067-[IN]S_混沌(1)


 時は少し遡り、中にて。

 その突然に鳴らされた物音で急ぎ一階へ降りた紫苑は唖然としていた。窓の前に、蓮が倒れ込んでいるのである。

 

「レン!?どうしたんだい!」

 

 駆け付けて抱き抱えると、蓮の体はやけに熱かった。ぐったりとしていて、意識があるのかないのか判別が付かない。紫苑は初めて見たその症状に蒼然とする。

 憂鬱になって動けなくなることはあっても、中は外と違って、風邪を引いたりはしない。どうするべきなのかさっぱり分からず、紫苑は蓮の頬を何度も叩いて呼びかける。

 

「レン?聞こえるかい、レン!」

「う……」

 

 蓮はゆっくりと目蓋を押し上げ、黄金こがね色の瞳を垣間見せた。ハーヴェイと同じ目の色だ。高熱のためか、わずかに潤んでいる。

 しばらく眩しそうに目を細めていたが、蓮は頭を押さえながら、自ら上体を起こした。

 

「くそ……ここ、中か」

「そうだよ。酷い熱じゃないか?いつからこうなってたんだい」

「五月蠅い。外に……」

 

 戻る、と続けかけ、蓮は口を押さえた。呼吸を荒げたまま俯いて動かなくなった少年に、紫苑はあたふたとする。

「え、ちょっと、レン?」

 すると、蓮は嘔吐するような素振りを見せた。それは止まること無く何度も。よほど苦しいのか、首を掻きむしったり喉に指を突っ込んだりして何とか吐こうとするが、呻き声ばかりがこぼれ落ちる。中では吐くものがない。故に、嘔吐感だけが続くらしい。

 無論、この吐き気の止ませ方なぞ知るはずもなく、気休めとばかりに背をさすって自然に収まるのを待つしか無い。

 

 紫苑は蓮を抱えながら、言葉を掛ける。

「もしかして、無理が祟ったのかい?やっぱり一月ひとつきも寝ないなんて無茶が過ぎたんだよ」

「うる……さい……」

 床に手を付いたまま、蓮は吐き捨てる。未だに嘔吐感が止まないのか苦しげだ。

「とにかく、横になって」

「馬鹿か、……お前。俺がここにいる、てことは」

「あ、ハーヴェイの軀!」

 紫苑はハッとして窓を見る。

 

 ずっとハーヴェイの様子を見ていなかったゆえ、今何をしている真っ最中だったのかわからない。もし敵に襲われている最中だったら最悪だ。軀が死んでしまった場合、中がどうなるかなんて紫苑にはわからないからだ。

 

 だが、予想外に外の光景を映している窓に、紫苑は呆気に取られた。

「あ、あれ?誰か外に出てる?」 

「は?」

 嘔吐感を堪えながら、蓮も窓へ顔を向ける。

 

 外に住人が誰も出ていないとき、窓は乳白色の光を灯すだけで何も映さない。だというのに、窓には薄暗い洞窟のような景色が映っているのだ。だが、音はしない。いつもならば中にも声が届くようになっているのに。お陰で、誰が外に出ているのかわからない。

 紫苑は試しに、外へ呼び掛けてみた。

 

「誰か外にいるのかい!聞こえたら返事をしておくれ!」


 矢張りとばかりに返事がない。中と外の疎通が取れなくなっているのだ。これでは、中からサポートできない。――そしてこの状況には、覚えがあった。

 おそらく蓮も同じことは察しただろう。だがそれでも、蓮はふらつきながら紫苑を押し退け、ふらふらと立ち上がる。

「退け……!」

「ちょ、ちょっとレン!」

 

 きっと無駄だよ。そう言うまでもなく、蓮の腕は窓をすり抜けられなかった。何度も叩いても弾き返されて、外へ出ることを拒否されてしまう。

 一月ひとつき前、悠がこちらに戻ってきたばかりのころによく似た状況だ。今回は向こうの音まで聞こえなくなってしまったようだが、こうなっては自然と元に戻るのを待つしかない。

 

 蓮はバン!と強く窓を殴り付けると、

「クソ」

 と悪態づいた。

 

「とりあえず、誰がいなくなったのか確認――……」

 紫苑は言い止めた。蓮のことですっかり忘れていた。悠の部屋に鍵が掛かって、中の様子がわからなくなってしまっていることを。

 

 ――え、言うべき?

 

 紫苑は冷や汗を掻く。こんな体調を崩した蓮に、悠のことを知らせたらどうなるか。心配して荒れるに決まっている。それでいて、紫苑はボコられること確定だ。何でちゃんと見ていなかったのかと。

 

 ――でも、言わなくてもバレちゃうしなあ。

 

 こんな緊急事態に何を葛藤しているのかと思われるだろう。薄情だと思われるだろう。けれども、痛いのは厭なのだ。蓮は手加減という言葉を知らず、容赦なく殴って来るので、死ぬかと思うくらいに痛い。だから、厭なのだ。纏め役なんて立場を押し付けられるのは。

 紫苑はううむ、と思い悩みながらも意を決しようとした、その瞬間。

 

「ね、ねえ……ど、ど、どうしよ……う」


 リビングダイニング内に響いたのは陽茉の甘やかな声。声になった方を見れば、階段の近くでウサギのぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめる小さな女の子。顔は長い前髪で隠しているゆえ、わからない。

 

 紫苑は慌てて陽茉のそばへ駆け寄り尋ねかける。

「マリ、どうしたんだい?」

「れ、れ、れんお兄ちゃ……のお、お部屋……ドア、開いた」

 

 その幼い少女の言葉に、紫苑よりも先に、蓮が食いつく。ふらふらとしながらと歩き寄り、陽茉に詰め寄った。

「おい、今の。どういう意味だ?」

「ひ……!」

 

 あまりの気迫に、陽茉はビクッと肩を震わせた。常から気遣いなんてものから無縁の蓮だが、それでもさすがに子供の陽茉には容赦していた。だというのに、よほど余裕がないのだろう。爛々と黄金こがね色の目を燃やして、陽茉を捕らえて逃さない。

 

 慌てて紫苑は駆け寄り、そんな二人の間に割って入って蓮の両肩を押さえていさめる。

「レン、止めなって。マリが怖がっているだろう」

 

 紫苑の言葉に蓮は我に返ったのか、少しだけ落ち着きを取り戻し、静かに尋ねた。

「……あいつに、何かあったのか?」

 

 一瞬、どう答えるかと言い淀むも、紫苑は項垂れながらも白状する。

「急に個室の扉が開かなくなったんだ。鍵はかけられていないのに……それで、そのことでバタバタしていたら、今度は君が出てきて……」 

 リビングダイニングにしんとした静寂が落とされた。怖くて、蓮の顔が見れない。手を弄びながらも、おずおずと紫苑は言葉を続ける。

「とにかく、扉が開いたんだろう?急いで様子を」

 

 そう言いかけた矢先、蓮は肩を押さえる紫苑の手を振り払い、勢いよく飛び出して階段を駆け上がっていた。バタバタと激しく音を立てて、よほど心配しているのだろう。

 

 紫苑も急いで追いかけようとすると、陽茉が焦ったように言葉を加えた。

「で、でも……ゆ、ゆうおに、お兄ちゃん……い、いなかった」

「……え?」

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