074-out_魔物(4)


 その数時間後。その長さからして、おそらく翌日。

 ジェイコブはその異変に蒼然とした。


 横で眠っていたコリンが高熱にうなされていたのである。破れた右の袖から覗く腕は腫れて赤黒くなっている。右腕は、あのカマキリもどきの鎌に切られた腕だ。どうやらあの鎌には、毒があったらしい。

 ――くそ。すぐに症状が出なかったから見落とした。

 ジェイコブは舌打ちをした。あまりの非常識な世界で、途中から毒の可能性を見落としていた。

 

「……ジェイコブ?」


 その掠れた声に、ジェイコブはハッとした。コリンが目を醒ましたらしい。高熱でソバカス顔が真っ赤になり、翡翠色の目は潤んでいる。ジェイコブはコリンの体を支えながら、声を鳴らす。

「大丈夫か?」

「一応……今のところ、息苦しさなんかはない。節々は痛いが。かすった程度だったのがよかったのかもしれないね」

 逆に言えば、その掠り傷で高熱を出しているのである。ざっくり肉を抉られでもしていたらと思うとゾッとする。ジェイコブは湧き水を溜めた革袋を手渡して、

「とにかく、水を飲め。今さら傷口から毒抜きなんてことも叶わんだろうし」

「まったくだ……」

 頭痛でもコリンは少しだけ顔を歪めるも、ゆっくりと起き上がり、革袋をあおる。高熱で手元がふらつくのか、よたよたとしている。そんな同僚を前に、ジェイコブは頭を抱える。

「参ったな……早く助けを呼ばないと行けねえのに」

 足の捻挫くらいなら、放っておいても死にはしない。骨が変に歪んだまま固定されてしまったりすることはあるかもしれぬが。でも、よほど変な血管を切っているとかでなければ死に至りはしない。

 だが、流石に毒となると話は変わる。

 今のところ発熱程度で済んでいるが、もし呼吸困難や意識障害などが生じてしまったら。早く医者に診せるべきなのだ。けれども、そうは行かない。外にはあとデカブツのカマキリもどきが待ち構えている。

 水を飲み終えると、コリンは薄く嗤って言葉を溢す。

「いざとなれば、俺を捨てて行くのも念頭に入れたほうがいいね」

「うげ。厭だなあ、そりゃ。夢に出てきそうだ」

「そんなことで堪えるタマじゃないだろうに」

 戦士としての仕事をしていれば、知人友人の死に立ち会うことはままある。実際、ジェイコブも数人の親しい者を見送った。だが。

「でも好き好んで味方は置き去りにしたくないさ」

 ジェイコブはずっと立ち上がる。こうはしていられない。あのカマキリもどきがいる場所が駄目ならば、他の出口を探さねばならない。

「ちと、他の道を見てくる」

「あんまり、遠くへ行くなよ……」

「わかってら」

 さっと見てさっと戻る。毒に侵されているコリンをあまり長いこと放ってはおけない。ジェイコブは今いる場所から繋がる、残りのふたつの道を抜け、外の匂いを運ぶ空気はないか、その先は安全が。そういったことを確認すべくひとり外へ出た。


 だが、現実は甘く無かった。

 まず一つの道は、そもそも行き止まりであった。ゆえにすぐ引き返し、もう一つの道へ。その道が問題であった。

「……マジかよ」

 立ちはだかるその巨大な蟲に、ジェイコブは顔を引き攣らせた。このカマキリもどきの巣の近くに逃げ込んでしまったのだろうか。ジェイコブは慌てて走って逃げ、コリンのいる行き止まりの空間へ飛び込んだ。

 ――つまりあれだ。

 呑気にもノコノコあのカマキリもどきの懐へ入ってしまい、さらに間抜けにも、その懐内へ退避してしまったのだ。出口を見つける見つけない以前に、他の場所へ行くには、あのカマキリもどきを掻い潜らねばならない。

 

 ――詰んだ!


 ジェイコブは内心で叫ぶ。

 やろうと思えば、あの鎌の猛攻を躱してすり抜けられるかもしれない。だが、蟲と水しか口に入れていない今、そんな事ができるか?もしうっかりあの鎌に掠ったら。

 ――死ぬ未来しか見えねえ!


 万事休す。

 頭を抱えてジェイコブが唸っていると、その傍らで横になっていたコリンが手を伸ばし、ジェイコブの肩を叩いた。

「……もしかすれば、こっちは自力で回復できるかもしれないし……無理はしないほうがいい」


 結論から言おう。

 コリンは実際、その日のうちにある程度自力で回復した(と思っていた)。そもそも時間を測る術のない地下で、何時間経過したかだなんて、わかるはずがない。

 その実、二日も掛かった下熱だが、そののちも常に微熱状態で、右腕は青黒くなったままコリンの体調は固定された。

 きっと死ぬことはなさそうだと考えられるほどに安定していたため、ジェイコブはコリンのさらなる回復を待つこととし、そのかんはあのカマキリもどきの攻略方法の検討に当てた。

 検討と言っても脳筋頭のジェイコブのやることといえば、カマキリもどきの前へ飛び出して、その動きに癖がないかだとか、死角はどこなのかだとか、命がけの実戦で見つけることである。

 結果言えることと言えば、

「あれ本当に蟲か?」

「猛獣の間違えだろ!」

 である。頑丈過ぎる上、とにかく気が荒い。冬籠もりし損ねた熊を連想した。

 ――くそ、あともう二人、ほしいところだな。

 戦闘員でないコリンを護衛する役割の者と、カマキリもどきに応戦する者、カマキリもどきの気を引きつける者。あの毒を持つ鎌の猛攻を潜り抜けるためにも。最低この三人はほしいところだ。

 だが現実はジェイコブひとり。

 結局、数日助けを待って、来なかったら強行突破、またはコリンをしてて行く、という方針になった。――もしもここに悠がいれば、それが愚策だと見抜けるだろうが――そうこうしているうちに、長い時間が流れた。

 

 そう、まさか一月半ひとつきはんも経過しているなんて、ジェイコブたちは知らなかったのだ。


 太陽のない場所で、時計もなく暮らす。これは現代日本であれば、有名な実験のある。1980年代の洞窟隔離実験だ。奇しくもその状況にこのふたりは置かれることになったのだが――たとえ熟練した冒険者であろうと人間である以上、時間間隔の欠如と、それに伴う認知障害や睡眠障害などと言った問題からは逃れられない。


 ゆえに、きっともう助けは来ない、と判断を下すのがずっと後ろとなった。

 大きく欠伸をすると、ジェイコブは横に座るコリンを見た。

「……強行突破、するかね」

「なら、俺は置いていったほうがいい。足手まといになるでしょ」

 そう返すコリンは相変わらず微熱と青黒い腕を残したまま。彼を置き去りにしたところで必ず脱出できるわけではないが、荷物を連れて行くよりは生存の確率があがる。

 ジェイコブは気不味げに頭を掻いた。ずっと髪を洗っていないため、フケとノミにまみれ、さらには此処にいる蟲に集られている状態だ。

「なんだ、その。助かったら助けに来るからよ」

「あまり期待しないでおくよ」

 コリンは薄く笑う。それもそうだな、とジェイコブは考え、立ち上がる。期待をして裏切られる方がずっと苦しい。

「……おっと」

 ふらつき、ジェイコブは壁に手を付く。きっと仲間が見れば青褪めるだろう。あの屈強な戦士がこんなにも顔色を悪くしているのだから。ジェイコブはいったん眉間を指で抑えると、あの急坂道を見据えた。


 その瞬間。

 轟音が響き、同時に人の声が鳴らされた。

 

「嘘でしょ!?」

 それは、鎚鉾メイス使いの少女の声。さらには、その声に冷静に答えるハーヴェイの声も続き、ジェイコブとコリンは顔を見合わせた。

「おい、まじか」

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