078-R+d_脱出(1)


 蓮を先頭に、ジェイコブとコリン、最後尾にオリヴィアと並んで、四人の冒険者たちは急坂道を渡った。

 

 細いその急坂を登りきるや、蓮は鋭いものが風を切る音を察知し、咄嗟に短刀で往なして弾き返す。

「……気付いてはいたが、完全に待ち構えていたな」

 

 蓮は軽く跳躍して後方へ退く。

 其処は天井から地面まで蟲に覆われた道。道の行く手を塞ぐようにして、その巨大な蟲は構えていた。

 

 ――空気の流れ……なるほど。

 

 さわさわと、僅かに冷たい風が蓮の頬を撫でている。先ほどの籠もった空間では他の強い臭いに混じって気が付かなかったが、これはドナ村へ向かう最中に嗅いだ花や木の香りだ。

 蓮は短刀を構えながら周囲の音を聞き、敵の数を確認する。

 

 ――二体か。

 

 カマキリもどきはもう一体、目の前にいる個体の後ろに控えていた。そのカマキリもどきを見るや、オリヴィアが言葉をこぼす。

「片方は巡回担当ってところかしらね。常に張ってる、て言ってたけど、私たちは離れたところで遭遇したもの」

 

 そうなのか、とつい蓮は呟きたくなる。何処で遭遇した、みたいな話はなかったし、窓から見える景色では距離感が測りづらい。ちょっと受け答えでまずったな、と思いつつも、蓮はさっさと切り替える。

 

「あのデカブツの奥からは今のところ異音はしねえ。ジェイコブ、コリン。道を開けるから突っ切れ。オリヴィアは手前のこいつを引き付けろ。ろうとしなくていい、とにかく引き付けろ」

 

 ふたりとも持っている武器は刃こぼれの酷い短刀一本。やれることはしれている。オリヴィアが頷き、

「わかったわ」

 と答えると、ふたりの少年少女は散開した。

 

 同時にジェイコブはコリンを担ぎ上げ、若者ふたりがカマキリもどきを引き付けたことにより空いた隙間を縫い、風の吹き込む道の向こうへ走り抜けた。

 

 蓮とオリヴィアはひたすら、毒入りの鎌を往なし、ジェイコブとコリンが逃げ切る時間を稼いだ。あの二人はかなり疲弊しているので、走る速度も落ちている。追いかけっこで逃げ切るにしても、あの二人にはある程度の距離を稼いでもらわねば追いつかれてしまう。

 

 ――二体のうちの片方だけでも、無力化してえな。

 

 蓮は小さく舌打ちする。

 直に見ると、確かに巨大だ。それでいて俊敏のため、避けるのに精一杯。一度ひとたび短刀で受けねばならなくなると、そのパワーで押し切られそうになる。

 常ならば、オリヴィアならパワーで、蓮なら俊敏さで負けるはずのない相手なのだが、あの鎌に掠ってはならぬ、短刀は今にも砕けそうとこちらの条件の悪く、苦戦。せめて二人がかりで一体を相手したいものだ。

 

 蓮は再び後退し、独り言つ。

「……一か八かやるか」

 

 鎌が振りかぶられた瞬間、蓮は突進した。それは鎌を避ける往なすのための行動ではない。鎌の届く範囲まで近寄ろうとする少年を見て、オリヴィアは頓狂な声を上げる。

「は!?ハーヴェイ、なにやってんの!?」

 

 だが、それでも蓮は止まらない。滑る蟲の上を全力で疾走する。すれすれの、掠ったか掠ってないか当人でも判らないくらいに鎌がすぐ横を過ぎるも立ち止まらず、蓮はカマキリもどきとすぐ目の前まで迫った。

 鎌が通過した際に、掠ったのだろう。切られた数本の黒髪がはらはらと舞い、革紐を失った長い髪が靡かれている。蓮はふっと少しだけ息を吐く。

 

 転倒して鎌で切られるリスクと、懐近くで鎌で切られるリスク。それらのリスクを踏まえた上での特攻。かなりの遅効性、と聞いていたので、多少掠ることも覚悟していたが――蓮は頬を

 

 ――どれくらいで症状出んのか知らねえが、それまでに逃げ切りゃいいんだ。

 

 距離を詰められた蟲は慌てて後退しようとする。これでは鎌は届かないからだ。だが蓮は逃さず、懐から背後へ潜り込む。無駄に長さのある百足のような胴部を掴むと、カマキリもどきは暴れまわり、鎌を振り回す。

「離すか……よ!」

 振り飛ばされぬよう、短刀を胴部と脚の隙間に突き刺し、蓮はしがみつく。関節部はこのぼろぼろの短刀でも刃が通った。空いている方の左手で他の脚を掴むと、蓮は顔を歪めた。

  

 ――毒か?

 手に焼けるような痛さが走る。左手で掴んだ部分はぬめぬめとしているので、毒性のある何かで体をコーティングしているのだろう。あまりの痛さで手を離したくなるが、それでも蓮は堪え、カマキリもどきの胴部へ乗り上げる。

 

 ――とにかく、あの鎌を何とかしねえと。

 蓮は胴の上をよじ登った。その都度カマキリもどきは暴れまわり、振り飛ばされそうになる。何てパワーだ。蓮は胴部を掴む手の痛みに歯を食いしばりながら、スズメバチのような頭部まで登りきる。

 

 先ずは視覚を奪い、少しは動きを封じた上で、あの鎌の接合部を何とか斬る。蓮は深く、その大きな目を短刀で裂いた。さすがに眼は柔らかいらしい。複眼は大きく抉られ、気色の悪い黒い液体がどろり、と吹き出す。カマキリもどきは大きく暴れた。蓮は必死に耐え、もう一つの複眼にも一筋の傷を付ける。

 

 だが次の瞬間、蓮はあえなく宙へ放り出された。

「ハーヴェイ!」

 壁に叩き付けられた蓮へ、オリヴィアが悲痛な声を上げる。駆け寄ろうとするが、蓮は手を上げて彼女を留める。

「問題ない。お前は自分の相手に集中しろ」

 オリヴィアももう片方の蟲の猛攻を躱すので手一杯なのだ。毒さえなければ、拳で肉をえぐり、素手で掴んで放り投げていただろうに。

 

 蓮は急ぎ起き上がり、振り落とされた鎌から逃れる。視覚を奪ったのが少しは効いたらしい。動きが鈍くなっている。鎌の攻撃を躱しながら、蓮はまた走り抜け今度は手を掛け、それを支えに高く跳躍する。

 

「痛ってえな、クソが!」

 

 落下の勢いも使って、着地と同時に鎌を繋ぐ関節を短刀で薙ぐ。力いっぱい刃へ力を込め、関節部に亀裂を入れた。カマキリもどきが体を振り回す前にまた、関節を踏み台にしてまた跳躍し、今度は自分の手を関節部の裂け目へ貫通させた。

 肩辺りまで裂け目に差し込むように、力を入れる。関節を繋ぐ肉は、蟲というより獣。片方の鎌が振るえなくなるまでその肉を無理矢理に手で引き裂いた。

 

「……たく。全身、毒だらけだなこいつ」

 

 肩まで火傷したような痛みがある。袖は溶けたようにぼろぼろになり、皮膚の表面が爛れる。あえて、体表の毒で侵された手を使った。力が籠もりにくいが、それでも潰すなら片方と決めていた。暴れ回るカマキリもどきにしがみつき、もう片方の鎌もまた、同様に無力化した。

 

「ハーヴェイ、何考えてんのよ!」

 

 鎌が封じられたカマキリもどきから飛び降りると同時に、オリヴィアが駆け寄って来た。

 蓮は爛れた片腕をだらりと垂らしながら、吐き捨てるように答える。

 

「デカブツは一体に絞り込みたかったんだよ」

「わかるけど、酷い怪我じゃない!」

「逃げるまで動けりゃそれでいい」

 

 そう答えるや、蓮はオリヴィアの腕を掴んで避けさせる。のんびり会話はさせてくれない。まだ鎌の無事なカマキリもどきは攻撃を絶え間なく繰り出してくる。

 蓮はじっと後方の、ジェイコブたちの走る音を聞く。かなり遠くまで走ったようだが――蓮は顔を顰め、また鎌の猛攻を繰り広げるカマキリもどきへ視線を戻す。

 

 ――、足止めだな。


 ならば。

 蓮はだらりと下がった手をぐっと握り、再び走り出した。

 

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