066-W_影(4)
悠は周囲をぐるりと見回した。
ここは地下。ぱっと見たところ外に繋がる場所も見つかっていないし、隙間からの漏れ日もない。だというのに、薄っすらとそれが蟲である、だとかそれらが
実はクロレンスの人間は光以外に視界を確保する術を持っている、等というファンタジーな性質があるならば何も言いようがないが、現代日本と同じならば何処かに光源があるということになる。
悠の視線の先では、どこもかしこも黒黒とした蟲がうぞうぞと犇めき合っているだけなのだが――悠はその波打つようなてらてらとした蟲たちの合間を凝視し、ハッとした。
「……そうか!」
その悠の声に、横に並んで歩いていた炎髪の少女が驚いたように目を剥き、振り返った。
「どうしたのよ、ハーヴェイ」
その顔は怪訝そうに顰められている。あの常にツンケンしているハーヴェイが突然、間の抜けた声を鳴らすものだから不審に思ってるのだろう。
悠はこほん、と咳払いすると、蟲の海を踏みしめて掻き分けて、壁に近寄る。
「いや、何故
「……ああ!そう言えばそうね。どこも隙間ないのに」
オリヴィアも気が付いたらしい。この反応を見るに、クロレンスの人間が光の反射以外で物を視るという性質を持っているわけでなさそうだ。
壁の近くへ辿り着くと、悠は蟲の中から一匹つまんで引き出した。
「蟲の一部に、光ってるものがいるんだ」
それは臀部にぽうっと光を灯している蟲だ。オリヴィアもまじまじとその蟲を見て、
「あ、ほんとだ。……なんか形も違くない?」
オリヴィアの言う通りだ。
よく見れば、近くにいる、百足の蟻の合わさったような蟲と形が違う。不格好な蛍のような形だ。さらに蛍もどきを翳して周囲をよく見れば、他の蟲にも幾つか種類がある。頭の形まで百足のようなものもあれば、蜘蛛のような形のものもある。
――なんだろう。
ふと、悠は自分が夢中で蟲を見詰めていることに心づく。
なんだか、わくわくしているような、そんな感覚が胸の奥底から湧いてくるのだ。悠は昆虫の類に興味があるわけでない。言うなれば、苦手な部類だ。だというのに、異様に胸が高鳴って、探求を止められない。この衝動が抑えきれない。
そんな高揚感の中、悠はぽつり、と独り言つ。
「……同じ種の集まりというより、狭い場所に雑多に詰め込んだような……『蠱毒』みたいだな。興味深い」
いや、地中なんて複数の生き物で溢れかえっているのだろうけれど。此処はただの地中ではない。意図的に何かが掘って道を作った筒状の長い通路だ。きっと蟻の巣に近い。
「それにしては色々な蟲が所狭しといるんだなあ。それともクロレンスだとこういうのもいるんだろうか……それでもともと他の何かが掘った巣を複数で間借りしているのか、それとも……」
それとも、何者かが意図的に詰め込んだのだろうか。それこそ、蠱毒のごとく。そうだとしたらなおさら、
悠は自然と、笑みを溢していた。
もはや自分の行動の奇妙さにまったく意識は向かず、悠はうろうろと周囲を見て歩き、またふと蟲に目を留める。
「ここの蟲なんだか、奇妙だな」
そっくりな生き物がいることはある。ダンゴムシとワラジムシや百足とヤスデみたいに。だから、似ている蟲同士にも、小さく違いがあっても何ら可怪しくはない。
だが、あまりに不揃いすぎるのだ。足の数や節の数、頭の形や目の形。ひと目見ただけでは気付かないが、わずかな違いを持つ個体が多く、むしろ全く同じというものがいない。
――まるで、猿真似だ。
それらしく、形を取っている。こういうのを擬態と言うのだろうか。
一方。悠が悶々と考えている傍らで、オリヴィアは眉を顰めていた。悠が一瞬「蠱毒」という単語を日本語で発音してしまったのもあるが、それよりも彼女にとって、今のこの少年の行動があまりにも異常なのだ。
ハーヴェイはあんなに目を輝かせて蟲を見、熟考したりしない。敵であれば的確な殺し方を考えたりするが、今の彼には敵を殲滅するという殺意がない。そんなハーヴェイの奇行に耐えかねたのだろう。やにわに、オリヴィアが言葉を差し込んだ。
「ねえ、あんた」
「え、何?」
と変わらず蟲を観察しながら、悠はぼんやりと言葉を返す。
生返事をした後も唇に親指を当ててぶつぶつとずっと何かを呟いている。蟲の観察や状況の考察に夢中で、オリヴィアに返事したつもりもないのである。
「ハーヴェイ、あんたそれ、コリンの真似?なんか気持ち悪いわよ」
その指摘で、気不味い沈黙が二人の間に下ろされる。悠はハッと我に返ったのだ。やってしまった、と。今、自分がハーヴェイなのだとすっかり忘れていた。悠にはそのコリンというのが何処の誰だかわからないが、普段のハーヴェイと違う行動を指摘されたのだろうことは理解できる。
きっとあの乱暴者の少年は、(たぶん)蟲を見て、その生態がどうのだの考えたりしない。たぶん。きっと悠をよく知る人間からすれば、お前もしないだろうとツッコミを入れるに違いない。もし生き物に興味を持っていたのだとしても、こんなわけの分からない場所で呑気に蟲の観察できるほど本来の悠は図太くない。
――うっかりしてたなあ。ええと、どうしよう。
どう誤魔化すか。悠は暫しのんびりと思案する。別に「自分は普段のハーヴェイと違うんだ」と明かしても構わないが、それはそれで説明が面倒である。
――中の人たちも五月蠅そうだしなあ。
ずっと隠しているということは、知られたくないということだろう。確かに、クロレンスは心理学や精神医学が進んでいなので、バレれば、「きっと頭がおかしくなったに違いない」と嫌煙されること間違いない。
――まあ、
悠はふと、思考を止めた。
あれこれ考えるのも面倒だ、適当にやり過ごそう――そう、見切りをつけたのだ。
悠はすんと真顔をして見せて、けろりとして言葉を返した。
「何がだ?」
何とも雑なすっ惚け方である。そんな悠の反応に、オリヴィアは呆れ果てて、ガクッと脱力した。
「あんたねえ、そんな誤魔化しが利くわけ」
「気の所為だ。ちょっとした気の迷いだ。気にするな」
オリヴィアに言葉を話す隙を与えない。あえて無表情に、淡々と言葉を締めくくる。
「それ以外に何かあるか?」
そのあまりにけろりとして言い切る少年に、オリヴィアは閉口した。
絶対言い訳になっていない発言なのに、堂々としたその様子を見ていると言い返す気力も失せるというものだ。オリヴィアは呆れたように嘆息すると、「もういいわよ」。
オリヴィアが引き下がったのを見ると、悠は表情に出せず、内心で独り言ちた。
――ああ、扱いやすい子でよかった。
この娘に妙だと気取られようか、そうでなかろうか。黙ってやり過ごしてくれるなら、それでいい。後は、
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