082-[IN]S_想起(2)


 紫苑いわく、蓮と悠が入れ替わったとのは、まさにその半月前である。

 

 それはハーヴェイたちがあの蟲の巣窟から脱出して数時間後。オールトン山脈沿いで、人間ひとがまだ住んでいた村で一泊した時である。

 否。その前から異変は始まっていた。


「ゆ、ゆうお兄ちゃ……は?ど、どこい……行っちゃったの?」

 

 あの日、紫苑が二階から降りてきて、初めに聞いたのが陽茉ひまりの声だった。栗色の癖っ毛で顔を隠した幼い子どもが窓の前を行ったり来たりして、おろおろとしていたのだ。そんな落ち着きのない彼の様子に、それまでのも引っ込んで、紫苑は駆けつけた。

 

「どうしたんだい、マリ?」

「し、しお、しおんお姉ちゃ……お、お、お兄ちゃんたち出てこない……」

 

 出てこない。そもそも、クロレンスの窓は不通だったのでないのか。紫苑は困惑し、陽茉ひまりの両肩を掴んで、問い直す。

 

「ちょっと待って。誰かが外へ出た、ということかい?」

「う、うん……れ、れんお兄ちゃん……お外に……」

 

 陽茉によると、引きずりこまれたように蓮は外へ出たらしい。それ自体も十分に奇妙なのだが……兎にも角にも、今は何時までも姿に見えない悠である。

 

 ――というより、先に外にいたのって本当に悠なんだよね……?

 

 個室の扉が開かなくなったと思えば、今度は開き其処に姿のない。丁度クロレンスの窓が機能していなかったことも合わせて、きっと外にいるのは悠なのだろうと踏んでいたのだが。

 

 ――で、今外にいるのが蓮、なんだよね?

 

 どうにも異常事態の連続である。本当にクロレンスにいるのが誰なのか。紫苑は窓の方へ視線を向け、声を張って尋ねてみる。

「こっちの声、聞こえるかい?今外にいるのはレンであってるのかい?」

 矢張りと言うべきか。返事がない。異常事態のときはたいてい、窓が不通になる。

「ダメかあ……まあ、どっちも今いないのは確かなんだけど……」

 

「あー、ちょっといいかな?」


 差し込まれた三人目の声に、紫苑ははたと息を呑む。

 声のした階段の方を見れば、其処にはふわふわの亜麻色の髪に青い瞳をした少年。日本人風の顔をした紫苑たちと異なり、その顔立ちは西洋人のもの。紫苑より上背のあり、十代後半くらい――それは、クロレンス側に個室があるというのに、最近は日本側の切り盛りを任されていた住人だ。

 

 その少年の姿に、紫苑は頓狂な声を上げた。

「ヨナス!?どうして此処に?」

「しぃねえも知ってるだろ。他の皆は個室に引っ込んでて、話しかけられる住人がこっちにしかいなかったんだよ……で、仕方なく。もしかしてこっちもなんか騒ぎ起きているカンジ?」

 

 ヨナスは気不味そうに頬を掻く。今にも泣き出しそうなそうな、陽茉の様子を見てのことだろう。紫苑は深々と嘆息し、近くにあった革張りのソファに腰掛けて言葉を継ぐ。

 

「住人が二人ほど消息不明で、窓も不通なんだよ」

「え、そっちもなんだ……」

「そっち……?」

 

 思わず、紫苑は目を剥く。彼が蓮や悠について触れているとは考えられない。悠が来てからというもの、彼はずっと日本側にいたのだから。最近ずっと蓮が無茶をしていると、たまたま日本側へ訪れた紫苑にこっそり知らせていたのも彼だ。

 

 ヨナスは困ったね、とばかりに仰々しく方をすくめて見せると、言葉を続ける。

「こっちもひとり、いないんだよ。で、窓が機能停止中」

「ちなみにいない住人の名前を聞いても?」

 

「――ブラックだよ」

 

 その名前に、紫苑ばかりか陽茉も驚いたようにヨナスへ注目した。紫苑に至ってはついソファから腰を浮かせて、声を上げる。 

「はあ!?外からはずだろう?」

 

 の個室は鍵を閉められない造りになっている。その理由は無論誰ひとり知らぬのだが、それ故に悠の部屋の扉が開かなくなった時に騒ぎになったのだ。

 

 ヨナスは乾いた苦笑を溢して、

「さっき見たら、こじ開けられていたんだよ。で、こっちに逃げ込んでいないかと思ったんだけど……この様子だと、わからない感じだよね」

「……何なんだ、いったい」

 ソファに腰掛け直し、紫苑は頭を抱えて、さらに言葉を続く。「ユウが戻ってきてから、変なことばっかりだ……」

 

「ユウ?誰それ」

 

 きょとんとするヨナスに紫苑は「あ」と声を上げ、言葉を継ぐ。

「そっか。なの、君は知らなかったんだったね」

「え、誰か名前変わったの?」

 

 では見た目だけでなく、名前も突然に変わることがある。時には性格自体が変わってしまったり――悠はまさにだった。

 

 あえて紫苑は伝えていなかったが、悠はもともと、「五十嵐いがらしゆう」ではなかったのだ。久しぶりの再開時に紫苑や陽茉、蓮が彼を悠と呼んだのは、部屋のネームプレートで事前に確認していたからだ。中においては、ネームプレートに記された名前でその住人を呼ぶ。暗黙の了解のようになっているのだ。

 

 紫苑は組んだ足を支えに頬杖をつき、

「いつもレンと一緒にいた子がいただろう?その子だよ」

「うっそ、マジ帰ってきたの!?どこどこ!?会いたいなあ。どうりであのおチビさんの様子が可怪しかったのかあ!」

 

 きょろきょろと忙しなく部屋を見渡すヨナス。中において、一番人懐っこい性格をしている住人とも言えるだろう。加えて、個室に籠りがち、そうでなければ性格に難ありな住人の多い中、外交的でそこそこ常識人。お陰で、日本側を任せられるわけだが。

 

 紫苑ははあ、とまた深く嘆息して言葉を落とす。

「レンも合わせて消息不明だよ……」

「え、マジ?」

「マジだ」

「そっかあ……それは残念だあ……」 

 本当によくころころと表情の変わる少年だ。実に残念そうながっくりと肩を落としてしゅんとしている。

 

 不意に、ふたりのやり取りを黙してみていた小さな子どもがおどおどとして、声を差した。

「お、お兄ちゃ……たち、……どうなる……の?」

 

「窓の問題も、消息不明な住人の問題も、どうしようもないもんなあ」

 とヨナス。

 

 事実、住人たちはたいていの場合、何が起きても対策も何もできない。此処がいったい何処なのか、そして自分たちが何者なのかすら知らない彼らは、突然に存在が消えてしまうようなことがあっても、それを受け入れるしかないのだ。

 

 紫苑は「そうだね」と同意を示すと、溜め息混じりに言葉を加えた。

「復旧を待つしか、ないね」



 それから数時間後のことだった。

 悠がクロレンス側の窓から姿を表したのは。

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