059-L_決壊(1)


 蓮は目を覚まし、すかさず腰元から短刀を引き抜いた。それと同時に体を起こし、近づいてきた者の首を掻き切る。

 それは、山賊だ。

 窓を潜るのに遅れて不覚にも、接近を許してしまったらしい。蓮は首の切られた男を蹴飛ばし、立ち上がる。

 

「あ、やっと起きたのね。ハーヴェイ!」

 声を鳴らしたのは、炎髪の少女オリヴィアだ。すでに交戦しており、足元はのされた男たちが転がり、周囲にはまだ剣を向けて取り囲む十数人の男の姿。農夫デレクは愛馬や旅荷の近くで頭を抱えてぶるぶると震えている。

 

 朝っぱらから何とも面倒なことに巻き込まれている。オールトン山脈の山道は北側の商業都市へ向かう商人も使用するので、こうして旅荷を狙う山賊が出ても何らおかしくはない。

 しかも傍目には、農夫デレクを除いて若い娘がふたりいるだけの、戦闘力のなさそうな集団。荷物はさした戦利品になり得ない。

 

 だが、オリヴィアやハーヴェイの愛馬はそこそこ価値のありそうな立派な馬だし、何よりもオリヴィアやハーヴェイ自身の顔貌かおかたちがいい。馬や女二人を捕らえて売り飛ばそうという魂胆だろう。

 この山賊たちの誤算は、そもそもハーヴェイは女でない上、オリヴィアも含めて上級の冒険者だった、ということである。

 

 束ねていない濡羽烏の長い髪を掻きむしり、蓮は低く悪態づく。

「……クソが」

 

 オリヴィアはハーヴェイのそばへ駆け寄ると、眼尻を吊り上げて、鋭い剣幕を鳴らした。

「もう、仕事中は早起きのクセに、何で今日に限ってぐうすか寝てたのよ!」

 

 へ引っ込んでいる間、軀は眠っているように見える。だが、住人の誰かが窓を潜らない限り、意識を取り戻すことはない。

 ゆえに、オリヴィアは何度も呼びかけ、起きるように顔を叩いたりもしたが、ハーヴェイの軀は一向に目覚める素振りをみせなかった。オリヴィアが不安に駆られ、恐怖したのは言うまでもない。

 

 ハーヴェイは一度、仆れている。その上、その直後に記憶喪失になっている。オリヴィアは山賊の相手をしながらも、ハーヴェイに何かあったのではないかと、心配で堪らなかった。

 

「また、何かあったのかって心配したじゃない!」

 その大きな碧い目は潤み、唇を噛み締めて震えるのを堪えている。だが蓮にはその思いなど、届かない。あっさりと視線をそらし、傍らに置いておいた大剣を拾い上げる。

「五月蠅え。こいつらさっさと片付ける」

 いつもの薄情な調子だ。本来であれば、何だこの無礼な男は、となるところだが、オリヴィアには安心を与えた。容赦なくハーヴェイの腕に肘鉄を食らわせて、オリヴィアは一喝する。

「当たり前よ!」

 

 そう言って、オリヴィアは山賊の中へと躍り出た。蓮は嘆息すると、オリヴィアの向かったのと反対側を見据える。じりじりとにじり寄って、こちらの動きを伺っている。――さっさと、諦めて引き上げればよいものを。

「ああ……でも」

 

 ちょうどいいか。

 

 蓮は小さく、言葉を落とす。腹の奥底から苛立ちがふつふつと湧き上がって仕方ない。その所為か、頭が重くて、体が怠くて、気分が、悪い。

 髪を搔き上げ、蓮は黄金こがね色の瞳を仄暗く光らせた。

「ぶん殴れば、少しは晴れるか?」

 ようは八つ当たりである。憂晴らしである。つい先程までの、悠の、あの悲痛な声が、言葉が、頭から離れない。

 

 ぐしゃぐしゃと髪をかきむしると、蓮は飛び出し、あえて大剣を捨て、左の素手で殴り付けた。下敷きになった男を何度も殴り付けて、叫んだ。

「くそ……!くそ!くそ!」

 その細い腕からは想像もできぬ力だ。あまりに強く殴り付けて、相手の歯が飛び、血が撒き散らされる。その男の顔はもはや人間の顔とは思えぬほどに潰され、肉片のようになる。

 

 他の山賊たちは青褪めながらも、慌てて止めに掛かろうとした。

「お、おい……なんだこいつ!引き剥がせ!」

 

 すると、蓮は爛々と光る黄金こがね色の目を向け、獣のごとき咆哮を上げる。そのあまりの激しさに、男たちは怯んだ。

「ひ……!こいつ、なんか変だぞ」

 とても、山賊を払うための自衛行動とは思えない。襲撃したのはこちらのはずなのに――まるで猛獣に追い込まれている気分になる。ようやく手を出してはならぬ相手だと気取ったらしい。山賊のひとりが声を鳴らす。

「に、逃げろ!撤退だ!」

 

「――逃がすかよ」

 

 蓮がゆらり、と振り返る。

 追う必要はまったくない。だというのに、蓮は逃さなかった。飛び掛かり、拳で相手の腹を穿ち、貫いた。血潮が飛び散る中、何度も何度も拳を振り落としてさらに血と肉が散らされる。助けに入ろうとした他の者たちと掴み合いになり、殴られ、殴り返し、蓮の頭は真っ白になる。

 

 ――俺が、守ると決めたのに

 ――俺が、苦しめた

 ――死んでおけばよかった、なんて

 

「死ね、こらあ!」

 最後の一発を振り落とし、相手の頭蓋を砕き、脳髄が撒き散らされた。誰ひとり動かなくなり、静けさが周囲を包み込む。

 

「て、ちょっと!何してんのよ、ハーヴェイ!」


 振り返れば、炎髪の少女が走り寄っている。あちらも片付けたらしい。一緒に農夫デレクや馬、旅荷を引き連れている。

 蓮はゆっくりと立ち上がり、顔に付着した血を手で拭った。

「……あ?」 

「ちょっと何怒ってんのよ」

 すぐ近くで立ち止まったオリヴィアは顔を顰めた。オリヴィアは頭に血の登ったハーヴェイが無駄に相手を痛み付けることをよく知っていた。オリヴィアは呆れた顔をして、血溜まりの中に転がる肉片のごとき山賊たちを見て言葉を続ける。

「相手が山賊だから、てやりすぎよ。何をそんなにむしゃくしゃしてたのよ?」

「……別に」

 

 蓮はすたすたと旅荷へ歩いて行った。その血みどろな格好に、農夫デレクはぎょっとして後退る。

「ひ!あ、あの……」

 農夫デレクは驚愕した面持ちでオリヴィアを見る。オリヴィアは頭を抱えながら、その農夫の肩を叩いて励ました。

「ごめんなさいね。あの人、鬱憤が溜まるといつもああなのよ。冒険者の中には狂犬って言うヤツもいるくらい」

「ず、随分と気性の荒い……」

「デレクさんも気を付けてね。敵認定されたら、私の連れは容赦ないわよ」

 それを早く言え、とばかりにデレクは目を剥く。こんな取るに足らない農夫が敵になりようないのだが。オリヴィアは申し訳無さそうに頬を掻いて誤魔化し――つい、とその同僚の少年を見る。

「でも、妙ね。何にあんなに、腹を立てているのかしら」

 

 蓮の苛立ちはなおもくすぶり続けており、蓮は左の親指の爪を強く噛んだ。

 

 

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