091-d&Y_狭間(3)
五月の真昼時。
オールトン山脈のドナ村近くには、数十の冒険者たちが訪れていた。穀倉地帯の蟲の一件の重要さが認められ、クロレンスの議会から直接調査の依頼がされたのである。
主に、オルグレンにある北方第二支部に所属する冒険者たちである。その中には、ハーヴェイとオリヴィア、そしてジェイコブもいた。
「うへえ。奇妙だな……」
頭上で大男のジェイコブが声を上げた。
上背のある彼は共に立っていても頭上から声がするのである。
ジェイコブが頓狂な声を上げるのもわからないでもない。悠は内心でそう思った。
眼下に広がるは、ドナ村
だが眼下にあるのはそんな蟲の海ではない。
ハーヴェイの横で、オリヴィアも独り言つ。
「始まりから終わりまで、本当に気味悪いわね……」
あの麦畑に初めて蟲が現れた時も、そうだったという。突然に地底より湧き出て、あっという間に広まった。それは焼き払ったとしても収まることを知らず、止め処無く湧き続けたのだとか。
だと言うのに、今度はふつりとその姿を消した。奇妙極まりない。
「おおい、ブルック隊の三人。例の洞穴はどのあたりだ?」
後方より、冒険者の一人がハーヴェイたちを呼んだ。ハーヴェイたちは道案内と力仕事の補佐という、サポート的な立場で参加しているのである。
答えるのを面倒そうにするハーヴェイに変わり、オリヴィアはその冒険者へ視線を向けて返事をした。
「あ、今行くわ」
オリヴィアやジェイコブは、そのハーヴェイの立ち振舞いに疑問を持っていないように思われる。気怠そうにして歩く仕草や、無愛想な受け答え。悠はぽかんとして、そのハーヴェイを
(お上手ですね……?)
(ふふ、そう?そりゃどーも)
(紫苑さんには、蓮さん以外はクロレンスで生活したことがない、て言ってたのに……)
強制交代にでも合わなければ、誰もクロレンスで生活しない、のようなことを紫苑は言っていた。
それもそうで、ハーヴェイとして暮らすというのは、剣を振り回す、命がけの戦闘にも立ち会うということだからだ。こればかりは、経験がない住人にはできない。
他の住人の経験が他の住人に共有されればよいのだが、残念ながらそうではないらしいので。なので、哲学について語れる住人も、ドイツ語の課題をこなせる住人もいない。
月夜はけろりとして言葉を返す。
(君だって生活したことあるじゃないか)
(違和感しか仕事してませんでしたよ)
(わたしもきっと、違和感は感じさせてるよ。明からさまじゃないから向こうも黙ってるだけ。まあ、変に思われても何とかなるでしょ、くらいにしか思ってないけどね)
悠にはとうてい真似のできない、開き直り方である。悠は考えすぎてしまうきらいがある。考えないでおこう、としても頭の片隅では悶々と考えてしまう。
月夜のように勝手気儘に振る舞えたら、母親のために
(すごいですね……ちょっと、羨ましいです)
(それが君なら、それでいいんじゃない?)
月夜の言葉に、悠は目を見開いた。それが、自分。
――あ。
――思い出した。
蓮へ一方的に吐き捨てた言葉。ぶつけた思い。何故ずっと、忘れていたのだろうか。
――僕は誰だ。
――僕はここにいるのに。誰も僕を知らない。僕は本当に存在しているのか?
――お願いだから。確かに自分が存在していると、証明させてほしい。誰か、証明してほしい。
あんなにも思い悩んでいたのに、何故今の今まで忘れていたのだろうか。悠はハーヴェイの視界から少しだけ意識を離し、内側へ向けようとした。
その瞬間。
「此処であってんのか?」
やにわに、冒険者の声が差し込んだ。中背で筋骨隆々な、中年の男だ。年齢としてはジェイコブに近い。オリヴィアたちを呼んでいた男で、その手には手斧がある。
意識を外へ向ければ、其処は緑の濃い山中。
青々と木々の生い茂り、甘やかな香りを放つ花が咲き誇っている。渓流がせせらぎ、小鳥たちがぴいぴいと何かを啄んでいる。
「ええ、そうよ」
とオリヴィアの声。また前方へ意識を向ければ、オリヴィアとジェイコブ、そしてあの冒険者は生き物の古巣のような
ジェイコブはその大きな体を頑張って屈ませて、その洞穴を覗き込む。
「ううむ、此処からだと何も見えねえな」
「……こっちもてめえの
と一喝するハーヴェイ。
ジェイコブはからからと嗤って「おっと、悪い悪い」と言いながら洞穴の入口から離れる。人間一人がやっと通れそうな小さな穴だ。悠は初めて見る。
先程の中年男が手斧を下ろすと、やおら周囲にいた冒険者たちへ呼びかけた。
「よし、此処からは俺たちのパーティー含む三パーティーで中を調査する。少し進んでマッピング、引き返す、を繰り返す。定期的な食料の運び込みや連絡要員は外で待機。ブルック隊もしばらくは協力願いたい」
「もちろんよ。負傷者三人しかいないからサポートくらいしかできないのだけれど……」
とオリヴィアがすかさず答える。オリヴィアもまだ片腕に包帯を巻いていて、その隙間から爛れた皮膚が覗いている。
リントン村を出た以降の一部始終はほんの一部しか見ていない悠には、ハーヴェイたちがどれくらい痛手を負ったのかわからないが……。
――それにあの時、なんか頭がぼんやりしてたんだよね……。
まるで別の意識に導かれるように思考していた。今思うとそれはとてつもなく奇妙なほどに冷静だった。
――月夜さんなら、何か知っているのかな。
あの時辺りから、記憶があやふやになっていた。未だに不明瞭な部分があり、蓮や紫苑と言い合い(一方的に言葉を吐き捨てた、が正確だが)になった後の記憶が歯抜けしているのだ。
――て、待って。
あれからどれくらいの時間が経ったのだ。少なくとも、ハーヴェイが冒険者として復帰した頃はまだ、日本側は九月ごろで大学は夏休みだった。しかも自動車事故で入院をしていると聞いていた。だから特に何も気にしていなかったのだ。
だが、日本の生活を気にしていなかったわけではない。あんなにも苦労して手に入れた大学生活なのだ。愛着が無いはずはない。悠は内心で青褪めた。
――単位、どうしよう。
十月になると大学が再開する。それにバイトも再開しないと、学費の支払いに影響が出る。蓮に言われて日本へ出れずじまいだったが、さすがにそうは言っていられない。
どうしよう。
此処からどうやったら出られるんだろう?
月夜は言っていた。事が済んだら帰すと。それは裏を返せば、それまで帰してくれないということだ。悠は反射的に、月夜に問うていた。
(あの、月夜さん。聞きそびれていたのですが……何が済んだら帰してくれるんですか?いつまで待てばいいんですか?)
(ヒ・ミ・ツ)
わかり易くもはぐらかされた。だが、悠が言い返すことは叶わなかった。ハーヴェイの眼の前で、あの中年男が向き直ったため、月夜の意識が外へ向けられたのである。
中年の冒険者は言った。
「三人だけでも参加してくれてこっちとしては助かるよ。改めて宜しく、ブルック隊の面々。俺はグレイグ・ジュノー。309パーティーの隊長をしている」
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