052-R_不穏(2)
蓮は
通常の狼より四周り、五周りほど大きく、鋼の如く頑強な黒い体毛に、ぎょろぎょろとした四つの赤い目を持つ。
魔獣としてはよくいる手合いだ。
だがそもそも、魔獣とはそんなに人前に姿を現さないはずなのだ。十数年で数回会うか会わないか、くらいの稀有な存在。そうだったはずなのだ。
オリヴィアの言う通り、
――今はそんな、くだらないことを考えてる場合じゃねえな。
魔獣は凶暴だ。他の獣たちと違って、遭遇した人間を必ず殺そうとする。獣に理性を求めてはならぬが、それでも頭のネジが飛んでいるのではないかと疑いたくなるほどに好戦的。敵ではない、だから見逃してくれなどと示す方法は皆無と思ってよい。
蓮は農夫デレクを一瞥すると、冷たく吐き捨てる。
「おい、てめえは馬と固まって、そこを動くな。邪魔になる」
「わ、わかった」
と威圧するような蓮の物言いに、ビクッと肩を震わせてデレクは応える。恐怖しているのか、蒼白顔で足が震え、少し足が絡まっているが、それでも何とか三頭の馬のそばへ駆け寄る。
守るべき相手が一塊になったのを認めると、蓮はオリヴィアの肩を掴んで、言葉を続ける。
「オリヴィア、お前はそいつの守りに集中しろ。他は俺が始末する」
「わかったわ」
追い込む、のような作戦を立てるにはあまりに人数が少なすぎる。オリヴィアは頷き、デレクのすぐ横につきた。
それと同時に、蓮は勢いよく茂みを駆け抜けた。時を同じくして、魔獣たちも一斉に飛び掛かる。あの獣たちは
長い得物が扱いづらい茂みの中、蓮は器用に大剣を操った。
木の幹すれすれに大剣を大きく薙ぎ、大きな体躯をした魔獣の首を切断する。殴って骨ごと叩き斬っている、という表現の方が相応しいかもしれない。
鈍器のごとく重量のある大剣を、まるで手足のように軽々とそして細やかに振るい、牙を剥く魔獣たちの首や心臓部、脚の腱などの急所を
独特の肉の弾力や、肉や血管の裂ける音が刃を通して手に伝わったとしても、気にしない。生温く生臭い血潮を頭から被ろうが、手を止めない。躊躇うことなく、そして容赦なく敵を殲滅する。
蓮は木の枝を空いている左手で掴むと、振り子のように体を振り、一匹の魔獣の顎を蹴り上げる。その勢いのまま、上空へ高く跳躍し、群れのど真ん中へ大剣を振り落とした。
「――クソッ。キリがねえ」
丁寧に一匹一匹相手をしていれば、日本の朝に間に合わない。ここに爆薬でもあればいいのに、と思わざるを得ない。クロレンスではまだ、爆薬の類は一般的ではないし、だからと言って代わりに指導できるほどの知識も技術も蓮にはない。
――なんか、腹立つな。
その、現代技術を異世界に適用しよう、という考えがどうにも蓮を腹立たせた。何処かで見かけた設定だ。おそらく、日本の軀である
蓮は舌打ちをし、まとめて数匹を薙ぎ払った。もはや八つ当たりである。頭だろうと頸だろうと胴体だろうと、力任せに分断し、無力化する。
あまりに乱雑に扱うものだから、刃こぼれが酷く、大剣は鈍器となりつつある。転がった死骸は頭蓋や頸骨などを潰され、言葉通り肉片となっていた。
「ねえ、ちょっとあんた。乱暴すぎない?」
少し離れた位置から声を掛けたのはオリヴィアだ。彼女もまた、農夫デレクや馬、旅荷を狙う魔獣を
襲いかかる魔獣を大剣で顎から砕きながら、蓮は声を鳴らす。
「敵相手に乱暴も何もあるかよ」
「いや、そうなんだけど。なんか……最近夜になると焦ってない?」
オリヴィアは時々、妙なところで鋭い。
確かに焦っている。それも毎晩、日が沈み始めると。
もう、日本では朝だ。朝食の時間になってしまう。誰か他の者がカバーしてくれているかもしれないが、ここからでは確認できない。クロレンス側の窓から、直接日本側の窓へ連絡できたらどんなに楽なことか。
けれどもそんなことをオリヴィアへ言うわけにもいかず、蓮は適当に返答する。
「さっさと食って寝たい」
「はあ?」
何言ってんのあんた、とオリヴィアは呆れた風に言葉を鳴らす。
そんな呑気な会話をしながら、魔獣を頭蓋ごと破壊して脳髄をぶち撒けているのだから、傍目にはどんな残忍な冒険者たちなのだろう、と感じることだろう。実際、農夫デレクは魔獣よりこのふたりの少年少女の方が数倍恐ろしく見えていた。
ようやく最後の一匹になると、蓮は力いっぱい
「――さっさとくたばれ!」
ぐしゃり、と音を立て、頭蓋や脳髄などの肉片も巻き込んで、草地に赤い花を咲かせた。
まさに潰れた果実。かろうじてひしゃげた顎から覗く牙や、歪んだ眼窩からは飛び出した赤い眼球が、きっとこれは魔獣だったのだろうと伝えている。
さすがに疲れた、蓮がすぐ側の木に凭れかかり嘆息していると、あちらも片付いたらしいオリヴィアが歩き寄る。
「お疲れ様、ハーヴェイ」
「そっちは問題ないか?」
「大丈夫よ。デレクさんはもちろん、馬にも荷物にも触らせなかったわ」
と言って振り返り、オリヴィアは少しだけ顔をひきつらせる。
「まあ……血は少々、被ったけどね」
「え、これ。少々……なのか?」
思わず密かにツッコんだのは農夫デレクだ。
中には届いてはいないだろうが、荷物はべっとりと血液を纏わせ、消火された焚火の燃えカスと鍋は血の海に浸たされている。デレクの衣服にも血痕が飛んでいる。誰が見るまでもなく、大惨事である。
オリヴィアもさすがに誤魔化す気にならなくなったのか、
「あー、うん。そうね。ちょっとあれかもしれないわね」
言葉を濁したところで、やることは同じなのだが。沢が近くてよかった、と感動して良いのか悪いのか。蓮はそのやりだしたら翌朝になっていそうな惨事を見るや、その場に座り込んで、言葉を落とす。
「……疲れた、寝る」
腕を組み、項垂れる。オリヴィアは「はあ!?」と言って、さらに声を上げる。
「ハーヴェイ、片付けを押し付けないでちょうだい!」
「こっちは大半のを片付けたんだぞ、体力切れだ。寝る」
それは事実なので、オリヴィアはうっと口を噤む。荷物やらの護衛に徹する要員がひとりしかいないと、こうなってしまうので仕方のないことなのだが。
そのまま本気で眠ろうとする蓮を前に、オリヴィアはハッとして、言葉を続ける。
「ちょっと、夕食まだでしょうがっ!」
「もういい。明日食う」
もはや何を言っても、蓮は寝ると決めたのである。オリヴィアが何を言っても、蓮はすでにすやすやと寝息を立て始めていた。
そんなふたりのやり取りを見て、農夫デレクは思ったのだ。
その潰れた死骸の横ですやすやとよく眠れるな、と。そして、このグロテスクな光景を前に食事を摂るなんて、神経どうかしていると。
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