話を切り出したのはジェイコブだ。
手に持っていた槍を近くにあった木に立てかけ、腕を組む。その正面でオリヴィアは小さく頷き、言葉を継ぐ。
「ええ……。ジェイコブはハーヴェイと長いのよね。ハーヴェイって持病とかあったりするの?記憶喪失のときも、突然になったのよ……この前も様子が変だったし……」
「俺の知る限り、ねえなあ。一応、サイラスに診てもらうか?」
サイラスとは、オリヴィアたちのパーティーに属するメンバーである。コリンが動植物に関する知識を有するとなれば、サイラスの知識は人間に関するものである。医術の心得があり、ブルック隊の専属医のような役割も担っている。
確かにサイラスに診せるのが手っ取り早いのかもしれぬが……オリヴィアは顔を曇らせる。
「なんて言い出せば……」
「まだ腕、完治してねえし。それを診るついででいいだろ」
「そうね」
あまり長い時間留め置いても不審に思われるのでは、というのが心配である。そして何よりも。
――サイラスとハーヴェイって仲悪いのよね……。
実を言えば、一番の懸念は其処である。
オリヴィアがどうして其処までハーヴェイを心配しているのか不思議に思ったのだろう。ジェイコブは眉を顰めて、疑問を口にした。
「なんだ。そんなに何処か悪そうにしてんのか?」
「あの後もジェイコブは長時間一緒にいたりしなかったものね。なんというか……時々、別人みたいに見えるのよ」
「別人?」
「……ハーヴェイって爪を噛んだり、唇を触ったりする癖ってなかったじゃない」
蟲騒動の後、最近までジェイコブはコリンと寝かされていたので、実を言えばハーヴェイとほとんど会話をしていない。もし直接言葉を交わしていれば、ジェイコブがハーヴェイの異変に気が付かないはずのない。
ジェイコブは顎に手を添えながら、「ふむ」と声を溢す。
「そういや、あんまり体触る方面の癖はねえな。言うなれば、すぐ舌打ちする?」
「それは少し違うでしょ」
「んー。そういうのなら、アーサーと会わせた方がいいな。あいつほど勘の鋭いやつはいねえし。何よりも、ハーヴェイについて細かく知ってるのはヤツだけだ」
それもそうだ、とオリヴィアも納得した。隊長のアーサーはハーヴェイの養父だ。ハーヴェイについて最も知っている、と言ってもよい。アーサーは医師ではないものの……何となく、今一番の適任者はアーサーであるような気がしてきていた。本当に何となく、だ。
オリヴィアは天幕のある方角を見つめながら、静かに問う。
「アーサーって今どこにいるんだっけ」
「イェーレンらしい。なんでも呼び出しくらったとか」
「本部に?」
「たぶん?」
アーサーは多忙だ。いつ帰って来られるか分からない。手紙を出して急かしても、周囲が帰してくれないこともある。そのことを思うと不安が燻り、オリヴィアはさらに表情を曇らせた。
だから、オルグレンに到着したらすぐにアーサーと話がしたかった。だが現実はそううまく運ばず――北方第二支部所属の冒険者で賑わうオルグレンの酒場で、オリヴィアはドンッと麦酒の入った杯をテーブルに下ろした。
「アーサー、いつになったら戻って来るのよ……!」
時刻としてはちょうど陽が沈んだ頃。オルグレンへ戻ってきたオリヴィアはジェイコブと二人でこの酒場を訪れていた。ハーヴェイはいない。宿へ戻るなり、ひと眠りすると言って部屋へ引っ込んだのだ。仕事でない時であれば何ら可怪しくないことだが――今さらである。
オリヴィアの正面に座っていたジェイコブは参った、とばかりに頭を掻いた。
「……ありゃあ。確かに、奇妙だな」
ジェイコブもまた、オリヴィア同様にハーヴェイに違和感を覚えたのである。
顕著なのはその立ち振る舞いである。蟲騒動より後、ようやくじっくり彼を見たわけだが、その仕草ひとつひとつがハーヴェイにしては上品すぎるのだ。
ハーヴェイは体幹を鍛え上げているのもあり、歩き方が汚いわけではない。だが、貴族のように洗練されているかと言われると、そういうわけではない。やはり粗暴さは否めない。
だが――注意して見れば、今のハーヴェイは粗暴さがなく、優美さが伴っている。それが顕著に出たのは、熊の形をした魔獣と対峙した時。ハーヴェイの剣術に、ジェイコブは
ジェイコブは麦酒をあおり、静かに独り言ちた。
「……確かに。アーサーと早めに話したほうがいいな」
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