080-out/R_脱出(3)
穴を潜った向こうは、昼下がりの森の中だった。
オリヴィアにとって、見覚えのある景色だ。
青々と木々の生い茂り、甘やかな香りを放つ花が咲き誇っている。渓流がせせらぎ、小鳥たちがぴいぴいと何かを啄んでいる。
此処は、ドナ村へ降りる手前のオールトン山脈の一角だ。山に降りる前と後でのその落差で鮮明の激しさでオリヴィアはよく覚えていた。あの生き物の巣だと思っていた穴が、まさか蟲の巣窟に繋がっているとは。
ぴーひょろろろ……
頭上から知らない鳥の鳴き声が降り注ぐ。その姿は見えず、どんな鳥なのかはわからない。
オリヴィアはその目映い緑の世界に目を細めた。最後の最後に、あのカマキリもどきを片手で掴んだ影響で、腕がひりひりと痛む。それでも。
「助かったの……?」
蟲たちは、地上まで追ってこないらしい。地上へ繋がる穴の手前で止まり、そしてぞわぞわと音を立てて闇の中へ吸い込まれて行く。
同じように呆気に取られていた大男はそのまま尻もちを付き、声を上げた。
「うへええ……もうオジサン、へとへとだぜえ」
「こういう時だけオジサンとか言うのかい。というか下ろしてくれ……」
干した布団みたく担がれている、ソバカス顔の男がじたじたと足をバタつかせる。座り込んでも中背のコリンの頭や足が地面に付かないのだから、ジェイコブはよほどの大男である。ジェイコブはからからと乾いた嗤いを溢し、ようやく肩からコリンを下ろす。
「悪い悪い。ほらよ」
「まあ、動けなくなった俺がいけないんだけどね……。それよりもハーヴェイは?」
コリンはそう言って、出口の穴のすぐ近くに立つ長い濡羽色の髪の少年を見る。先程からずっと言葉を発していない。
そのことを不審に思ったのか、オリヴィアは眉根を寄せて、ハーヴェイのそばへ寄る。
「ハーヴェイ、あんた大丈夫?」
ハーヴェイはぼうっと突っ立っていた。疲労が溜まって、動けなくなったのか。そんなハーヴェイは見たことがないが、考えてみればずっと具合がよくなかった。オリヴィアは心配になり、ハーヴェイの肩を掴んで揺する。
「ちょっと、ハーヴェイ?しっかりしなさい!」
「
ようやく、ハーヴェイが声を鳴らしてオリヴィアはホッと胸を撫で下ろした。
ジェイコブやコリンも同様で、脱力している。普段から無駄口は叩かない
「ずっと
「五月蝿え。こちとら両腕やられて痛えんだよ」
だらりと下がった腕は膨れ上がっている。オリヴィアの片手もそうだ。またしても長期休暇か……?と思われるほどの満身創痍。ジェイコブやコリンも背比べくらいに悲惨な状態にで、パーティー全体の活動が怪しく思われる。
不意に、オリヴィアがハーヴェイの顔を見るや、碧い目を見開いた。
「……!てあんた、その頬の傷!」
その声で、ジェイコブもコリンもハーヴェイの顔へ注目する。ハーヴェイは気不味そうに、腫れた手で頬に触れた。
「あー、あのカマキリ野郎にやられたところか」
コリンの時よりも浅いが、薄っすらと一筋の傷が出来ている。オリヴィアは顔を青ざめさせて、
「呑気なこと言ってんじゃないわよ!症状出るまでどれくらいかかったの!?」
と声を上げ、ジェイコブとコリンへ視線を向ける。症状までの期間はこの二人へ問うているのである。
ジェイコブとコリンは顔を見合わせると、困り顔をして言葉を返す。
「一日、くらいだよな?」
「たぶん、そのくらいかと……?」
時計もなければ太陽も見えなかったのだ。確かな時間など分かるはずがない。ハーヴェイは
「てことは数日だ。それまでならオルグレンへ行けるだろ」
「何の確証あってそれ言ってるわけ!?」
「こいつら、
「……それは、そうだけど」
オリヴィアは何処か納得の行ってなさそうな顔をしている。相棒のハーヴェイが心配で堪らないのだろう。だがそんな健気なオリヴィアを他所に、
「ならさっさと、症状出るまでにオルグレンへ行ってサイラスにどうにかしてもらえばいい」
と人の気そっちのけなハーヴェイ。相変わらずの無神経ぶりだ。
ジェイコブとコリンは顔を引き攣らせ、肩を竦める。本当は鉄拳を見舞いたかったが、相手のぼろぼろな姿を見て思い留まったのだろう。オリヴィアは握っていた拳を下ろしていた。
そんな少女の思いも構うこと無く、ハーヴェイはやおら、西方向へ歩き始めた。
「さっさと帰るぞ」
いつものぶっきらぼうな物言い。三人に背を向けていたゆえ、その時彼がどんな
――濡羽色の髪の少年は、小麦色の肌の上でひっそりと、妖しい笑みを浮かべていた。
✙
ポッポーッという間の抜けた電子音で、
其処は交差点の前だ。
車が両方向止まっているので、おそらく歩車分離信号。晴れ空の下、幾人ものの人たちが横を過ぎて行き交う。学生服を纏った少女たちや、背広を着た男と服装は様々だが、
僅かに店舗が入れ替わったりはしているが、見覚えのある街並み。斜め前方には駅のロータリーがあり、その上からはガタンゴトンと電車の走る音。電車の発車ベルや駅内放送までも響き渡っている。
――え?
彼はおのれの左手を見た。
それは、
足元へ視線を下ろせば、右足は
肩からはショルダーバッグが下げられていて、わざとらしく新幹線のチケットとスマートフォンが挟まれていた。慌ててそのスマートフォンを開いて見れば、手振れの酷い風景写真の上に日付と時間が表示されている。
2014年10月1日水曜日、13時15 分。
緑色のチャットアプリのアイコンは、一件の通知を知らせている。
その通知の内容を見るや、彼は震える唇で、声を押し鳴らす。
「嘘……?」
途中で声が掠れてかき消えたものの、それは甘い、女の声。ふと振り返り、真後ろにある店の窓に自分の姿が映り、さらに驚愕する。それは女。見慣れた、若い娘の姿。
彼――
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