076-R+d_再会(2)

「…………………」

「…………ェイ!」

「……さい、……!」

 

「しっかりしなさい、ハーヴェイ!」


 その呼び声で、蓮は覚醒した。

「……あ?」

 思わず溢した声は、聞き慣れたハーヴェイのもの。

 窓に引きずこまれたまま、無事に外へ出たらしい。蓮はハッとして、今の自分がどうなっているか、というよりも中の状況が気になった。

 

(おい、聞こえるか。誰か!)

 

 誰か、と言ったが、本当は悠の声が聞きたかった。無事なのかどうか、ずっと気掛かりで。だが、そもそも中の音がしない。誰もいないはずはない。少なくとも陽茉はいた。

 

 ――クソ、不通か。

 

 単純に外に出た住人が入れ替わっただけで、窓の不調は変わらないらしい。蓮は舌打ちをしたくなるが、突然に頬を叩き、

 

「ハーヴェイ、しっかりしなさいよ!」

 という少女の声で現実に引き戻された。

 

 うっかり忘れていたが、此処はクロレンスだ。蓮は中のことが気になって仕方ないが、とりあえず今目の前のことを片付けてば、と断念した。

 視線を上げれば、炎髪の少女が碧い目いっぱいに涙を溜めて、こちらを覗き込んでいる。自分は横たえられているらしい。何故かオリヴィアに膝枕をされて。

 目だけで周囲を見渡せば、其処は蟲の壁と海に囲まれた薄暗い空間で、酷く臭う。ドナ村よりもずっと腐敗臭がきつい。

 

 蓮はゆっくりと視線をその大粒の涙を落とす少女に戻すと、やおら口を開いた。

「……おい、オリヴィア」

 

 オリヴィアは目を剥いて蓮を見た。突然に意識を取り戻して驚いたのだろう。しばらく呼吸すら忘れたように蓮を見つめ、ようやっと声を鳴らす。

 

「ハーヴェイ?あんた、大丈夫なの……?」

「死んでるように見えるか?」

 

 蓮は顔を顰める。それが心配していた女の子への態度か、と見る人が見れば怒り狂うことだろう。そのあまりの蓮の不躾な言葉に、オリヴィアはふるふると震え、

「ば、バカあ!」

 と言って鉄拳を蓮の額に振り落とした。自業自得と言えばそうなのだが、やり過ぎである。蓮は飛び起き、叫んだ。

 

「殺す気か、てめえ!」

「何よ、どれだけ心配したと思ってんのよ!」

「知るか!」

「はいはいそうでした!あんたってそーういうヤツだった!」

 

 もはやコントである。

 

 ふたりの少年少女は其処が蟲の巣窟であることを忘れ、掴みかかり合う。そんな二人を止めたのは、蓮にとって懐かしい声であった。

 

「イチャついてるところ悪いんだが、いいかあ?」

 その声に、はたと蓮は動きを止めた。

 

 すぐ横を見れば、無精髭にボサボサ髪と何とも汚らしい格好をした大男が片手を上げている。蓮は目を瞬かせ、その男の名を呼ぶ。

 

「……ジェイコブ?」 

「おー、おひさ。いやあ、ビックリ。俺たち一月半ひとつきはんも行方不明扱いだったんだてな。あってまだ数週間かと思ってた」

 

 具体的な期間はオリヴィアから聞いたのだろう。ジェイコブの語る症状は、時間感覚を失った者に起きうるそれである。とある実験では500日を170日前後と錯覚した、という事例があるくらいだ――だが蓮にはそんな知識はなく、何を言ってるんだこいつ、と眉を顰め、二言目には、

「てめえ、生きてたのか」

 気恥ずかしさを誤魔化すためのものではない。実際、そんなに音信不通なら死体が上がってもおかしくない、と蓮は考えていたのだ。むしろ生存はまったくといっていいほど期待していなかった。

 

 青白い顔をしたジェイコブは唇を尖らせて言葉を継ぐ。

「おうおう。失礼しちゃうね。ちなみに、コリンも生きてんぞ。元気じゃねえが」

 そのままくいっと親指で後方を指差す。其処には、ソバカス顔の男が蟲だらけの壁に寄り掛かっていた。熱があるのか顔色が悪く、その右腕は青黒く変色している。

 しばらくそのコリンの腕を見つめていた蓮は顔を顰め、

「…………毒か何かか?」

 

 なんでそうなったのかさっぱり分からない。だがきっと、二人が外に出れなかった要因なのだろう。たぶん。蓮は無音の状態で、窓の外の景色の一部を見ていたに過ぎないので、どんな蟲がどんな行動を取ったかなんて事細かには覚えていない。

 あの鎌を持った蟲も、襲いかかっているのは見たが、それだけでは毒を持っているかどうかなんて分からない。

 

 蓮の顰めっ面を見て、ジェイコブはきょとんとする。

「お前さんたちも会ったんじゃねえのか?」

「何にだよ」

「カマキリもどきだよ。そっちの道沿いにも張ってただろ」

「……そうだが」

 

 正確には張っていたのではなく、少し離れた地点から追い掛けられたのだが、蓮が知るはずもない。ゆえに蓮のその返答に、オリヴィアは眉を顰めた。

 だが本調子でないのもあり、ジェイコブはそんなオリヴィアの表情に気が付かない。深々と嘆息して、

 

「あのカマキリもどき、鎌に毒を持ってるらしくてよ。少しかすっただけでコリンはあのザマだ。かなりの遅効性で、検知が遅れて何の処置もできなかったのも痛え」

「はは、申し訳ない」

 

 コリンは乾いた笑いを溢した。微熱の状態が続き、話す気力もないのだろう。蓮は視線をついと、急坂道の向こうへ移して、黄金色こがねいろを半顔にした。

 

「で、そのカマキリもどきはあっちにも張っていると」

「そうなんだよ。あのカマキリ野郎、蟲のクセにパワーある上に俊敏でよ。一人だと鎌に殺られて死ぬのがオチでさ」

 

 とジェイコブが嘆き声を上げる。

 まあ、仕方のないことだろう。コリンを庇って毒を振り回してくる相手を連れ回すなんて――だがそもそも。蓮はふと思ったことを呟く。

 

「もっと早くコリンを捨てていれば、お前だけでも助かったんじゃねえの?」

 

「ちょっとハーヴェイあんたねえ!」

 

 と声を上げると、オリヴィアが拳を握って見せる。だが、その手は大男の手が留めた。

「さすがに、仲間はギリギリまで見捨てねえさ。そこまで落ちちゃいない」

「……相変わらずだな」

 

 蓮は冷ややかにその男を見上げる。ジェイコブはパーティーメンバーの中で、隊長と同じだけ付き合いのある男。ゆえに蓮は彼の「甘さ」もよく知っていた。

 もし、ジェイコブがコリンをすぐに捨てていれば、きっとすでに脱出していただろう。そうすれば、救助隊をもっと早く編成していたかもしれぬのに――それでも一時的に切り捨てるという、ということがこの男は出来なかったのだ。

 

 そのことは身に沁みて感じているのだろう。ジェイコブは蓮に怒ることなく、

「お前さんのその割り切りの良さも相変わらずだな」

 

 蓮は黙して答える。

 その薄情になれるのも、心の何処かで彼らをジェイコブのように「仲間」と思っていないからなのかもしれない。もし――……。

 

 はた、と蓮は思考を留めた。

 ――もし、なんてやめろ。

 

 それよりも今は、早くこの場を脱出してこのハーヴェイの軀の安全を確保せねばならない。蓮は小さく息を落とすと、

「とにかく、状況を整理するぞ」

 と言い放った。

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