079-out_脱出(2)


 一方で、ジェイコブは肩にコリンを担いで太い道を走り抜けていた。左右には小さな細い道の入口が転々とある道だ。


「おい、大丈夫か?」

「逆行する景色を見てると酔うけどね……うぷ」


 コリンは頭をジェイコブの背中側に向ける形で担がれている。体を自力で起こさねばさらに頭を下に向けることとなるので、逆行する景色を見るだけでなく、頭に血が上るという何とも言えぬ拷問だ。

 両腕が塞がるといざという時にどうしようもない、というのもあり背負ったりお姫様抱っこをしたりするというのは無しになったのである。お姫様抱っこはいすれにせよ、両者ともお断りだったが。


「はは、我慢しろい」

 ジェイコブはからからと愉快げに嗤って応じながらも、前方から流れる空気の匂いを嗅ぐ。


 ――外の匂いが濃くなって来てんな。


 一月半ひとつきはんも経っているとオリヴィアが言っていた。つまり外は五月。自分たちがドナ村の付近へ来たときにはまだ雪がうっすら残っていたが、今やすっかり青々とした木々が麗らかな日差しを浴びているに違いない。

 遮るもののないその新緑の匂いやその合間に咲き誇る花の香りは強く風に運ばれ、くっきりと鼻腔をくすぐる。


 ――ん?


 ふと、ジェイコブは道が僅かに傾いていることに心付く。よくよく見れば、確かに道は緩やかに上へ傾斜している。もしかすれば、何処かの洞穴に繋がっているのかもしれない。

 このまま外へ出られれば。

 だが、簡単には脱出させてくれない。右手の脇道から、ごうごうと音が鳴り響き始めたのにジェイコブは心付く。聞き覚えのある音だ。


 ――あんの、飛ぶやつか!


 ジェイコブはコリンを担いだまま、伏せた。あの頭部が蛾、胴部が蜂をした蝙蝠のごとき翅を持つ飛行生命体たちはきっと自分たちの足音に惹き寄せられたに違いない。

 急ぎ数回ほど丸めた土を掴んで左手の道へ力いっぱい放り、すぐさま伏せてじっとする。土が壁に打つかったり、地面へ叩きつけられたりする音に導かれ、濁流のように蟲の群れがどっと通過して行った。


 ――あっぶねえ……


 ジェイコブは冷や汗が額に伝わるのを感じた。想像以上に、体がうまく動かないものだ。すぐに伏せるつもりが、よたよたとしてしまって、あと一歩遅ければ顔面にあの群れが打つかっていただろう。

 まだ試していないので何とも言えぬが、打つかったことで場所を特定されてしまったら、きっとあの臀部の針でチクチク刺されていたことだろう。あの針に毒があるのかどうか、これも未だに知らないのだが……試す気にはなれない。


 ――んん?


 起き上がろうとして、ジェイコブは異変を感じ取る。

 ――なんか……。

 地面の蟲の動きが妙だ。うぞうぞと好き勝手に犇めき蠢いていたはずなのに、ぴたりと動きを止めている。

「おい、まじかよ」

「……もしかしなくても、まずいね」

 とコリンが言葉を添える。


 それは一瞬にして動き出した。地面を這いずり回っていた蟲たちはひとつに纏まり、荒波のようにどっと押し寄せてくる。

 その蟲たちの塊を前に、ジェイコブは目を見開き、声を上げた。

「おいおいおいおいいい!」

 それこそ、地中という陸へ押し上げんばかりの勢いだ。ジェイコブは必死に引き返す。あれに飲み込まれたらどうなるのかは定かでないが、やはり試したくはない。



「ジェイコブとコリン、伏せてええ!」

 

 突然鳴らされたのは、炎髪の少女の声。ジェイコブとコリンは「へ?」と声を鳴らすも、頭上に巨大な何かが通過し、慌てて伏せる。

 

「は?カマキリもどき……?」


 投げられたのは、カマキリもどきだ。だが、肝心の鎌がぶらぶらとしている。その鎌が使い物にならなくなっているカマキリもどきの体は押し寄せる蟲の波に命中し、蟲を霧散させた。


 ジェイコブとコリンが啞然としていると、後方から炎髪の少女が走り寄って来た。

「大丈夫!?ジェイコブ、コリン」

「お、おう……ありゃあどうしたんだ?」

「ハーヴェイがゴリ押したのよ」


 きっぱりと答えるオリヴィア。ふと、その左腕を見れば、酷く爛れている。コリンはそれを見て目を剥き、

「て、それどうしたんだい」

「あー、どうしても掴むしかなくて……。あれ、体表触るだけでけっこう痛いのよね」


「おい、無駄口叩いてないでさっさと立て」


 やにわにハーヴェイの声が差し込まれ、その姿にジェイコブもコリンもさらにぎょっとする。

「うおおおい!?どうした、その両腕」


 ハーヴェイはオリヴィアより重症で、両腕とも服の裾が溶けたように破け、小麦色の皮膚が酷く爛れて赤黒く染まっている。それでも片手に短刀を握っているのだから、凄まじい根性だ。


 あんぐりとするジェイコブたちを前に、ハーヴェイは眉間の皺を増やして荒げた声を鳴らす。

「んなこた今はどうでもいい。早く立って走れ」

 その声の節々からも、痛みに堪えていることが読み取れる。だが確かに、悠長に話している場合ではない。あちらこちらに犇めき蠢いていた蟲たちがまた集結し直しつつある。


 「と、とにかく」とジェイコブは顔を引き攣らせながらも声を鳴らし、叫ぶ。「走れえええ!」


 四人(正確にはひとり担がれているので三人)は疾走した。地面の蟲たちが集結するために剥がれてくれたお陰で足場がよくなり、全速力で走れる。

 太い道はだんだんに急坂になり、背後からは蟲の塊が押し寄せる。これで真上からも降ってきたら間に合わなかっただろう。運がいいのか悪いのか、頭上の蟲も後方の蟲へ巻き取られて、塊は膨れ上がるものの、四人の冒険者たちを生き埋めにはしなかった。

 

「……外だわ!」


 オリヴィアの声が鳴り響く。

 前方から、光が差し込んでいる。目を凝らして見れば、這えば人間でも出られそうな穴があり、其処から太陽光が燦々と辺りを照らしあげているのだ。何とも不思議だ。その陽の光の近くにいる蟲たちは土色をしているのだから――……。

 

 

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