089-[MID]Y_狭間(1)
悠は突然に目を覚ました。
無数に星の瞬く夜の帳があたり一帯を覆っている。空から地上にかけて、全てが
「ここ……どこだ……?」
自分が何をしていたのか、まったく思い出せない。ゆっくりと体を起こすと、自分もまた、夜の色をしていた。境目がないのだ。自分がこの空間であり、この空間もまた、自分なのだ。
悠はふらふらと立ち上がり、改めて周囲を見渡した。
何処までも同じ景色。誰もいない。それでも、誰かいないかと求め、悠はその夜の空間の中を歩いた。こんな見た方もない場所で一人じっとしているのが恐ろしくて堪らないのだ――自分の中で歩くという不思議な感覚の中、長く続く夜の道をひたすらに歩き、左手の親指を噛もうとしてふと、その手を見た。
――あれ。
いつの間にか、其処には華奢な白い手がある。さらに視線を下ろせば、衣服を纏っていない白い体。すらりと二本の足も伸びて、夜色の大地を踏みしめている。
鏡がないので、髪の色や目の色を含めどんな
「ここ、
それとも、外なのか。こんな世界、存在しているのだろうか。思いの外、頭ははっきりとしている。悠はううむ、と腕を組んでまた、自分がどうしていたのかを思い出そうとした。
中と外、クロレンスと日本。それは覚えている。中の住人たち――紫苑や陽茉、そして蓮。蓮とは喧嘩のようなものをした気がするのだが、それだけは思い出せない。
「……うう…………」
その声に、悠ははた、と意識を留めた。
振り返れば、誰もいなかったはずのすぐ傍に、誰かが蹲るように座っていた。星々の瞬く夜の大地と続いていて、かろうじて人の形を成している何かだ。
悠はそっと近づいて、問うてみる。
「君は……誰?」
すると、その人影はゆらりと動いて、ひとりの少年のような、少女のような姿を形作った。肌も長い髪もくりくりの大きな目も黒い子供だ。
その白と黒の目を悠に向けると、子供はやはり性別をはっきりさせない声で、もごもごと声を鳴らした。
「ぼく……わたし……じ、自分は……」
一人称すらも定まらず、ひどく困惑しているようだった。一種の
「大丈夫ですよ、深呼吸して」
「ううう……」
子供は怯えているのか、体をカタカタと震わせている。悠はその背中にそっと手を回し、優しく撫でてやる。死んだ
暫くすると、ようやくその子供の震えは収まった。悠はそっと身を離し、その子供と目線が合うようにして、言葉を投げかける。
「落ち着きましたか?」
こくこく。その子供は頷く。仕草も何処か子供っぽい。本当に子供なのかもしれない。
悠はその子供の頭を優しく撫で、言葉を続ける。
「僕は悠。君は何と呼べばいいかな?」
「う……ブラック……てみんなは、いう」
「ブラック……?」
何処かで見たような。だが、それは思い出せない。悠は暫く考えたものの、子供がその大きな黒い目をきょときょとさせて見上げているのに気付き、止めた。あんまり考え込んでいると、この子供が不安がるかもしれない。
「大丈夫ですよ、ブラックさん。君は此処にずっといたんですか?」
ふるふる。今度は左右に頭を振る。彼も此処が何処なのか、知らないらしい。「そっか……。困ったな……」
悠はゆっくりとまた、前方に続く長い道を見る。すると、ブラックが悠の腕を掴んで言葉を押し鳴らした。
「ゆ、ゆう。どこか、行っちゃうの?ぼく、お、おれ……わ、わたし……?を置いて行かないで」
おどおどとして、何処かぼんやりとしているのに、切なる声だ。悠の腕を掴む力が強く、悠は僅かに顔を歪める。なんて力だ。その小さく華奢な腕からは想像できないほどで、
悠は呻くのを堪えながら、ブラックへ言い聞かす。
「だ、大丈夫ですよ。落ち着いて、ブラックさん。どっかに行っちゃったりしませんから……ね?」
「ほんと……?とじこめたり、しない?」
「閉じ込める……?」
何のことだ、と悠は眉を顰める。
「みんな、おれ……わたし……ぼく……をとじこめて、しめだすんだ。さむくて、せまくて……」
ブラックはまたガタガタと震え始めた。目を見開き、黒い顔を蒼白にしているような気がした。
いったいどういった経緯でそうなったのか定かでないが、きっと本当に恐ろしい体験をしたに違いない。こんな小さな子を閉じ込めるだなんて……悠は自分の腕を掴むその小さな手に手を重ねて、穏やかに言葉を掛けた。
「大丈夫ですよ、ブラック。僕は君を閉じ込めたりしませんよ。だから、落ち着いて」
「ほんとう?やくそく……?」
約束、とまで言われてしまうと困ってしまう。それにそもそも、閉じ込める閉じ込めない以前に此処からどうやって出るのかすらわからない。それに、この子供がいったい何処からやってきたのかすらも。
悠はブラックの頭をまた優しく撫で、言葉を継いだ。
「僕にやれることは少ないですけど……僕は小さな子に弱いんです」
やっぱり、妹がいた所為かもしれない。同じくらいの子供を見るとつい、守ってあげたくなってしまう。ブラックは黒い目をきょとんとさせて、小さくこくりと頷いた。
ふわり。
やにわに、暖かな風が悠の頬をなでた。此処で目を覚ましてから初めての、空気の揺らぎ。遠くで、鳥が鳴いたような気がする。悠は息を呑み、
「君は――……?」
その視線の先には、三人目の人影があった。
本当に、人影だ。黒いかたまりだ。輪郭でうっすらと人間の形をしているような気がするのだが、その人影は姿形を捉えさせない。けれども、その口端を持ち上げて微笑を浮かべているような、そんな気がした。
その人影は風のような、そんな爽やかで柔らかな声で言った。
「やっと、目を醒ましたんだね。よかった。なんか
――呼んでない?いったい、何者?
悠は冷たい汗を額に伝わらせ、それでも問いかける。
「君は……誰?」
「わたしはわたし。名前なんてないさ。でも、そうだな……月……
何とも軽いノリで名前を決める。敵意はなさそうだけれど……日本にいる親友にも「警戒心がなさすぎる」と言われた自分の勘はあまり当てにならない。悠は顔を強張らせながら、少しだけ後退りながらも問い返した。
「
「うん、そう。
そして
「大丈夫。安心して。きっと、何とかなるさ」
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