062-out_決壊(4)


 連続でどうして、こうも珍しいはずのものに遭遇するのか。

 オリヴィアは眼の前を取り囲む魔獣の群れに舌打ちしたくなった。今朝は、珍しくもないが山賊の相手をしたばかり。休みがなさすぎる。

 

 ――ハーヴェイの調子が悪いのに!

 

 不運が過ぎる。オリヴィアは地団駄を踏みたい気分を堪え、鎚鉾メイスを手に持つ。人里からはかなり離れたので、数頭を放置しても問題ない。ハーヴェイの言う通り、とにかく、ここを抜けることに集中すればいい。

 

 傍らに立っていたハーヴェイが一喝する。

「突っ切るぞ」

「わかっているわよ」

 

 すかさずオリヴィアは返事をすると、二人同時に飛び出した。

 オリヴィアの戦法は単純明快である。殴って怯ませる。その隙を、とにかく全速力で駆け抜ける。ハーヴェイもさしてあまり変わらない方法を取っており、違いはオリヴィアの獲物には刃が備わっていないことだ。

 

「こんの……邪魔よ!」

 

 ぐしゃり、と肉と骨のひしゃげる音がして、血飛沫が上がる。オリヴィアはその潰された魔獣を払い除けるとすぐにまた、走る速度を戻す。

 

 ――本当にあいつ、体調……悪いのよね?

 

 横で同じように大剣を振るう少年は、相変わらずあの大振りの得物を実に器用に細やかに操る。

 オリヴィアが力任せに押し切るスタイルと言うなれば、実は冷静な時のハーヴェイは勘を含む技術で切り込むスタイル。怒り狂うと拳で物を言わす時もあるが――単純な持久力と筋力だけならば、オリヴィアのほうが勝るのである。

 

 そして今回は今朝のように、無駄に暴れまわったりしないらしい。うまく反動などを使って、相手を素早く、最低限の魔獣を蹴散らして、駆け抜けている。

 

 魔獣との追いかけっこは日が暮れ、真円の月が西の地平へ吸い込まれるまで続いた。ようやく魔獣たちを撒き、オリヴィアは地面に膝をついた。

 

「――つ、疲れた……」

 

 げっそりとした声である。事実、一晩中全力逃走をしていたので、肺も脚も限界である。しかも、武器を振り回しながら。腕も限界だ。

 横で、ハーヴェイも木に凭れ掛かり、息を整えている。頭頂で髪を束ねていた革紐を解き、風通しをよくしている。立ち上がると、オリヴィアも肩で切り揃えた炎髪を搔き上げ、涼む。本当は水浴びもしたい。汗でじっとりとして気持ち悪い。

 

 オリヴィアはふう、と嘆息すると言葉を続けた。

「ちょっと一時中断タンマ……」

 少しの休憩を挟んだ後、ふたりは山道を進んだ。また魔獣に遭遇しては面倒である。魔獣の多くは山に住んでいるような獣の姿――熊や狼、猪など――なので、山を下りた方が遭遇する確率が下がるのである。

 

 ――まあ、学問的な裏付けは何もされていないんだけどね。

 

 魔獣はその遭遇する確率の低さから、未だに謎の多い生き物だ。むしろ、解っていることのほうが少ない。ゆえにばったり遭遇すると面倒なのだが。


  

 時おり野宿を挟みながらの数日間、西方向へ進んだ後、ふたりは目的地のドナ村のすぐ近くまで辿り着いた。まことにいつも通り過ぎる場所で、青々と木々の生い茂り、甘やかな香りを放つ花が咲き誇っている場所だ。渓流がせせらぎ、小鳥たちがぴいぴいと何かを啄んでいる。道端にはひっそりと小さな洞穴があり、何かの生き物の巣のように思われた。

 ――本当。これだけ見ると、何ともないのよね。


 だが目的地のドナ村へ下りると、その考えはすぐに撤回される。

 それはリントン村の比にならない。山を降りれば、一本の大樹を除いて一面平らな蟲の海。生き物のいる気配がなく、まさに死の海。

 

 オリヴィアは思わず、その感想を声に出していた。

「……これは確かに……もっと酷いわね」

 

 見たところ、仲間の姿も見当たらない。片方はかなりの長駆なので、仆れていれば一目見れば見つけられると思うのだが。オリヴィアはちらり、と横に立つ同僚を見た。

 

 ――なんか、ますます顔色悪いんだけど……。

 

 あまり、受け答えをしなくなった。余裕が無くなったのだろうか。魔獣の件があったのでとりあえず目的地へ下りてしまったが、穀倉地帯と反対側を目指すべきだったか。

「ねえ、やっぱり引き返しましょう」

「魔獣が待ってんぞ」

「それは、そうだけど……じゃあせめて、もう少し北上して、オルグレンへ行くとか」

「それなら、どうせここを通る。街道に出るまで、調べられるだけ調べてから行けばいい」

 う、とオリヴィアは口を噤む。

 

 もう少し山脈を西へ渡って下りれば、パーティーのホームである商業都市オルグレンへ続く大きな街道があるのだが、今のこの調子の悪そうな相棒を連れて、山へ戻る気にならない。

 さっさと蟲の海へ踏み込もうとする小麦色の肌の少年を、オリヴィアは走って追った。

「……せめてあんた、何か食べなさいよ。ろくに食事もしてないじゃない」

「最低限は食ってる」

 

 そんなわけ、あるか。オリヴィアは内心でツッコむ。休憩の都度に無論、水に加え朝食や夕食、間食を摂って栄養を補給する。オリヴィアもハーヴェイも、かなり動き回るのもあり、そこそこ食べる方だ。だがここ数日のハーヴェイは少し干し肉をかじってお終いにしていることが多い。それに――。

 

 ――たまに、吐いてるわよね?

 

 指摘すると、さらにムキになるかもしれぬとあえて言わないようにしているが、ハーヴェイがオリヴィアに隠れて吐き戻しているのは知っていた。つまり、その少しの食事すら体は吸収していない。時おり、吐くものすらなくて胃液のようなものを吐き出している時もあるぐらいなので、なおさら状況としてはよろしくない。

 

 ――やっぱり、何かよくない病でももらってきたのかしら……。

 

 こっちも心配で、気が気でない。行方不明のふたりには悪いが、それどころでない。オリヴィアはハーヴェイの服の裾を強く掴み、ひと睨みする。

「とにかく、オルグレンに戻るのが優先よ。いいわね?」

「……はいはい」

 

 よほど調子が悪いのだろう。今回は引き下がってくれた。オリヴィアはホッと胸を撫で下ろす。これならば、少し我慢をして蟲の海を越え、オルグレンへ続く街道の支路まで辿り着けば問題ない。

 等と事がうまく進むはずがない。稀有なはずの魔獣との遭遇を何度も引き当てるふたりなのだ。

 

 不意に、ハーヴェイが立ち止まった。

 

 ちょうど、何故か形を保っている大樹の近くだ。オリヴィアは厭な予感がしながらも、ハーヴェイへ問う。

「どうしたの?」

「……音、しないか」

 音。五感の鋭い彼はいつも誰よりもいち早く異変を察知する。それは、本調子でない今もそうらしい。オリヴィアは耳をそばだて、周囲の音へ意識を集中させる。

 風に運ばれるのは、うごうぞと、蠢く蟲の音ばかりだ。それ以外の気配はない。時おり、地面に敷き詰められた草木や家屋の破片を踏んでパキパキと音が鳴らされるが、それも特殊な音ではない。

 

 ――!

 

 オリヴィアはハッとした。

 地下から、何かごうごうと地響きのような音がする。それはだんだんに近付いて来る――先に危険を察知したのは矢張り、ハーヴェイだ。我に返ったようにオリヴィアの腕を掴み、声を張る。

「オリヴィア!」

 

 その瞬間。

 地面が大きく、崩落した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る