090-[MID]Y/d&Y_狭間(2)


 小さな子がいてくれたから、恐怖で呆けずに済んだのかもしれない。此処が何処で、目の前にいると何かがいったい何者なのか分からず、悠は混乱状態にあった。

 

 怖い。

 早く元いた場所に帰りたい。

 

 悠は爪を噛んだ。

 本当は叫び出したい気持ちでいっぱいだ。けれどもすぐ横にブラックがいる所為か、悠は妙な意地――年上の自分がしっかりしなくては、というものだ――で正気を保てていた。

 

 悠はまっすぐと、形のない月夜と名乗る何者かを見据える。

月夜つくよさん。あなたは、何者……なんですか?此処は、何処なんですか?」

「敬語なんて、よそよそしいじゃないか」

「……」

 

 悠は顔を引き攣らせる。本当に親しい仲で、心を許している相手でない限り、悠は砕けた話し方をしない。陽茉のように年下とわかっている時は砕けた話し方をすることもあるが。兎にも角にも失礼だからとか以前に、癖なのである。

 ゆえに、目の前のよくわからない相手に気を許したような話し方は出来ない。

 

「まあいいさ。ひとつ目の質問にまず答えようかな。わたしは、わたしさ。好きな時に好きな名を名乗り、好きな時に好きな姿を取る」

 

 全くもって、答えになっていない。むしろ得体のしれなさが増して、悠は無意識に一方後ろに下がってしまう。そんな悠の困惑顔を何と捉えたのか、月夜は間延びした声を鳴らした。

 

「確かに、だと、話しづらいか……じゃあ、とりあえずこの姿にでもしようかな」

 

 すると、ぐにゃり、と黒いかたまりが歪み渦を巻いた。悠は驚いて「わっ」と声を上げて尻もちをつく。

 その影はぐにゃぐにゃと動き、まずは四肢を、次に細やかな鼻や口、目などを形成していく。そしてそれは次第に――悠の見たことのある造形を成していった。

 

 その姿に思わず、悠は声を上げる。

「……え、なんでその姿」

「え、気分だよ?わたしは美しいものが好きでね。気分で気に入った誰かの姿をよく借りるんだ」

 

 くるり、と月夜は舞うように回る。薄いギリシャ風の白い衣を纏う彼は、靭やかな小麦色の肌に、長い黒髪、そして黄金こがね色の瞳をしていた。

 

「でもなんで、ハーヴェイなんですか?……しかもなんか幼いような?」

 

 悠の知るハーヴェイは十代半ばくらいの少年だ。だが目の前にいるハーヴェイもどきの姿は、丸みがあり、いっそう女の子か男の子か判ぜない……よくてとおくらいだ。声もハーヴェイの様相を残しているものの甘さがあり、声変わり前の少年特有のまさに天使のような声だ。

 

 訝る悠を前に、月夜はきっぱりと答える。

「美形で気に入ったからに決まっているじゃないか。それに、君は小さい子相手だと優しい。あ、え、てだよ」

「月夜さんは小さく見せても……なんかあんまり子供っぽくないです……」

「えー、それはツマラナイなあ」

 

 そうは言われても、月夜の仕草は何処か妖しさがある。怪しさもあるが……。きっと赤子あかごの姿をしていても、月夜が話し始めれば、違和感しかないだろう。

 ――まあ、赤ちゃんが話してたら違和感しか仕事しないんだけどね……。

 つまりは何が言いたいのかというと、目の前にいるハーヴェイもどきはなんとも雰囲気があるのである。(俯瞰して見たことはないが、)蓮の時のような猛獣のごとき荒々しさではなく、神秘的で魅惑的で人間ではない何かのような、そんな雰囲気が。

 

 月夜はふっと口端を持ち上げて嗤うと、ひらりと少し先の方へ歩いた。

「まあ、いいや。二つ目の質問に答えようじゃないか」

 二つ目の質問。それはつまり、此処が何処なのか。悠は尻もちをついた体勢から少しだけ背筋を伸ばして、ごくりと固唾を呑む。

 

 月夜は歌うように言葉を落とす。

「此処は、君たちの言う……に近い場所だよ。此処は窓なのさ。君はずっと、窓から出たまま、にいる……外と中の狭間にいるのさ」

「え……!?でも窓って一人しか潜れないんじゃあ……」

 

 悠は膝立ちで前のめりになる。月夜は猫のような目を瞬かせて、そんな悠を見下ろして首を傾いぐ。

「そんなことないよ?紫苑はそんなことも教えてくれなかったのか。うっかりさんだね」

「……じゃあ、月夜さんもブラックさんも、住人なんですか?」

 

 悠は隣でびくびくとしたまま棒立ちになっているブラックへ一度視線を向け、また月夜へ視線を戻す。月夜は妖しく嗤っているだけで、イエスともノーとも答えない。

 

 悠が困惑していると、月夜は有無を言わせず悠の手を掴み、立ち上がらせる。

「その眼をしっかりごらん。ちゃんと、外が視えるはずだから」

「眼を、開く?」

「そう。まずは目を閉じて」

 

 言われるがままに、悠は一度視界を閉ざした。目蓋の裏は真闇に塗り込められて、あの星々の残光すら映さない。

 悠は深呼吸した。本当にこれで、此処から出られるのだろうか。外って何処のことなんだろうか。でもずっと此処にいるのも厭だ――悠の耳元で、月夜の静かな声が鳴らされる。

 

「ほら、目を開けてごらん」

 ゆっくりと、悠は目蓋を上げた。


 さわさわと、木の葉の揺れる音がする。

 土や花の濃い匂いが鼻をくすぐり、暖かな外気が頬を撫でた。此処は、何処かの山林の中だ。夜更けのようで、星明かりの下で転々天幕が張られている。

 

 ――あれ、体が動かせない。


 視えたのに、それだけだ。まるで中で窓を覗いているような、そんな感覚。

 

(おっと、視えた?)


 頭の中に響く、月夜の声。悠は目を瞬かせて、視線をに向けた。これは、無意識にだ。

「これって……」

 思わず、声を上げる。

 その空間の切り替えに、酔いそうだ。を切り替えると、あの夜に塗り込められた空間に戻るのだ。其処にはブラックも、月夜もいる。

 月夜は口を動かすことなく、にっと嗤った。

(肉体の操作権はわたしにあるからね。其処で見物していなよ。、中に帰してやるからさ) 

 その瞳は虚ろになっている。まるでこちらを見ていないように。

 

(ハーヴェイ!)


 聞き覚えのある声に、悠はビクッと肩を震わせた。オリヴィアの声だ。へ視線を向けると、声主である炎髪の少女が腰に手を当てて、こちらを見下ろしている。大きな碧眼を吊り上げて、

「次の見張り、あたしたちよ。起きなさい!」

「五月蝿え。キイキイ叫ばなくても聞こえてるっての」

 低く、吐き捨てるようにハーヴェイが答える。応えたのは悠ではない。きっと、月夜である。

 ハーヴェイは立ち上がり、爛れた痕が未だ残る腕に包帯を巻き直すと、やおら一歩前へ出る。

 

 此処はオールトン山脈の西端。彼らは再度の蟲の調査のため、十数の北方第二支部所属の冒険者パーティーとともにドナ村へ向かっていた。






※中の「窓」ですが、既にお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、スポットから着想を得ています。宣伝の仕方でよく中を精神世界としていますが、上記の通り、いわゆる精神世界ではありません。よって窓はスポットではありませんので、ご注意ください。

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