051-R_不穏(1)


 天頂より陽がだいぶ西に傾き始めた山道で、炎髪の少女は口を開いた。

「そういえば、蟲って今はどうなってるの?」

 

 その碧い目は並んで馬を歩かせる農夫デレクへ向けられている。

 蓮たちはウェインリの街から北東方向に内陸の街道を、通って町や村を渡り、オールトン山脈へ到達してかなりが経っていた。ここからさらに東へ進み、北方向へ山を降りれば目的地周辺である。――まずは、目的地のドナ村より東にあるリントン村まで農夫デレクを送り届けるのだが。

 

 道の途中、農夫デレクはおのれの家族のいるそのリントン村について語った。

 冬が明ける少し前から、それら農村部では「虫害」が起きている――それは、蓮もオリヴィアも知っていた。事前に知らされていたためだ。だがまさか、行方知れずになるとは思っていなかった。

 

 デレクは顔を曇らせ、深く嘆息した。

「この間帰ったときは、相変わらずだったさ。焼き払った筈の土地に蟲が湧いて海になっていた。臭くてたまらんし、参ったよ」

 

「ということはそこら一体、今年の麦は望めないわね」

 なるほど、組合が無理矢理にでもねじ込むわけである。その実状を見ていないのではっきりとは言えぬが、これはクロレンスの国民全員の生活に関わる話だ。今年の麦の値の高騰は避けられぬだろう――だが、この「蟲」とやらが解決せねば、生活の苦しい時期が引き伸ばされて国全体の弱体化を招きかねない。

 

 オリヴィアも表情を険しくして、言葉を継ぐ。

「ゾンバルトがしゃしゃり出て来てもおかしくないし……厭な状態ね」

「だがゾンバルトも無下にできない。農夫の中には、ゾンバルトので奉公してる奴もいるだ」

 

 デレクの言葉に、オリヴィアはいっそう顔を険しくする。ゾンバルトとは、クロレンスの北方にあるバルトレット山脈の向こうの大国である。今は何とか均衡を保っているが、長らく睨み合っている厄介な国である。

 オリヴィアやデレクの後ろで馬を歩かせていた蓮は、小さく舌打ちをした。

 

 ――よりにもよって、を頼りやがるとは。

 

 蓮は片手を手綱から離し、衣服越しに胸を押さえる。ちょうど、心臓の上あたりでドクドクと鼓動が手のひら越しに伝わる。

 前を行くオリヴィアたちは、そんな蓮の行動には気付かない。そして、の住人たちもまた。蓮は独り、黄金こがね色の瞳に静かな炎を灯していた。

 

 蓮の目の前で、農夫デレクはまた深く息を落とす。

「今、オールトン沿いの穀倉地帯の人間の多くは出稼ぎに出ているのさ。まあ、雀の涙程度にしかならないのだがね……。これを機に若者の中には冒険者に転じた者もいるが、当然ランクが低く、肉体労働の下働きと背比べさ。」

 

 農夫や漁師になりたくない、と言って冒険者に転じる若者は多くいる。

 クロレンスにおいて、子は親の職を継ぐ。それが当たり前で、幾つかの例外を除いて、それ以外に生きる道はない。

 その例外において最たるもので、かつ手っ取り早いのが冒険者である。だが、これといった才能も技術もないものは、低ランクに留まり、低報酬の依頼しか受けられない。真っ当に親の職を受け継いだほうが稼げるくらいだ。

 

「でも、急に雇ってくれる人間が増えるわけじゃない。中には娘を売っぱらったり、年寄りを山に捨てたりして食い扶持を減らしてその場しのぎをしている家もあるが……そんなのは、現実的じゃない」

「それで、外国に働き場所を、ね。国は何をやっているのかしら」

 オリヴィアは深く溜息を落とす。依頼を受けた冒険者組合の仕事も遅いが、国はもっと遅い。そもそも、出だしからおかしなことだ。大問題に発展するかもしれぬ問題をS級以上だとしてもたったのふたりに任せきりにするとは。あまりに対応がお粗末すぎる。

 

 蓮はハッと鼻で嗤った。

「これで、貴族がゾンバルトの麦を買ってたらお笑いだな」

「ちょっと、ハーヴェイ。その冗談ジョーク、全然笑えないわよ」

 炎髪の少女が手綱を握ったまま大きな碧い目を半眼にして、こちらへ振り返る。小さな声で言ったのだが、彼女の地獄耳は聞き逃さなかったらしい。蓮は仏頂面に戻して、言葉を返した。

「ありそうじゃねえか?あいつら、金だけはある」

「そうだけど……民を守るのが、貴族の役目よ」

「建前は、な」

 蓮は遠慮なんて言葉を持たない。ゆえに、オリヴィアのや事情なんてものを気遣って言葉をかけてやらない。

 

 つい、と道の外れた場所を見て、オリヴィアは話をそらした。

「……この辺りでいいかしら?」

 オリヴィアは山道の向こうにあるさわへ視線を向けていた。その沢から少し離れた場所には平らで煮炊きをするのにちょうど良さげな場所もある。 

 そろそろ、日も沈む。野宿の支度を始めた方がいいだろう。足を留めることには、蓮も賛成である。

 

 ――さっさとこっちを片付けて、日本側、行かねえと

 あまりのんびりしていると、日本に朝が来てしまう。一応他にも日本側の扉前に住人はいるが、それでも。

 ――しばらくは、俺が出るつもりだし。

 その強くこだわる理由は、紫苑にすら話していない。蓮は黙して頷いて返すことでオリヴィアへイエスと応え、視線をデレクに向けて返答を待つ。

 

 オリヴィアの横で、デレクもまた大きく頷いた。

「もちろんだ。馬もだいぶ疲れているようだし」

 仕方のないことだが、馬だって生き物である。休み休みでなければ継続して歩けない。

 

 蓮たちは少し開けた場所で馬から降り、馬を木に繋いだ。沢で水を汲むと馬に水や餌を与え、木の枝を集めて焚いた焚火で旅用の鍋を火にかける。一応、携帯用の干し肉は持参していたが、せっかく沢があるので、川魚を捕まえて鍋に入れた。蓮もオリヴィアも大雑把なので、適当に切ってそのまま放り込むスタイルである。

 ひとときの休息。息をつき、焚火前に腰掛けようとした、その瞬間。

 

 蓮は息を呑み、背に携える大剣に手をかけた。

 何か、いる。それも無数に。オリヴィアも同様に察知したらしい。下ろそうとしていた鎚鉾メイスを握り直し、茂みの向こうを凝視している。

 突然の緊迫感に、農夫デレクは眉を顰めた。

「どうしたんだ?」

「しっ!」

 すかさず、オリヴィアが沈黙を指示する。蓮はその傍らで、前方をぐるりと目で辿る。

「囲まれたな……奴ら、いつからこんなに主張激しくなったんだ?」

「知らないわよ。一月ひとつき少しで三回もお目にかかるなんて、私も聞いてないわよ」

 

 それは、狼の群れだった。

 それも、ただの狼ではない。魔獣だ。

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