094-d&Y_疑念(2)


 悠は蒼然とした。

 

 月夜の駆るハーヴェイは迷いなく他の冒険者たちの間を潜り抜け、熊の姿をした魔獣の眼前へ躍り出る。

 岩壁のように大きな熊だ。すでにジェイコブが長槍でその熊の猛攻をなし、人間たちの攻撃をする隙を作らんとしている。

 

「おい、ハーヴェイ。それからオリヴィア!あの熊さんパンチには気を付けろよ!」

 何とも気の抜ける言い方である。緊張感が仕事をしていない。ようやく駆け付けて来た炎髪の少女がガクッと脱力して、

 

「その気の抜ける呼び方やめてちょうだい!いっそあんたが食らいなさい!」

「おいおい、冷てえなあ」

「纏めてぶん殴るわよ!」

 

 と鎚鉾メイスを振り上げて見せるオリヴィア。魔獣を前に何とも余裕な様子である。ハーヴェイは深々と嘆息すると、大剣を担いで吐き捨てる。

 

「そこ、五月蝿え。さっさとるぞ」

「わかってるわよ」

 

 オリヴィアはジェイコブに向けていた鎚鉾メイスを熊に向け直す。

 

(月夜さん、無茶ですって!)


 何をやる気満々になっているんだ、と悠は唖然とする。ハーヴェイとしての意識に集中しているのか、それともわかっていて無視をしているのか。月夜からはまったく返事がない。

 

 そのメカニズムはさっぱり解らないが、今の悠(そしておそらくブラックも)は、ハーヴェイの視覚や聴覚、嗅覚だけでなく、触覚も共有している。つまり何が言いたいのかと言うと、痛みも感じるのだ。

 こうしている今も、腕の爛れた箇所がズキズキと痛んでいるのを感じている。それにうっかりハーヴェイの肉体が死んでしまったら?恐ろしくて考えたくもない。

 

 だが悠の叫びも虚しく、ハーヴェイは高く跳躍していた。足裏で踏みつけた地面の感触、勢いよく上がることで全身に掛かる重力。すべてが明瞭だ。

 目を瞑れたら、どんなに良かっただろうか。悲鳴を上げたくとも、恐ろしすぎて声も出ない。

 

 ザンッ!


 手のひらから感じる肉の弾力感。硬い毛皮や血肉の裂ける厭な音。それらすべてが全身へと伝わる。この感覚には覚えがある――ベアード商団の護衛任務で、初めて獣を斬った時に感じた感触と同じだ。

 

 ――嘘。

 

 悠は唖然とした。

 ハーヴェイの振るった大剣は綺麗に魔獣の頸を薙いでいた。刃を皮や肉に引っ掛けることなく、大剣はすっと横へ流れ、一筋の鮮血を散らせている。肉を抉られ、獣は咆哮を上げながら体を傾ぎ、まるで狙ったかのようにオリヴィアの鎚鉾メイスがその獣の頭蓋に命中する。

 

 無論、その程度で無力化できる相手でない。

 魔獣は猛り狂い、鋭い鉤爪を振り回して抵抗する。ジェイコブの長槍がその腕の動きを往なし、再びハーヴェイの大剣が急所を斬る。ふら付いたところをオリヴィアの鎚鉾メイスが殴り潰す。流れるような連携プレーである。その無残な光景に吐き気を催しながらも、悠はただただ呆気に取られていた。

 

 ――蓮さんとも……違う?

 

 窓からしか見たことがないものの、何処か蓮とも違うような気がした。蓮もまた、体重移動を活用した戦い方をするが、冷静な時は粗暴さの中に合理性のあるような、そんな戦い方をする。

 いや、悠も自分で何が言いたいのかわからないのだが、言えることはただ一つ。月夜はまるで、舞うように戦うのだ。それは戦闘ではなく剣舞。そう見えるくらいに、ひらりひらりと、時おり無駄に思えるような仕草を織り交ぜて、優美に戦うのだ。

 

 無論、悠の視界はハーヴェイの視界である。ゆえに、その傍らで、オリヴィアやジェイコブが怪訝な面持ちをしてそんなハーヴェイの戦い方を見詰めているなんてことはしらない――最後の一発とばかりにオリヴィアの鎚鉾メイスが魔獣の頭部へ振り下ろされると、ハーヴェイは後退して、大剣を振るって血を落とした。

 

(うえええ。汚ったな)


 肉塊となった魔獣の屍を前に、まったく空気の読めていない叫びである。だがその月夜の声には、悠のように心から抱いている忌避感は感じられない。血まみれのそれを、まるでゴミ捨て場で遭遇したゴキブリ程度にしか感じていないような、そんな気楽さが感じられるのだ。

 

 ゆえに、問わずにいられない。

(月夜さん……本当に何者なんですか?紫苑さんは、戦えるの蓮さんだけって言ってたのに……)

 

 紫苑がわざわざ嘘を付く理由があるのだろうか。それとも、紫苑も彼を知らないのだろうか。紫苑も知らない住人なんて、存在するのだろうか。

 

 けれども、月夜はいつもの調子でしか応えない。

(わたしはわたしだよ?それ以上でも以下でもない。君が自分を悠だって思っているように、わたしはわたしでしかないんだよ)

 

 そんなことを聞いているわけじゃないのに。だがきっと、悠の本当に聞きたいことを理解した上で、月夜ははぐらかしているのである。自分で突き止めてごらん、と。自分で自分たちのことを理解してごらんよ、と。

 

 ――それも、蓮さんと。

 

 蓮とは気不味いまま、顔を合わせていない。一方的に悠から怒鳴り散らして、それきり。蓮は酷く動揺していたように思えた。いつもはあんなにも気の強そうに振る舞っているのに、あんなにも弱々しい背中は初めて見た。

 

 否。

 

 違う。初めて会った時から彼は悠のこととなると、ふと態度が変わる時があった。覚えていないのか、と悠に訊ねて来た時の彼は何処か寂しそうであった。日本側へ近づくなと申し出た彼は、何処か切実そうであった。

 

 彼は自分の知らない自分を知っている。

 彼は知らない自分を自分に重ねている。

 

 それが嫌で嫌で、堪らなかった。耐えられなかった。だから、その思いを一方的にぶち撒けた。

 

 ――でも。

 

 蓮とともに、自分のことを見つけ出せ。月夜はそう言った。それは、蓮とともにでなければ、自分を知ることは叶わないということなのだろうか。

 

 ――向き合わなければ、ならないんだろうか。

 

 自分を自分として認める。認めてもらう。その為には、自分を知らねばならない。その為には、逃げてばかりではいけないということなのか。

 

 悠は意識を、ハーヴェイの視界へと戻す。

 気が付けば、ハーヴェイはオリヴィアたちと何か話し合い、熊の骸の一部を切り取っていた。何かの調査の為に持ち帰るのかもしれない。悠はぼんやりとそんなことを考えていると、ハーヴェイたちは再びオルグレンへ向けて歩き始めた。

 

 ――次、会ったら。

 

 次会ったら、ちゃんと向き合って話し合おう。きっと、今の自分にはそれが必要なのだ。悠は静かに、唇を噛み締めた。

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