061-out_決壊(3)


 リントン村から再出発し、ふたりはオールトン山脈の山道を西方向へ戻っていた。日中であれば、だいぶ汗ばむ陽気になって来たものだ。オリヴィアは山道を進みながらふと、横を歩くハーヴェイへ視線を向けた。

 

 ――やっぱりハーヴェイ、何か具合、悪いわよね?

 

 今朝から様子が可怪しい。

 ベアード商団の時と異なり、性格自体はいつもの知っているハーヴェイなのだ。無愛想で不躾で、敵には容赦なく残忍。

 だが、今朝からのハーヴェイは妙に苛立っていて、そして何よりも顔色が悪い。時おりふらついているようだし、本当は止めたほうがよい。

 

 でも。

 何だか声をかけづらい、張り詰めた空気があるのだ。ちょっと具合悪いくらいだったら、遠慮なく頭を叩き倒して、村に置いてきた。

  

 ――また爪、噛んでる。

 

 オリヴィアは顔を顰めた。ハーヴェイがギリギリと親指の爪を噛んでいる。

 元々、彼にこんな癖はない。ベアード商団の一件の時、記憶喪失になった時から見掛けるようになった悪癖だ。頻度は減ったものの、その癖は相変わらず続いている。そしてその時の彼は時々、まるで別人のように思うのだ。

 だから、話しかけづらい。またあの時みたいに、他人の顔をされたらどうしよう、という不安がよぎるのだ。まさかこんなに自分が臆病だったとは、思ってもいなかったが、それでも恐ろしいのだ。

 

 ――でも流石に、ずっとこのまま、というわけには行かないわね。

 

 ずっと様子を伺っていては、何も始まらない。オリヴィアはおのれの頬を力強く叩くと、ずいとハーヴェイへ寄った。

 

「ねえ、ハーヴェイ」

「なんだ」

 

 ハーヴェイは不機嫌面をさらに険しくして、オリヴィアを見た。いつものことだが、彼はいちいち他人ひとを睨み付けないと気が済まないのだろうか。オリヴィアは思いっきり強くハーヴェイの頬を引っ張って、

 

「笑えとは言わないけど、そうやってすぐに威嚇するのやめてちょうだい」

「うるはい」

 

 アーモンド型の目を半眼にしてハーヴェイは答えるが、少し間抜けで怖くなく、オリヴィアは思わず吹き出した。

 彼の容赦無い残忍ぶりを見れば、怖くて近寄れない、という人間もかなりいるが、オリヴィアにそれはない。冒険者になってからずっとハーヴェイと共に行動しているが、強い悪意がなければ頬をつねっても怒らない。

 オリヴィアはハーヴェイの頬から手を離すと、密かに眉根を寄せた。

 

 ――え、熱くない?

 

 あからさまに額に触れようとすればきっと避けられるので、ここはあえて別の行動をしたのだ。そしてその頬から伝わる体温は、異様に高い。治っていない傷でもあったなか、それとも感染症にでも罹ったのか。むしろよく、こんなので立っていると思うくらいに発熱していた。

 

 ――やっぱり、止めるべき?

 

 いや、そうすべきなのだ。ハーヴェイに休むよう説得するべく、オリヴィアは口を開いた。

 

「ハーヴェイ、あんた……」

「余計な気は回すなよ」

 

 言葉を遮るように、ハーヴェイは言い放つ。今ので、高熱を出しているとオリヴィアに気取られたと察したのだろう。ハーヴェイは相変わらずの仏頂面で行く手を見据えている。よく見れば、その額には汗が滲んでいる。

 

 ギュッと強く手を握りしめ、オリヴィアは顔を歪めて問いかける。

「……ふたりが心配だから、無茶をしているの?」

 

 ハーヴェイとオリヴィアは年齢が近い。というより同い年だ。だが、一年前にパーティーに加わったオリヴィアと異なり、ハーヴェイは小さな頃からパーティーにいる。

 隊長のアーサーや槍使いのジェイコブの次に古株で、行方不明のメンバーのうちコリンはまだしもジェイコブは今年で七年近い付き合いと聞く。さすがのハーヴェイでも愛着というのを感じるのだろうか。そうなのだとしたら、少し羨ましい。

 

 ――やっぱり、ハーヴェイにとって私はまだ、他人なのよね。

 

 興味を持たれていないのは知っている。仕事上の付き合いで、言われたら一応私用にも付き合ってやる、程度にしか思われていない。女として見てくれるなんて論外である。

「……別に。さっさと仕事を終わらせたいだけだ」

「またそんなこと言って。体壊しているなら、私だけに任せることだって出来るじゃない」

「お前に……?寝言は寝て言え」

 

 ハッと鼻で嗤うハーヴェイ。こうしていると、いつも通りだ。オリヴィアはムッとして言い返す。

「あ、今。私のこと馬鹿にしたでしょ!そりゃああんたに比べたら実力も経験も足りないけど、私だってある程度はひとりでこなせるわよ」

「熟練の奴らがどうにもならなかった件に、ひとりで行かせるほど馬鹿じゃねえよ。そんなことやってみろ。アーサーからの小言に半日付き合わされる」

 

 アーサーとはパーティーの隊長のことである。熟練の戦士であるジェイコブまでも消息不明。そのような案件を、最も歴の浅いオリヴィアにこなせるはずがない。ハーヴェイの指摘ももっともである。オリヴィアはう、と詰まりながらも言葉を返す。

「まあ、確かにそうかもしれないけど……でも……」

「でも、も何も無い。わかったらさっさとしろ。これくらい、どうってことない」

 

 どう考えても、どうってことのない域を超えた高熱だ。オリヴィアは歯噛みして、思案する。ハーヴェイを優先して戻るべきか、それとも行方知れずの仲間を優先して進むべきか。

 いや、ハーヴェイのこの状態で後者を選択できようか。さらに行方不明のメンバーを増やすだけではあるまいか――そう考えた矢先、ハーヴェイが突然に足を止めた。

 

「おい、オリヴィア」

「え、何よ?」

 

 オリヴィアは驚き、目を瞬かせる。すると、ハーヴェイが背に携えた大剣を引き抜き、言葉を続ける。

「あれこれ考えている暇、ねえぞ」

 

 そう言われ、オリヴィアはしばらくキョトンとしたものの、に意識が留まって我に返る。

 さすがはハーヴェイと言うべきか。彼は数キロ先に潜む獣たちの気配を捉えたのである。その獣たちはこちらへにじり寄って来ているので、オリヴィアにもその唸り声や足音が聞こえたのである。

 獣の群れだ。数十はいる。熊よりは小さいが、狼よりはうんと重量のある足音。そのような獣に、オリヴィアは覚えがあった。

 

「……これ、なんの冗談よ?」

「さあ。とにかく、進むぞ。全部はる必要はねえ。道を塞ぐやつだけ潰せ」

 

 ハーヴェイが大剣を一振りし、構えると、前方には赤い四つ目の獣の群れがあった。

 

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