073-out_魔物(3)


 手負いのコリンを肩に担いだジェイコブは、とにかく走った。相手はあの空を飛ぶ蟲の群れに比べれば足が遅いが、猛攻を繰り出してくる。その都度その攻撃を躱しながら道を走り抜け、ジェイコブは咄嗟に細い道へ飛び込んだ。

 

「うおっとおおお!?」


 飛び込んだはいいが、それは急坂の滑り台のような場所だった。人一人分の細い道で、敷き詰められた蟲のお陰で非常に滑りやすい。コリンを落とさぬように抱えながら、ジェイコブはその坂の行く先まで滑りきった。

 

「ぐえ!」


 行く先は行き止まりだったらしい。壁に衝突して、ジェイコブとコリンは手前の開けた場所へ投げ出されて止まった。ジェイコブの下敷きになったコリンは低く、

「……死ぬかと思った」

「そりゃあ、滑り台の方か?それともあのカマキリもどきの方か?」

「今のこの状況を含めて全部だよ」

 大男なジェイコブの体重で圧死寸前である。ジェイコブもそのことに気が付いたらしく、コリンから離れ、両手を合わせて詫びた。

「悪いってえ。仕方ねえだろ。担いでたんだからよ」

 それは本当のことなので、コリンも特に深く言及はしなかった。

 

 コリンが座り直し、靴を脱いで足首の具合を見てみると、見事に赤く腫れ上がっていた。最悪、骨にひびが入っているかもしれない。ジェイコブはそんなコリンの足首をみて、間延びした声を上げた。

「うへえ……派手にやったなあ」

「冷やしたいところだけど、そんなに水はな……」

 水がそんなにない。そう続けようとして、コリンは言葉を止めた。ソバカスの中にある目を真ん丸にして、ジェイコブの後方を見入る。

 

 いざしっかりと前方を見据えれば、ここは少し膨らんだ空洞のような場所であった。変わらず天井から地面にかけてまでびっしりと蟲が張り付いている。

 先ほど入ってきた急坂道以外にも複数細い道が前方左右から繋がっており、此処が行き止まりなのを踏まえると複数の場所の終着点のような場所になっている。いずれの道も人ひとりがぎりぎり通れる程度の細い道だ。

 そしてそのうちのひとつ。その細い道のきわだけ、蟲が近寄っていない空間があるのだ。其処は湿っていて、透明な液体が噴き出している。

 

 コリンは片足を庇いつつ這い、その地点へ寄ってみると、

「ジェイコブ。これ、やっぱり湧き水じゃないか?」

 きっと地下水脈から湧き出ているのだ。蟲は水が苦手なのだろうか。近寄ろうとしない。手で掬って舐めてみると、冷たく澄み切った味がする。紛うことなく、水である。ジェイコブはその湧き水を見るや、明るい声を上げる。

「俺たち、悪運がいいなあ」

「あのデカいのに遭遇している時点で幸運ではないけどね」

 否。それ以前に虫害調査を押し付けられてしまった時点で不運である。それもそうだ、とジェイコブは笑うと、ふと思い出したように言葉を鳴らす。

「此処に来て色んなゲテモノ見てきたが、ありゃあ飛び切りわけわかんねえやつだな」

 

 ジェイコブは「変なのに会った」くらいの感想で済むが、コリンはそうもいかない。蟲の見た目をしているのに、人間より大きいとはどうやって動いているのか。蟲は外骨格で、中に骨が通っていないのに、と。つまりは常識の通じる生き物ではないのである。

 

 それを思うと、コリンは憂鬱感を抱かずにはいられない。

「なんだか魔獣を連想させられて、厭になるね」

「魔獣てのは獣の形を取るから違うだろ」

「それは違う。獣の形をしたものしか発見されていないからそう言われているだけだ。魔獣の定義、知っているかい?」

 コリンの指摘に、ジェイコブは「ああん?」と眉を顰める。

「特殊な器官か何かのお陰で普通より頑丈で、普通と違う見た目をしている……ん?」

 ジェイコブははた、と言うのを止めた。そこにはひとつも四足動物であるべきだとか、毛がはえているべきだとかいう定義は含まれていない。コリンは大きく頷いて、

「そうなんだよ。つまりは、よくわからないけど強い生き物全般を指しているんだよ。器官というのも説に過ぎず、実際には確認されていない」

 

 ようは全く何もわかっていないのである。その目撃情報の少なさからしても致し方のないことだが、その「何もわかっていない」状況故に、遭遇した際の死亡率も高くなるのである。何といっても、常識の通じる頑丈さじゃない。あれは。

 

 ジェイコブは呆気に取られたように、あんぐりと口を開いて声を上げる。

「おいおい、マジか。俺たちそんな初めてを貰っちたのか」

 初めてのキス、みたいなノリで言う男だ。だがこの男の皮肉にもなっていないツマらない比喩は日常茶飯事である。コリンは顔を引き攣らせながらも、頭を縦に振った。

「その表現はなんとも微妙だが、その可能性はかなりあるね」

 魔獣……否、魔物と言うべきか。その定義自体があやふやなので断定はできないが、あの巨大な蟲もどきが得体のしれないものであることには変わりない。コリンはさらに腫れの酷くなってきた足をさすりながら、

「しかし参ったな……あれがいるかもしれないとなるとなあ。他の道はどうだい?」

「ううむ。さっきまで通ってたのに似ているが……妙なのがいないとも限らんしなあ。というかお前さんのその足で不用意に歩き回るのは危険だ」

 確かにその通りである。ずっとジェイコブが担いで歩くという手もあるが、交戦しなければならなくなった時、コリンが邪魔になる。ではコリンを放置して交戦するかと言われると、何かあったときに逃げられないコリンをそこらへんに置いておくのに不安がある。

 コリンは大きく嘆息し、言葉を溢す。

「参ったね」

「水はあるから止しとして、問題は食料だ。さっきから空腹で死にそうなんだよ」

 湧き水のお陰で、当分の水の心配はいらなくなった。だが、食料はそういかない。手持ちは全て旅荷にしまってあったので、此処にはない。このままでは餓死である。

 すると、コリンはきょとんとして言った。

「何を言っているんだい。いざとなったときの非常食は此処にあるじゃないか」

「はあ?」

「いい生まれの君は知らないかもだけど、農民はイナゴも食うんだよ」

「おい、待て。まさか」

 ジェイコブは別に繊細な性質ではない。だが、許容できる範囲というものがある。コリンは地面を掘り起こし、蟲の一匹を手に、続ける。

「食べてみて、死ななきゃこれを食料にしよう」

 まったく。初めてがいっぱいすぎて、涙が出るというものだ。

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