071-out_魔物(1)
さらにずっと時は遡る。
冒険者ジェイコブは目を醒ました。
薄暗くて、狭くて、そして酷い臭いがする。そこかしこと蟲が犇めき、蠢く気味の悪い、地下道のような場所だ。ジェイコブは逆さの状態で投げ出されており、頭を蟲の海に突っ込む形となってしまっている。何故そうなったのかは分からない。ジェイコブは逆さのまま、腕を組み記憶を手繰った。
――さっきまで農地にいたはずだ。で、何かに引きずり込まれた。
手繰り寄せた記憶はあやふやだが、それでも直前に何ものかに足を掴まれ、地下へ引きずり込まれたことだけは覚えていた。その姿は見ていない。確認する前に意識を失ったからだ。
だが何にせよ、周囲の様子からしても此処が地上ではなく地下であることだけは判ぜられる。しかも密閉された地中深く。しっとりとした外気は淀み、滞留している。
――でも、外にいたんだよなあ?
ならば、穴が開いているとかそんなことがあってもおかしくはない。一瞬にして穴を塞いだ?そんな馬鹿な。幼児ならまだしも、ジェイコブは一般成人男性でもかなりの巨体だ。そんな男が地上から落ちれば、ぽっかりと大きな穴が残されるに決まっている。だというのに、天井は壁や地面と同じように万遍なく土が固められ、ひとつの通路を形成していた。
――あの引きずり込んだ何かが運んだってのがあり得そうだな。
でも何故、運んだのだろう。
――俺たちゃ、飯か?
そう考えるとゾッとする。ジェイコブは逆さの状態から脱却すべく手を付き、ひょいと立ち上がった。
「っと」
ジェイコブは何かを踏み、足元を見る。
其処には同僚のコリンがうつぶせになって蟲の海に頭を突っ込んでいる。ジェイコブはそんなコリンの襟首を掴んで持ち上げ、振って叩き起こす。
「おーい、起きろー」
数度振ると、コリンの目はかっと開かれた。まさに開眼。コリンはげほげほと咳き込んで口に配置込んだ蟲を吐き捨て、
「ぶはっ。死ぬかと思った!」
そう言い終わった後も、ぺっぺっと蟲を吐いている。真正面から蟲の海に頭を突っ込んでいたので、悲惨だ。ジェイコブはコリンの痩せぎすな背中を叩いて蟲を吐くのを手伝いながら間延びした声を鳴らす。
「おー、生還おめでとう、そしてようこそワケのわからん世界へ」
コリンもようやく自分のいる場所に意識を留めたらしい。眉を顰め、疑問を口にする。
「此処、何処なんだい」
「さてね。地下の何処かとしか」
ジェイコブが肩を竦めてみせると、コリンは参ったな、とばかりに頭を掻く。周囲を見渡して、自分が何も持っていないことに気が付くと、
「荷物全部、なくなってしまったのか。水袋があるだけマシとも言えるけど」
ふたりは全ての旅荷を失っていた。直接身に着けていたものだけは残されていたので、護身用の短剣や水の入った革袋なんかは手元にある。
それでもまったく心もとないが……ジェイコブは嘆くように言葉を継いだ。
「いいわけあるかい。俺の相棒がいねえ」
「どうせこんな狭い空間で槍なんかぶん回せないだろう」
ジェイコブの相棒とは長槍のことである。彼は槍ひとつで冒険者として大成したので、あれがないと落ち着かないのだ。人間二人が並んでちょっと空間ができる、と言う程度の幅しかない場所なのでどちらにせよ、使い物にならないのだが。振り回せば壁に突き刺さるか、最悪の場合近くにいるコリンが巻き込まれてしまう。
コリンは立ち上がり、衣服に纏わりつく蟲を手で払い落すと、静かに言い鳴らす。
「とりあえず、此処を離れよう。肉食系の生き物が此処に俺たちを連れてきたのだとしたら、危険だ」
「それもそうだな。しかし、こんな地下奥深くに餌を放置するかね」
「そういう習性なのかもしれないよ。まあ、姿かたちを見ていないから何とも言えないのだけど」
「なんだ、お前さんも見てないのかい」
「ジェイコブが見逃しているものを、俺が見られるはずないだろう」
それもそうである。ジェイコブの売りは身体能力。動体視力に関して言えば、パーティーの中で一、二位を争うほどの鋭さを有する。そんな彼が視認できなかったすばしこい相手をのんびりとした学者肌のコリンが視認できるはずのない。
ジェイコブは深々と嘆息すると、コリンと共に歩き始める。
「とにかく、早いところ出口見付けねえと」
「地下で餓死だね」
「やめろ、嗤えない」
まったく冗談になっていない。此処がいったいどういう構造の場所なのかすらわかっていない今、何処へ行けば外へ出られるのか、そもそも外へ出られるのかすらわからない。
――ドナ村へ来る前に手紙出しといて正解だったな。
もし戻らなかった場合、異常を検知してもらえるし、最後に何処へ行ったのかわかるので探しやすくなる。それはそのまま見つけてもらえる可能性に繋がる。
――長年、冒険者やってたがこりゃ初めてだな。
(物理的に)未確認生命体に引きずり込まれて地下で迷子。もう一度経験したいか問われれば全力で「絶対イヤ」と答えたい状況である。
だが起きてしまったことは仕方ない。冒険者二人は兎に角、捕食者(かもしれない)顔の見えない敵から逃れるべく、道を進んだ。
それからどれくらい歩いただろうか。
行けども行けども、同じような道が続いている。時おり細い支路があって、何処かへ繋がっているように思われたが、とりあえず最も太い道を進んだ。どこもかしこも蟲がびっしりと張り付いて、住民である筈の蟲ですら狭そうにしている。
外の白いものと違って、多くは黒々とした蟲である。さらには中には光る
そんな蟲たちを見て、コリンはぽつりと呟いた。
「変わった場所だね」
「なんかの巣だろ?其処をいろんな蟲が同居してるみたいな。どう考えてもキャパオーバーだがよ」
「そういう意味じゃないよ。まったく同じのように見えて、若干節や足の数、目の位置がちがったりしているんだ」
「そっくりさんな種だっているだろうが」
クロレンスにもダンゴムシはいるし、ワラジムシもいる。何が言いたいのかと言うと、よく似た見た目にして別の種というのは日本同様に幾らでもいるのだ。
だが、コリンはその違和感を拭えないでいた。それは悠が抱いたのと同種のものであるということは無論知る由もないが、コリンはじっとその蠢く蟲を見て、独り言つ。
「そうなんだけど……なんていうかな。全く同じという形のものが少なすぎるんだ」
まるで、何かを手本にうわべだけ寄せたような。そんな違和感。
コリンの言葉に、ジェイコブは顔を顰めていた。だがふと、その異音に足を止め、ハッとして振り返った。
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