060-L_決壊(2)


 どうしてだろう。

 と会ってから、すべてが手をすり抜けて行く。

 

 別にいいんだ。そばにいてくれるだけで。

 顔が見られるだけで、彼が笑ってくれているだけで。

 それでいいのに。


 ――独りは厭だ。

 

 の絶望感をもう、味わいたくない。

 だから、行かないで。

 これ以上、奪わないで。

 


 ――独りに、しないで。



 

 


 蓮は大きく目眩がして、目を押さえた。

 

 世界がぐるぐると回り、耳鳴りで音が遠退く。これは、眼前から広まる死の臭いの所為か。それとも、ずっとツケが回ってきたのか。

 眉間を押さえながら、蓮は燦々と照らす太陽に照らしあげられ、てかてかと光る蟲の海を臨んだ。

 

 山賊たちの騒動の後、蓮たちは山道を東へ進んだ。時おり馬を休めるために足を止めたが、可能な限り止めなかった。そして陽が天頂高く登った今。農夫デレクの目的地、リントン村へ到着していた。

 

「おお!戻ったか、デレク」

 到着して迎えたのは、老夫カールだ。デレクの嫁の祖父に当たる男で、この村では最年長に当たる農夫らしい。かわいい孫婿と抱き合ったのち、蓮とオリヴィアを見比べるや、

「なんだ、このお嬢さん方は」

 と尋ねた。

 

 いつものパターンである。女にも見える中性的な顔立ち、戦士とは思えぬ華奢な体付き。事前情報もなしに一発で男と見破れた者の方が少ない。

 蓮は舌打ちをして、眉根を寄せて顔を背けた。これくらいは慣れている。殺意を持ってを売って来たのならば拳を持って応えてやるが、今回はそうでないのでやり過ごす。

 

 その傍らで脱力していたオリヴィアは手を挙げる仕草をすると、訂正した。

「こっちは男、私は女。私たちは冒険者で、行方不明の仲間を探しているの」

「冒険者?へえ、こんな細いのもいるのかい」

 これもいつもの反応である。ハーヴェイにしろ、オリヴィアにしろ、一目見ただけでは細身の美少女。剣を振り回せるようには見えないのである。その実、ふたりともかなり重量のある得物を扱うので、それを見れば納得するのだが。

「こう見えても、私たちは傭兵業を主にやってるのよ。ちなみにこっちの男はS級。私はまだ進級試験受けてないからC級だけど……」

「なおさら信じられんが……まあ、前に来たのも片方はひょろひょろしとったからなあ」

 

 カールの言葉に、オリヴィアはハッとした。それはもしや、まさに彼女たちの探している仲間たちではあるまいか。穀倉地帯の虫害騒動で派遣された冒険者はあのふたりだけだ。オリヴィアは思わず詰め寄って、

「それってもしかして。片方は背の高くて筋肉ダルマな槍使いで、もう片方は小柄でそばかす顔な薬師では?」

「あのヒョロいのが薬師だったかはわからんが……おそらくそのふたりだろうな。手紙を届けるための代理を、知り合いが請け負っておった」

 

 その手紙とはおそらく、オルグレンにいるパーティーの隊長へ届けられたものであろう。蓮は空を見上げ、まだ陽の光が天頂近くにあるのを認めると、ついと軀を山脈の方角へ向ける。

「オリヴィア、さっさと行くぞ。馬はどうせ使い物にならない。あとは歩きで進む」

 

 ここに来るまでにも苦労したのだ。馬というのは繊細な生き物で――山から降りる途中から村の異変を気取り、進みたくないと踏ん張って抵抗してきた。仕方無しに馬から下りて、引きずってきたのだ。愛馬にその仕打ちは如何なものかと思われるが、それでも山に置いていくわけにも行くまい。

 

 ――まあ、わからないでもない。

 

 蓮は山道を下っている時から感じる寒気に、冷たい汗を伝わせた。

 彼もまた、厭な気配をずっと感じていたのだ。ハーヴェイの軀は比較的敏感で、仲間には時おり「野生児」と言われるほどなのだ。

 その厭な感じも合わさって、余計に胸の奥がむかむかして、吐き気がする。本当は今すぐにこの村を離れ、で休みたい。ぐっすり眠りたい。頭痛も目眩も耳鳴りも、だんだん酷くなって、立っているのもつらい。

 

 ――とは言え、今日も日本側でやることがある。

 

 まだ退院していて、一人暮らしなので部屋に籠もらせることができるので以前よりは楽だが、もう間もなく十月で大学が始まる。いい加減、あおいの身の振り方を決めねば。

 

 蓮がさっさとその場を立ち去ろうとすると、農夫デレクがおろおろとして、声を鳴らした。

「え、泊まって行けばよいのに」

「デレクの言う通りだ。この先、山脈中央部へ近寄るほど村は壊滅状態で休む場所はないぞ」

 と老夫カール。蓮は少しだけ振り返り、冷たく言い放った。

「未だ少し、陽が沈むまで時間がある。時間は無駄にしたくない。休むなら、ある程度進んだ先で野宿すればいい」

「それもそうね」

 オリヴィアも蓮に同意し、頭を縦に振る。

 

 もう、デレクのような一般人、即ち気を遣う相手がいないのだ。許される限り早く目的地であるドナ村へ行き、仲間を探さねばならない。

 何処かで負傷しているかもしれぬし、最悪――死んでいるかもしれない。死んでいるならば、可能ならば遺体を持ち帰り、冒険者組合へ通報してこの虫害調査のための増員を願い出る。

 まだこの蟲の騒動は終わっていないのだ。可能な限り早く引き継ぎ、早期の解決をせねばならない。さらに蟲の被害が拡大すれば、今年の麦の心配だけに留まらなくなってしまう。

 

 農夫の男たちは顔を見合わせると、感心したのか呆れたのか嘆息して言う。

「そこはさすが、高級の冒険者と言うべきか」

 傭兵業を主に担う冒険者、そのうちのA級以上の戦士たちはとにかく、人外な体力と身体能力をしている。無論、人間なので刺されれば死ぬし、寝なければ発狂する。だがそれでも、一般人に比べれればとにかくタフである。

 オリヴィアは冒険者になって一年というのもあり、まだ進級の手続きをしていない。が、体力にしろ実力にしろ、そのA級に近い。それより上、最も上のレベルであるハーヴェイ――蓮はもってのほかである。

 

 蓮は嘆息すると、また山脈の方角を向く。内陸路は蟲の海なので、また山道を通って目的地へ行くのである。

「わかったら、さっさと行くぞ」

「はいはい。……ということで申し訳ないのだけど、アビーとイヴをよろしくするわ。飼育代金はこちらで持つから」

 と言ってオリヴィアは必要枚数の銅貨の入った巾着袋を農夫デレクへ手渡すと、急ぎ蓮の横へ走り寄る。

 

 五月も末日が近い。仲間たち――ジェイコブとコリンの消息を絶ってから一月半ひとつきはんが経過していた。

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