070-W_混沌(4)


 ――そうか。

 

 その様子を前に、悠は納得した。

 ならば、やることはひとつ。おもむろに、悠は並んで走るオリヴィアの腕を掴み、押し止めた。 

「ハーヴェイ、急にな……」

 とオリヴィアが大声を上げそうになったが、悠は口を塞ぎ、言葉を続けさせない。オリヴィアは碧い目を真丸にしていたが、悠の意図を汲んだらしい。こくこくと頷くと、自分から静かに地面へ伏せた。

 

 ――あとは、誘導するのみ。

 

 悠は蟲ごと土を掘り返し、湿った土で団子を作る。そのままそれを前方左端の細い道へ投げ付けた。とにかく力いっぱい投げて、を繰り返す。

 背後にあの群れが迫っているのを認めると、悠もすぐにその場へ伏せた。ただし、音を立てぬようそっと静かに。

 

 ――よし。

 

 その飛行生物たちは悠の目論見通り、石の投げられた方角へ流れ込むように飛んで行った。それはまるで黒い濁流だ。その荒ぶるごうごうという翅の音は反響して、数分後、ようやく聞こえなくなった。

 

「ぶはっ」


 悠とオリヴィアはやっと呼吸らしい呼吸をした。体を起こしたふたりは蟲の海の上だろうと構わず尻を付いて座り込むような姿勢になり、息を付く。一か八かの賭けだったので、緊張もしたのだ。

 

 オリヴィアはため息混じりに言葉を溢す。

「死ぬかと思った。というか私が大声だしたのがよくなかったのね……」

 

 あの飛行生物たちは空気の揺れか何かを察知し、其処へ向かう習性があったらしい。

 初めに悠の投げた石は残念にも明後日の方向へ飛んだのだ。致し方のないことだ。悠はとにかく投球(さらに付け加えるならば運動音痴である)が苦手な上、不慣れな肉体からだ。変に力んで、石は蟲一匹にも当たらず、転がった。

 だが、翅蟲たちの動きには変化があった。

 その、どの個体にも掠らなかった小石を追いかけたのである。石が地に転がると同時に蟲たちは動きを止め、また悠たちを追ったわけだが――つまりは、何かが動いたところへ惹き寄せられたのである。

 

 悠はゆっくりと立ち上がり、服についた蟲を払いながら、

「あれがどれだけいるのか判らないが……とりあえず反対側へ行くか」

 とあの蟲の群れの吸い込まれたのと反対の、右側の道を見る。何本にも分かれた道はすべて、同じように細く、その先を垣間見せない。

 いずれも蟲の海であることが変わらず、かつどれが外へ繋がる道へ続いているのかもわからない。

 オリヴィアも立ち上がり、こびりつく蟲を払い落とすと、

「どうせどれが正解の道かわからな……」

 

 そこまで言い掛けてオリヴィアは息を呑んだ。その傍らにいた悠も同様で、すぐ後方に現れたを見て、密かに顔を引き攣らせた。

 

「休ませてはくれないらしい」

 

 いったい何処から湧いて出てきたのか。つい先程まで蟲の海があった其処には、巨大な蟲がいた。またしても、キメラのような蟲だ。百足のような胴部にスズメバチのような頭部。翅はない。だがご丁寧にカマキリのような鎌まで備わっている。

 

 ――音、しなかったな。

 

 不慣れな軀ゆえなのか、それとも。悠は自分たちよりひと回りふた回り大きく、天井ギリギリまで届く蟲を見上げ――そしてその足元を見て呟く。

 

「ああ、

 

 すると、その横をオリヴィアが飛び出し、その蟲の振るってきた鎌を薙ぎ払う。

「ちょっと、何ひとりでぶつぶつ言ってんのよ!動きなさいよ!」

 そう一喝するオリヴィアの手には一振りの短刀がある。先ほどの蟲の群れと異なり、相手は一体。短刀が通りさえすれば、きっとなんとかなると踏んだのだろう。

 だが悠はあっさりと言い放つ。

「オリヴィア、相手をするな。その短刀だとおそらく、刃が立たない」

「は……?ってうわっ」

 きいん、とオリヴィアの持つ短刀と鎌のぶつかり合う音が鳴り響く。そしてその短刀の刃が僅かに欠ける。身を持ってオリヴィアは悠の言うことを理解した。

「嘘でしょ!?」

「とにかく、走れ。あいつが通れないような、狭い場所を探す」

 またしても、追いかけっこである。想像以上に相手の足の遅いことが救いか。とは言っても、速度を緩めたら追いつかれてしまう。

 

 悠は走りながら、周囲を見た。先程まで歩いていた道よりも狭くて小さな支路が多くある。あの蟲が絶対通れず、けれども二人が入れるようなそんな道はないか。

 ――困ったなあ。僕、戦闘は何だよね。

 いっそ代わる?

 ふと、悠は前方左手の道に目を留めた。何とか人間一人が通れるような狭い道だ。そのずっと奥から、。その音に、悠はふっと嗤う。

 ――ちょうどいいや。

 代わりにしても、場所を選ばねばならない。うっかり敵の巣窟での軀を放りだしてしまえば、その軀は死んでしまう。

 

 悠はくい、とオリヴィアの袖を引き、顎で先にある細い道を指し示して言う。

「あそこ、行くぞ」

「またなんかいないでしょうね」

、いない」

「なんかその言い方嫌なんだけど……」

 オリヴィアは顔を引き攣らせながらも、ちらりと後方を見る。あの蟲の大群に比べれば遅いが、それでも速い。何よりもあの鎌が脅威だ。

 どうすべきか作戦を立てるためにも、何処か落ち着ける場所へ行きたい。何ならば、身を隠している間に何処かへ行ってくれるとなおよい。どちらにせよ、今のままでは落ち着けない。

 

 再び前を向くと、オリヴィアは渋々と同意する。

「わかったわよ……!問題あるのはいない、が本当にいないことを祈るわよ!」

 そう答えるや、オリヴィアは速度を上げる。無論、足元が滑るので全力ではない。がむしゃらに走り、すぐ手前まで辿り着くと、オリヴィアは文字通り滑り込むようにして飛び込んだ。

「ハーヴェイ、早く!」

 すかさず振り返り、オリヴィアは同僚の少年を見る。

  

 道から少し離れた地点にいた悠は蟲の鎌を短刀で往なし、道を塞がぬようにしていた。オリヴィアが到着したのを認めると、強めに蟲の鎌を弾き返し、急ぎオリヴィアのいる方角へ方向転換した。

 

「ああ、しつこいなあ」

 思わず、声を溢す。

 

 逃さない、とばかりに蟲がぞわぞわと足を動かして接近してくる。悠は軽やかに跳躍し、鎌を掻い潜ってその蟲の頭部を蹴り上げる。目を潰すとまでは行かなかったが、相手が怯む。その隙を狙って、悠はオリヴィアのいる道へ飛び込んだ。

 すぐさま、オリヴィアが駆け寄った。

「ハーヴェイ、大丈夫?」

「ああ、問題ない」

 振り返ると、蟲は諦めずにうろうろと近くを彷徨いている。何としてでも、悠たちを捉えたいらしい。

 

 ――うん。無理だ。無理じゃないけど、面倒だ。


 内心で、悠は呟く。

 ならば。


 面倒事は、押し付けてしまおう。


 次の瞬間、ハーヴェイの軀は力無く崩れ落ち、オリヴィアが目を見開いた。

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