085-R_友人(1)


 巫山戯ている。

 怒鳴り散らす相手もなく、へとへとになった蓮は寝台ベッドに突っ伏した。

 

 東京駅での迷子は気力で乗り切ったが、その後が難関だった。新幹線から降りて彷徨い、在来線の乗換駅で彷徨い……どっぷり日が暮れてようやく、この体、五十嵐いがらしあおい(正確には悠)の下宿先である。

 

 クロレンス育ちの蓮にとって、ダンジョン状態の地下鉄というのはオールトン山脈やグレウフェル山脈を超えるよりもずっと苦労する。というか、人口密度が高すぎる。少し歩くと肉壁にあたり、少し下がるとこれまた肉壁。どんなに栄えた街で、その日が祭りでもこんなことはなかった。とてつもなくストレスフルである。

 

 ぐうう……


 いつの間にかあの嘔吐感はなくなったものの、やっとダンジョン攻略を終えたからだろうか。空腹感で今度は吐きそうだ。

 蓮はげっそりとしながらもショルダーバッグから財布を漁り、所持金額を確認する。1399円。異様に一円玉と十円玉があって、パンパンだ。カードにも金はあるが……入院中でしか売店に行ったことがなく、未だに日本の金銭感覚に疎い今、節約するに越したことはないだろう。

 

 だがそれでも。

 ――近くにコンビニあったから……とりあえずそこでなんか買うか。

 節約はすると言っても、パンひとつくらいなら問題なかろう。たぶん。そう思いながら、蓮はふらふらと寝台ベッドから降りる。

 

 その瞬間。

 やにわに、室内にピンポーン、とインターホンの音が鳴り響いた。


「……あ?」

 一瞬、その音が何なのかすらわからず、蓮は眉を顰める。暫くしてそういえば、これはインターホンの音だな、と理解したものの、何故か立て続けにインターホンが押される。その喧しさに蓮は思わず勢いよく扉を開けて、

「五月蝿え!」

 と外へ向けて一喝してしまった。

 

 其処でようやくハッとするものの、時すでに遅し。見知らぬ青年とばっちり顔を合わせていた。

「……なんや、今日の五十嵐はやけにご機嫌ナナメやな……どっか悪いんか?」

 と間延びした声を鳴らすのは、まさに今目の前にいる青年。

 

 上背があり、明らかに染めたであろうツーブロックの銀髪に赤いメッシュを入れた男。夜なのにサングラス(蓮は色付きメガネを知らない)をして、耳にいくつもピアスをあけている。黒地のパーカーTシャツにはよくわからない文字(蓮は英語が読めない)に、だぼだぼのモスグリーンのズボンという……蓮は言葉を失った。何だこの、クソ派手な男は。

 

「ん?どうしたんや、五十嵐?便所か?我慢はよくないでえ……てこらこら!」

 

 気が付けば思わず玄関の扉を閉めかけていたが、その青年は許さない。がっしりと指輪を幾つもした手で押さえて、蓮の逃亡を阻みにかかった。

 

「なんや本気でヒドいで五十嵐。今日、大学に来んかったから心配して様子を見に来たのに」

「……いがらし?」

 

 はた、と蓮は動きを止める。

 それはあおいの苗字だ。今さらにそのことに気が付き、蓮は沈黙する。待て、悠。お前、どんな友好関係を築いてるんだ?と。あんなにおっとりした様子で、まさかこんな派手な男が大学の友人がいる……だと?

 

 蓮はめずらしくも尻込みしながら、問い掛ける。

「……ええと、お前。もしかしてチャットを何度も送りつけてた……?」

 

 入院中も、そしてつい先程も母親以外からの個人から連絡が来ていたのは知っていた。あえて無視をしていたわけだが。その中に、そう言えば男の名前があったなとは思っていたが、まさかこんな派手な男だとは思っていなかった。

 

 すると、その男は切れ長の目を真ん丸に見開いて、

「なんや、スマホ生きとったんか。全然連絡付かんからどうしたんかと……てか、そういや交通事故ってほんまか!?て、それ松葉杖やないか!」

 

 ころころと表情の変わる男だ。呆れていたと思えば我に返り、今度は心配そうにしている。蓮は唖然としながらも、沈黙を貫いた。

 

 相手が無関係の誰か、もしくは悠もあまり会いたくないであろう母親なんかであれば素っ気なく返してもよい(まったくよくない)と考えていたが、悠の友人となると話は変わる。悠が日本で生活したい、なんて言いだして友人関係が壊滅していたというオチだったら、確実に泣かれる。それだけは、避けたい。

 

 ゆえに蓮は何も言葉を返せない。下手に答えてしまうと、ボロが出る。お世辞にも蓮は演技は上手くない。

 冒険者の任務においても、依頼主の機嫌を取るなんて器用なことはできず、どうしてもそうしなければならない場面になればオリヴィアに任せていた。オリヴィアと出会う前はジェイコブや他のメンバーに。

 他人を苛立たせることに関しては一級品だが、相手を気分よくさせるにはポンコツすぎる――わかってはいるのだが、どうにも相手に揃えるのがこの上なく耐えられない性分なのだ。

 

「……なんや、なんか五十嵐、変やないか?」

 

 ぼそり、と落とされた男の言葉に、蓮はどきりとする。思わず取り繕うように、

「そ……そうか?」

 あ、しまった。言葉遣いと思いながらも、蓮は顔が引き攣って何も言えない。珍しく誰かのために誤魔化そうなんてするから余計にボロが出る。

 

 男はまじまじと蓮を見て、言葉を続ける。

「だって五十嵐、機嫌悪いときは爪噛むやんか。でも今、噛んでないし……それに……」

 よく見ている。想像以上に親しい仲なのかもしれない。蓮はどうこの場を切り抜けるかで思考を回すが、空腹で何も考えられない。

 

 すると、男は首を傾げて言った。

「なんやろ。なんか雰囲気変わっとらん?変なこと言って悪いんだが……ホンマに五十嵐か?」

 

 無理だ。

 蓮はさっさと見切りをつけた。下手に誤魔化そうとすればするほど、奇妙な行動しかできない。で人間関係を破綻させてしまったら……。悠の反応を考えると、とてつもなく恐ろしくて震えあがりそうになるが、今はきっとこれしか方法がない。

 

 ――落ち着け。後で纏めて謝ればいい。

 

 と言いつつも、悠に嫌われるのではないかと思うと逃げ出したくなる。おのれを落ち着かせるため深く長く息を吐くと、蓮はむんずとその男の胸ぐらを掴んで言った。

 

「とにかく、中に入れ。説明は中でする」

「お、おう?別にええけど……」

 

 この肉体が女であるなんてこともすっかり忘れ、そしてこの男がそのことに全く触れていないことにも気づかず、蓮はその吃驚するくらいに派手なその男を部屋の中へと半ば引きずり込むようにしていざなった。

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