092-d&Y_狭間(4)


 いつ開放されるのかと悠がもやもやとしている間。ハーヴェイたちも、他のパーティーに続いて洞穴の中へと潜った。

 改めて落ち着いて見れば、其処から先は緩やかな下り坂で、一度盛り上がり窪みになっていると思ったらまた、其処から先が急な下り坂の狭い道である。雨が降ったら、その手前の窪みで止まるようになっているのだろうか。それとも、浸水しても平気ということだろうか。

 

「……何もいないな」

 ポツリと冒険者の一人が言葉を落とす。


 その通りなのである。地上同様に、辺り一面蔓延っていた蟲の姿が無い。洞穴近くでは無かったものの、あの気色の悪い光景は悠も覚えている。筒状の道の天井から床までびっしりと蟲が犇めき蠢いていたことを。

 

 目印のために壁に釘を打ち付けていた冒険者が冗談交じりに声を鳴らす。

「もっと地下に引っ込んだとか?」

 

 あの数の蟲が一気に地下深部へ押し寄せる……それはそれで恐ろしい光景だ。

 

 ふと、ハーヴェイの横に並んで歩いていたオリヴィアが口を開いた。

「ハーヴェイ、何か聞こえる?」

「……いや。此処にいる奴らの声くらいしかしねえ。あとは……」

 

 そうハーヴェイが答え、壁を左手で触れる。引き続き受け答えをしているのはおそらく、月夜だ。月夜はハーヴェイとして湿り気のある土を掘り起こし、何かをつまみ上げる。それを見てオリヴィアは碧い目を瞬かせる。

 

蚯蚓ミミズとか普通のはいるのね……あの時はいるのかすらよくわからなかったから」

 

 ハーヴェイが指でつまむのは何処にでもいる蚯蚓ミミズである。足元を見れば、同じく何処にでもいるアリや百足などがひょこひょこと通り過ぎて行く。

 前情報が無ければ、本当に普通の洞穴だ。やけに細かく分かれ道のある奇妙さはあるし、そもそも何処の誰が作った地下道なのかという疑問は残るのだが。

 

 騒々ざわざわとざわめき出した冒険者たちの困惑をさとってか、先頭を歩くグレイグが振り返り、声を張った。

「もう少し、進んでみよう。今回はマッピングも仕事の内だ」

 

 だが、行けども行けどもあの蟲の影はない。無駄に長く、複雑に脇道も多いので、マッピング作業には時間を要しそうだが、あのカマキリもどきすらいない。

 

 結局その日はあのカマキリもどきと遭遇し、一次避難をした辺りで一度引き返した。

 

「……あの蟲ども、マジで何処行ったんだ?」


 地上に出て第一声を放ったのはジェイコブである。外はすっかり夕暮れ空だったのだが、その茜色の空の下、ポリポリと頭を掻いてジェイコブは眉を顰めている。

 

 オリヴィアも困惑顔で、ううむ、と首を傾げている。

「村の方も見つかったという報告はないし……そう言えば、あの大樹の近くはどうだったの?私たちもジェイコブたちも、其処で引きずり込まれたのよね?」

「他のパーティーに聞いたら、そもそも大樹自体がないのだと。建物も何一つなく、本当にただの更地らしい」

 答えたのはグレイグ。先頭からブルック隊の面々のもとへ歩き寄って来ている。

 

 そのグレイグの言葉に、ジェイコブが頓狂な声を上げる。

「え、マジかよ。他の村は?」

「他の村も蟲がいなくなったらしい。建物まで全部無くなったのはドナ村だけだが……」

 と言うと、グレイグは肩を竦めてみせた。


 グレイグたちの率いる数パーティーが地下を探索している間、他のパーティーが地上を調査していたのだが、地上も地下と同じく拍子抜けの結末が待っていた、ということである。

 

 オリヴィアは小さく嘆息すると、言葉を添える。

「どちらにせよ、これじゃ安全なのか危険なのか判断できないわね……」

「他の村は土地を耕し始めているらしい。今年は望めないと言えど、翌年からの生活もあるからな」

 

 そう言葉を継ぐグレイグはドナ村のある方角を臨んでいた。ハーヴェイもまたその男の視線を辿り、沈黙する。口を噤むと決めたのは月夜なのだが、悠もまた黙して、その何もなくなった村を見た。

 そしてふと、何も言わない月夜を不思議に思った。

 

(月夜さんは……蟲の巣窟を見たことあるんですか?)

 月夜はあの地下道に対して何の感想も溢さなかった。この何もない村を見てもだ。蟲について言及するオリヴィアやジェイコブを前にしても、悠に何も聞いてこなかった。

 単純に興味がないだけかもしれない。

 話を揃えるために悠へ確認を取らないのは、意見を求められて不審なことを返しても構わない、というだけなのかもしれない。

 だが何となく勝手に、月夜は悠の見た光景を知っているのではないか、という気がしてきたのだ。無論、根拠はない。ないのだけれど、この月夜というおそらく住人は何でも知っているような気がしてならないのだ。 

 すぐ傍らで、ふふ、と嗤う月夜の声がする。

(不思議なことを聞くね)

(僕があの地下で目を覚ました時……誰かが一緒にいたんじゃないかな、て気がしたんです。その誰かはもしかして、月夜さんでは?)

 もしそうならば、月夜の目的は何だ。何が済むことを彼は望んでいるのか。悠は沈黙する月夜の返答を待った。

 月夜は、ふっと吹き出すように小さく嗤った。

(わたしは君たちの視た景色を知っているけれど、それはわたしじゃないよ。わたしは悪趣味じゃない)

 

 そう、鼻で嗤うように内心で言い放つと、今度はハーヴェイとして、声を鳴らした。

「おい、オリヴィア」

「どうしたの、ハーヴェイ?」

「……先に天幕へ戻っててもいいか?」

「は?」

 

 突然の話に、オリヴィアが大きな碧眼を真ん丸にしている。だがハーヴェイは呑気に大きく欠伸をして、

「雑談に付き合うつもりはない。先に寝る」

「ちょっと、まだ炊き出しとかあるんだけど!」

 

 オリヴィアがキャンキャンと叫ぶも、ハーヴェイはさっさと背を向けて天幕へ向かう。その突然の行動に、悠もまたあんぐりとした。

(え、月夜さん?)

(いやあ、同時に意識すんの疲れちゃってさあ)

(三箇所……?)

 

 二箇所、ならば理解る。悠との会話と、オリヴィアたちとの会話であろう。だが、もう一箇所は?悠は困惑するも、月夜は何も答えない。

 ハーヴェイたちが使っている天幕へ辿り着くと、ハーヴェイはのんびりと伸びをして、頭頂で束ねる濡羽色の髪を下ろした。その開放感は何となく悠にも伝わり、不思議な感覚だ。

 

(そうだ、悠)


 不意に、月夜が内心で声を掛け、そのままゆっくりと言葉を続ける。

(先に言っておくね。わたしは他の住人たちと比べて、何でも知っている方だけど。君にわたしの口からは多くを語るつもりはないよ)

 そして、何を待っているのかもね。わたしからは何も授けないよ。月夜はそう言った。

 

(……何故、ですか?)

 悠は息を呑む。そんな悠の様子を気取ってか、月夜はくすくすと嗤う。そして嗤うのを止めたかと思うと、しんとした声で言葉を落とした。

 

(君たちには、自分で自分のことを知ってほしいからさ)

(何を、ですか?) 

(それも自分で――いや、蓮と一緒に見つけることだね)

(え……?)

 

 どうして其処で、蓮の名が出てくるのか。だがやはりと言うべきか、月夜はそれ以上何も答えない。そのままハーヴェイの肉体を横にさせ、目蓋を下ろした。

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