072-out_魔物(2)


 それは、悠たちも遭遇した蟲の大群である。頭部は蛾、胴部は蜂、翅は蝙蝠。そんな奇妙な形をした暗雲が怒涛のごとく流れ込んでくるような、そんな光景だ。それらは臀部に針を持ち、ジェイコブたちへ差し迫ろうとしていた。

 

 ジェイコブは「マジかよ」と呟きながらも、急ぎコリンを肩に担ぎ上げた。

「しっかり掴まれよ!」

 

 コリンは足が遅い、というわけでない。だが、ばりばりの戦士であるジェイコブにすれば、亀である。そしておそらく、コリンに付き合っていればあの濁流みたいに押し寄せてくる群れに追いつかれてしまう。

 故に肩に成人男性ひとりを担いだまま、ジェイコブは疾走した。無論、足場の悪さから全力は出せない。ひたすらに走り抜け、右に左に進んだ。

 

 ジェイコブが必死に走っている時、コリンは頭を背後に向けられた状態だったので、蟲の動きがよく見えた。故に、蟲の群れが時おり纏まりを崩すことに心付いた。それは決まって、誤ってジェイコブが足を蟲の沼に突っ込み、地面の石や這いずり回る蟲が散らされる時だ。

 乱暴に担がれているのもあり、視界がぐらぐらと揺れて目が回りそうだが、コリンはじっと思案していた。

 

 コリンはやにわにハッとして、ジェイコブの背をバシバシと叩いた。

「お、おい!ジェイコブ!」

「なんだ、チクショウ!」

「もしかすれば、撒けるかもしれない」

「もしかしてえ?そんな不確かなのに従えるかよ!」

 もっともだが、このままでは追いつかれる。コリンは蟲の翅の鳴らす轟音に負けぬよう声を張り、言葉を続く。

「でもさすがに体力の限界だ。ジェイコブ。いいからそのまま立ち止まって」

「立ち止まって?」

「分かれ道に何か全力で投げ入れてくれ」

「はあ?」

 ジェイコブの間抜けな声で、蟲たちが反応する。コリンは不味いと感じ、ジェイコブの口を塞ぎながら、耳元で忍び声を鳴らして指示を出す。

「いいから!それと、俺たちは動き止めて待機!」

 

 今の行動でジェイコブも察したのだろう。彼は頭まで筋肉だが、こういう時は察しがいい。そっとコリンを下ろすと、乱暴に地面の土を蟲ごと掴んで分かれ道へ投じた。腕力はピカイチな冒険者だ。投じられた蟲たちは勢いを持って遠くへ投げ飛ばされる。それと同時にその分かれ道からこそこそと離れ、伏せて待機。すると、その蟲の群れは分かれ道へ一気に流れていった。

 

「「……………………」」


 その大群の鳴らす轟音が遠く離れ、聞こえなくなるまでふたりは息を潜めていた。悠もそうなのだが、あの蟲たちをわざわざ別の道へ誘ったのは、この場所に滞留されても困るからである。

 音が聞こえなくなって数分後、ふたりはようやく息を吐いた。

「行ったか」

「行ったな、クソ野郎……」

 脱力して、倒れ込む。まったく、この地下は異世界か。見たこともない生き物ばかりを見せられた挙句、それらに追い回されるとは。

 

「……ん?」


 不意に、冷たい空気が流れたのを感じ、ジェイコブは動きを留めた。

 風だ。何処かから吹き込んでいる。つまりは、何処かで気圧差が生じているのだ。ジェイコブはすんすんと鼻を動かし、その流れてくる外気のにおいを嗅ぐ。

 

「こりゃあ、花の匂いだ」

 

「花?そんなもの」

 コリンはきょとんとして、周囲を見渡した。こんな地下で花が咲いている筈のない。そしてその考えの通り、花なんて咲いていない。だが、ジェイコブは風の中に甘やかな花の香が混じっていることを確信していた。

 

 ――それに、茂みや獣の臭いまで。

 

 それらは、嗅ぎ慣れたにおいだ。とくに、獣は山でよく遭遇する猪の類のように思われる。つまり。ジェイコブはその風の流れてくる方角を見て、声を上げた。

 

「こりゃあ、外から風が流れてんだ」

「なんだって?」

 

 コリンはぎょっとしてジェイコブと同じ方角を見る。其処はまだ、相変わらず所狭しと蟲の犇めき蠢いている長い筒状の道が進んでいる。

 

 訝るコリンに対し、ジェイコブは強く主張する。

「ハーヴェイほどじゃねえけど、鼻はいい方なんだ。間違えるかよ。猪の臭いもする」

「目敏くピンポイントで猪を嗅ぎ当てるとは……よほど腹が減ってるんだろうな……」

 ついツッコむコリン。だが、腹を空かせたジェイコブの嗅覚は野生動物のそれだ。信用に足るだろう。コリンは頷き、

「とにかく、そのにおいのする方角へ行ってみよう」

 水と短剣しか手持ちがない今、早急なる脱出が望ましい。ふたりはその外気の流れ込んでくる先を目指した。

 

 彼らはひたすら適当に走り回った結果、悠やオリヴィアたちとは別の道を行っていたのである。彼らはひたすら、歩いた。足が棒になるのではないかと思われるほどに歩き、その先で、その出口自体は目視していないが、ジェイコブとコリンは僅かに差し込む陽の光に目を細めていた。きっと何事もなければ脱出して、オルグレンへ報告に走っていたに違いない。だが、現実ではこのふたりは行方知れずとなっている。

 

 ふと、ジェイコブは不穏な気配を察知して、コリンに向かって声を張った。

「――やべえ!避けろ!」

 

 次の瞬間。

 コリンの体は毬玉のように跳ねていた。寸でのところで躱したので、致命傷にはなっていない。だがその片腕には一筋の切り傷が刻まれている。ジェイコブは急ぎ駆け寄り、コリンを抱え起こした。

「大丈夫か、コリン!」

「だいじょう……」

 大丈夫、と答えかけてコリンは沈黙する。地面へ叩きつけられたさいに挫いたらしい。右の足首からずきりと鈍い痛みが走る。コリンは痛みで顔を歪めながら、言葉を落とす。

「すまない。ポカをしてしまったよ」

「生きてりゃこっちのもんだ。……しかし、何だ、ありゃ」

 

 ジェイコブは顔を引き攣らせた。

 一言で言えば、デカい。百足のような胴部にスズメバチのような頭部。翅はない。だがご丁寧にカマキリのような鎌まで備わっている。その鈍く光る鎌を前に、ジェイコブの直観はこう囁いている。あれはヤバい、と。

 

 コリンは足を引きずりながら、ジェイコブの腕を引いた。

「図体はデカい。とにかく、狭い場所に……」

 たいした武器もないこの状況で、あのカマキリもどきとりあうのはあまりに分が悪すぎる。しかもひとりは手負い。ジェイコブは「おうよ」と言って頷き、コリンを担ぎ上げた。

 とにかく、あの蟲の入れない場所へ、逃げなければ。

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