084-[IN]S/R_想起(4)
中の住人というのは、不定で不明瞭だ。
ゆえに、変化を問うてはならない。紫苑はずっとそう
「ユウってさ。思ったより肝が据わっているよね」
何となくやや皮肉を籠めて、紫苑は言ってみた。
此処に悠はいない。窓の向こうに彼はいて、穏やかな彼とは思えぬ言葉を吐き、さらには相手を殴りつけるという所業をなしている。
蓮としては申し分なく普通な行動だが、それをあの、筋肉質で自分より背の高い女である紫苑の頼み事すら断れなかった悠がやっているのだから、大した役者根性である。
しばらくは沈黙で返したのち、窓から悠の声が鳴らされた。
(そうですかね?なんか、覚悟決めたらできちゃいました。火事場の馬鹿力?て言うんですかね)
そんなわけ、ないだろう。
と声に出しかけて、紫苑は口を噤む。そんなずっと続く火事場があってたまるか。それに……。紫苑は無意識に思ったことを口に出す。
「……それにしては、板に付いてるよね」
(へへ、そうですかね。
それだ。
その、平然として他人のフリをしていることが言えることがなんとも不思議で堪らない。半月前、蓮と言い合いになった時、まさにその他者の存在があったのに。過去の知らない自分と比べられることをあんなにも忌避していたというのに、あんなにも「今の自分」に拘っていたというのに。
不意に、悠の声が窓から差し込まれた。
(あのお。すみません、紫苑さん?)
「え、あ、な、なんだい?」
物思いに耽っていて、話を聞いていなかった。紫苑は焦りながらもこほんと咳払いをして取り繕う。そんな紫苑を想像したのか、悠がふふ、と笑う。
(何か考え事でもしてたんですか?)
「ま、まあね。で、どうしたんだい?」
(さっきも言ったんですけど……しばらく中と会話できないかもです)
その発言に一瞬だけ目を瞬かせるも、紫苑はすぐに今日のハーヴェイの予定を思い起こす。
「あー、何かの手伝いだったっけ?」
(はい、両腕の火傷もだいぶ引いて来ましたし、幸い、毒もそんなに付着しなかったみたいなので。他のパーティーの手伝いに行くんです)
ハーヴェイの体は強靭で、とにかく傷の治りが早い。医者のほうがその速さに信じられず、まだ休むように!と声高に叫んでしまうくらいだ。ベアード商団の一件のあとも、本来ならばもう少し早く活動再開できたのだが、記憶喪失の件もあってオリヴィアまで過剰反応して長期休暇を取った、というところらしい。
蟲の巣窟から脱出して数日経過した今、今回は簡単な仕事はやると悠が言い出したのだ。なんでも、クロレンスの生活に慣れるためだとか。
――まあ、確かに。レンがいつ戻るかわからない今、慣れるのは必要なことなんだけれど。
急に大型任務、という方が辛いだろう。ハーヴェイはS級なので、復帰すぐに斬ったはったに放り込まれる可能性は十分にある。
紫苑はソファの上で足を組み直し、頬杖をついて言葉を続ける。
「他の同僚はまだ療養中なのかい?」
(コリンさんはまだかかりますね。結局、自然治癒に頼っているので。でも、ジェイコブさんはそろそろだとか。気をつけないと。ジェイコブさん、ハーヴェイと付き合いながいので)
「……本当に大丈夫かい?」
(大丈夫ですよ。なんとかなりますって)
なんとかなる。
その言葉に、紫苑はハッとした。だが、悠はそれ以降、ハーヴェイの生活に専念するため、しばらく言葉を返さなかった。
✙
嘔吐感。
気持ち悪い、気持ち悪い。
吐きそうだ。
周囲を幾人ものの人たちが横切り、ちらりと蹲る彼を見てはひそひそと言葉を交わし、過ぎ去って行く。それでも、そんな目線を気にする余裕も気力もなく、彼は横断歩道前の路端に屈み込んでいた。正確には近くの花壇に腰掛けていた。片足がまだ治っていないので。
ピロン
スマートフォンが通知音を鳴らす。誰かから連絡が来たらしい。が、やはりそれを確認する元気もない。口元を押さえて、吐き気を堪えるので精一杯である。
中からは声がしない。
目を瞑っても、戻れない。
完全なる孤立だ。しかも此処は、この体の実家のある地域。あの地方の下宿先からどうして、首都圏のベッドタウンにいるのかさっぱりわからない。
ご丁寧に帰りの新幹線のチケットが用意されているのを見るに――誰かが悪戯で此処まで体を運んで入れ替わった、としか思えぬが――否。誰がやったことなのかは、すでに目処は立っている。だからこそ、なおさらに気持ち悪くて仕方ないのだ。
「あのお、大丈夫っすか?」
頭上から鳴らされた男の声に、彼は顔を上げる。きっと近くにある大学の学生だろう。チャラチャラとした派手な男が三人ほど近くに立ってこちらを覗き込んでいる。
そのうちの一人がこちらの顔を認めるや、
「うお、めっちゃ美人じゃん。大学生かな?」
「お姉さん、二日酔いか何か?だいじょーぶ?」
ともう一人。
日本人はスルースキルが取り柄だと思っていたのだが……この男たちは違ったらしい。それは彼らが見た目に似合わずお節介焼きのためなのか、それともこの、日本人的には美人とされる部類の容姿のためなのか。
「……」
しばらく沈黙して彼らを見上げた後、松葉杖を支えによろよろと立ち上がって彼はついと顔を背けた。
「五月蝿え。ほっとけ」
想像もしなかった言葉遣いと態度の悪さに、呆気に取られたのだろう。初めに声をかけてきた男が顔を引き攣らせて、「うえ、感じ悪」
勝手に話しかけておいて、何が感じ悪い、だ。何を期待したのか。にこにこ弱々しく「ありがとうございます」なんて言ってもらえるとでも思ったのか。ギロリと睨め付けて、吐き捨てるように言い放つ。
「あ?なんか言ったかクソ野郎。てめえ等には用事ねえからさっさと失せろ」
何処のヤンキー娘だ、とばかりに男たちは言葉を失う。周囲で通りがかった他の人間たちも同様で、ぎょっと目を剥いている。
彼は舌打ちすると、さっさとその男たちを無視をし、スマートフォンの画面で時間を調べる。まだ昼を過ぎて数時間くらいなので、さすがに明るいうちに下宿先には戻れるだろう。……と思いたい。
――新幹線の時間は……。
チケットをめくって時間を確かめる。そもそも、新幹線ってどうやって乗るんだ?何処に乗り場があるんだ?などと頭を悩ませながら、スマートフォンに表示された時刻と見比べ――思わず荒げた声を上げる。
「はあ!?」
その声に、まだその場にいた男三人衆がビクッと後退る。だが知ったことではない。吐き気なぞ気にしている場合でもないのだ。彼は
「あんの、クソ野郎。走れってか」
と悪態づくや、緑の信号が点滅する横断歩道を松葉杖でひょこひょこと、可能な限り全力で駆け抜けて行った。
現在、日本時間で13時半。ネット調べによると、現在地から東京駅までの所要時間、三十分少し。東京駅から新幹線口までの道のり、不明(知らない)。だというのに、新幹線の時間は14時9分。迷子になる時間すら与えられていない。
彼――中での
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます