083-[IN]S_想起(3)


「あれ、これは……どんな状況……なんでしょうか?」


 呆気に取られたように、窓から現れた悠は右手で頬を掻き、室内のソファ近くで啞然とする紫苑たちを見渡した。

 

 それはこっちの台詞だ。

 と紫苑は声を荒げそうになるが、それよりも先に、ヨナスが声を鳴らした。

『あれえ?もしかして、お前がユウ?』

 

 わざと日本語に切り替えるヨナス。この少年はたまたま、またクロレンス側を訪れていたのだ。珍しいものを見るかのようにじろじろと覗き込むヨナスを紫苑は止めようとするが、住人の中で一番グイグイ行く性格タイプの彼の勢いは止められない。

 

 悠は顔を引き攣らせながら、日本語で問い返した。

『……あの……どちら様で?日本語、お上手ですね……』

 記憶のない彼からすれば、見ず知らずの外国人に絡まれるという一種の恐怖体験まっ最中であろう。

 

 ヨナスは目を瞬かせると、またしても大袈裟に頓狂な声を鳴らす。

「わお!本当に何も覚えてないんだ。あんなに仲良しだったのに」

 今度はクロレンスの言葉。悠はきょとんとして、それでもすかさずクロレンスの言葉で返す。

「え?そうなんですか……」

 

「そうじゃないから安心をし。思い出を偽造するんじゃない、ヨナス」

 と鋭いツッコミを差し込む紫苑。

 ペシッとヨナスの亜麻色の頭を軽くはたいてから、悠から引き剥がす。

 

 一方で悠はきょとんとして、紫苑とヨナスを見比べて、

「あの、紫苑さん。こちらの方はどなたなのでしょうか?」

「住人のひとりだよ。名前はヨナス。個室はこっちにあるんだけど、普段は日本側にいるんだ」

 

 悠はずっと、紫苑と陽茉、そして蓮以外の住人に会う機会を逃していた。というより、元々多くの住人たちは中でも個室外に出ないので。ヨナスは唯一異なるが、日本側への行き来を蓮が制限していたのが影響したのだろう。

 

 新しい住人と知り合えて嬉しいのだろうか。悠は柔らかに微笑んで、ヨナスへ挨拶をする。

「そうなんですね。五十嵐いがらしゆうと申します」

 

 小さくお辞儀。日本人である。それでいて、何処かのツンケンした乱暴者と違って感じがいい。

 考えてみれば、今は少し前まで一人暮らしをし、バイトにサークルと学生生活を謳歌していたのだから、そこそこに人付き合いはできるのだ。

 

 そんな悠を前に、ヨナスは面食らったように目を瞬かせた。、丁寧な対応で、驚いたのだろう。

 

 ――わからないでもないけど、失礼だ。

 

 と紫苑が肘で小突くと、ようやく我に返ったらしい。気を取り直してヨナスも挨拶を返した。 

「あ、オレはヨナス・ホワイトと申しま…………なんかやりづらっ」

 つい悠につられて丁寧口調になりかけ、自己ツッコミ。そんな調子の狂った様子のヨナスを見て、紫苑は内心で苦笑した。

 

 ――まあ、そうなるのもわかるけど。

 

 紫苑もまた、顔に出さぬようにするのが精一杯だった、などとは言わないようにしていた。、暗黙の了解だ。変化に対して問うな。それについ最近、過去を蒸し返して悠と蓮が衝突したばかりだからなおさら、気を付けねばならない。

 

 紫苑は仕切り直すように両手を打ち付けて音を鳴らすと、

「とにかく。今は状況の整理だ」

 と言い放った。

 

 すぐに悠もヨナスも、そして陽茉も紫苑に注目した。紫苑はゆっくりと言葉を続く。 

「君がクロレンスから出てきた、てことは……日本にいるのはレンかブラック、またはその両方ということになるね。あ、ブラックというのも住人のひとりだよ、悠」

 

「そのブラックさん、という方も行方不明なんですか?」

 悠が首を傾げてみせると、紫苑は小さく頷いて見せる。

「そうだよ」

「どんな方なのでしょうか?」

「……まあ、あんまり、会わないことをお勧めするよ」

 

 紫苑の横で、ヨナスも気不味そうに顔を引き攣らせる。陽茉は顔が隠れているので定かでないが、ニコニコと笑っていないだろうことは予想できる。断定してもいいくらいだ。それほどに、ブラックという住人はなのだ。

 悠は未だに怪訝そうにはしているものの、触れてはならぬと考えたらしい。それ以上は追求しなかった。

 

 ソファへ腰掛けると、紫苑は頭を押さえる。

「しかし、一番イヤな組み合わせだなあ」

「いや、孤立してるなら一番マシな組み合わせじゃないか?」

 とヨナス。


 紫苑は何となく、彼の言っている意味がわかり、そうかもしれないと考える。だがあえて考えなかったことを、ヨナスは言葉に出す。

「あ、でもブラックだけだったらマズいかも?」

 

「考えたくもない……でもレンだけも十分に心配ではある。ブラックよりは……マシかな?」

「まあ、死にはしないだろうけど」

 

 けろりと恐ろしいことを吐くヨナスに、紫苑は絶望したように顔を覆う。蓮は直近多くの時間をクロレンスで費やしてきた少年だ。相手がかなり高位な貴族や王族出ない限り、殴っても問題なかった。何ならば、敵ならば殺しても罪に問われない。

 

 警察を前にカツ丼を提供されているあおいの姿を想像し、紫苑はさらにいっそう蒼白顔になる。

あおいって成人してたよね」

「今年の五月ですでに二十二ですよ……」

 

 悠の返答が、一縷の望みを一瞬のうちに打ち砕く。いや、どうやら最近のSNSの普及は著しいらしいので未成年でもまったくその保証はされないのだが。

「ユウ、戻って顔写真付きでニュースに上がってたらごめんよ……」

「恐ろしいことを言わないでくださいよ。それに、さすがに蓮さんだって自重しますよ。たぶん……きっと」 

 悠の語尾まで弱い。それほどに信頼されていないのだ。殊に、法律と倫理で守られている日本で生活するとなると。

 

 不意に、ヨナスが話を変えるように言葉を差す。

「それでさ」

 

 ヨナスはちらりとクロレンスの窓を見て、言葉を続く。「クロレンスの生活はどうするんだよ?そっちは元に戻ったてことは、誰かが行かないとハーヴェイが餓死しちゃわなくない?」

 

 忘れたかったところだが、目下の問題はそこである。

 

 誰が、冒険者として生活をするのか。今回はその場しのぎとは行かない。引きこもっているような住人には務まらない。陽茉のような小さな女の子も論外である。――では、誰がするのか?


 

「僕で、いいですよ」


 その落ち着いた悠の声に、紫苑たちは息を呑んだ。悠は渋々といった様子もなく、あっさりとした口調で続ける。

「一応最近も一度見てますし、僕でいいですよ」

 

 とても、朝食を摂るだけで必死に断っていた少年だとは考えられないきっぱりとした言い切り。まさか自己犠牲精神的なあれか、と紫苑は困惑して、

「その……代わりに自分がと言えないところ申し訳無いんだけど、本当に大丈夫かい?それってつまり、冒険者業もやらさらるかもしれない……人を殺さないといけない場面に合うかもしれない、ということだよ?」

「確認しなくてもそんなこと、わかってますよ」

 にっこりと返す悠。紫苑たちは唖然として、次の言葉が発せられなかった。


 ――え。誰、この子?


 その言葉を飲み込み、紫苑は悠の提案も飲んだ。どうせ誰も手を挙げないのだから。そして一方で、早く蓮が帰ってくることを祈った。そうすれば、クロレンスの生活に不安なぞ感じずに済むだろうから。

 

 だがその祈りも虚しく、数日が経過した。


 

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